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政教分離の原則と表現の自由

政教分離の原則はどのように考えるべきですか? また、表現の自由についてなのですが、 表現の自由の優越的地位はどのようなことからなのですか? 規制する理論にどのようなものがあるのか教えてください。

みんなの回答

noname#15908
noname#15908
回答No.3

表現の自由の規制としては、 1.まず、他の基本的人権と同様に、13条の公共の福祉による規制が可能です。ここでは、制限目的の合理性と制限手段の合理性が必要とされます。合理的必要最低限の範囲内の制限であれば原則として合憲とされます。 2.ただし、それ以外に、表現の自由に特有の形式的なルールとして 検閲の禁止 と 事前抑制禁止法理(21Iの解釈) があります。 1 で合憲とされても、検閲や事前抑制 に抵触するものは違憲とされます。(規制を禁止するルールです) 1.の公共の福祉による制限として合憲か については、理論的には、制限目的・制限手段が合理的必要最小限の範囲内なら合憲ですが、実際上の裁判上の判断基準としてどう考えるのが妥当か が議論されます。 裁判上の判断基準として、通常の人権であれば、規制・制限は合憲と推定されます。(合憲性推定の原則) 理由は、 民主政の原理(裁判所は非民主的機関 にすぎない) 権力分立原理 (安易な違憲判断は立法権侵害となる) 司法権の能力の限界 (弁論主義等の下で、司法権の資料収集能力に限界がある) からです。 制限目的の不合理性, 制限手段の不合理性が立証されない限り合憲とされます。 しかし、裁判上の判断基準として、表現の自由等については、厳格な審査基準 が採られ、合憲性推定の原則が排除される との主張が有力です。 理由は、精神的自由権 (特に政治的意見の表現の自由) は、ひとたびこれが侵害されると、思想の自由市場の形成を不可能ならしめ、民主制の過程そのものを傷つけ、民主制の過程による回復が不可能になるという意味で、代議的自治の原則と特殊な関係にあり、厳格に審査する必要がある。 また、精神的自由権は個人の尊厳と密接不可分の自然権だから。 制限目的の合理性と制限手段の合理性が立証されない限り違憲とされる という理論です。 また、同時に以下の基準が適用される と主張されます。 (1) 公的言論(参政権・刑罰法規)等の特に重要な権利については 漠然性ゆえに無効 過度に広汎な規制ゆえに無効 (手段の合理性判定基準として?と思われる) 明白かつ現在の危険 (手段の合理性判定基準として?と思われる) LRA (外形的規制の合憲性判定基準として) (2) それ以外の精神的自由権の重要な人権について 利益衡量 (手段の合理性判定基準として?と思われる)

ohhhhhhhh
質問者

お礼

ありがとうございます。 詳しく分かりやすくて助かります。。。 でも難しい問題ですよね・・・。

noname#15908
noname#15908
回答No.2

政教分離原則 とは  国家と宗教の結びつきが禁止されるという原則 政教分離原則の趣旨  (1) 信教の自由の補強 国が特定宗教を優遇すれば他の宗教を抑圧し、   等しく宗教を優遇すれば無宗教の自由を抑圧する    ことになるため、 国家の結びつきを排除したもの。  (2) 価値観の多様性確保による、民主主義の確立・発展  (3) 宗教の堕落・国家の破壊防止。  の3つあると説かれています。 政教分離原則の内容  特権付与の禁止 20I  政治上の権力行使の禁止 20I  国の宗教的活動の禁止 20III  公金支出の制限 89 法的性格 (権利性の有無)  政教分離違反が直ちに司法審査の対象となるか、  その前提として法的性格・権利性が問題となります。 判例通説は 制度的保障説 人権保障の強化のため、歴史的・伝統的に形成されてきた制度の核心部分を保障するものであり、通常の法律で核心の変更・廃止は許されない。 ただし、規範の名あて人は、国または地方公共団体に限られ、直接個人の権利を保障したものではない。 他説として、人権規定説 政教分離の性格・内容  判例 限定分離説 (津地鎮祭事件) 国教は認めないが、国家と宗教の何らかの結びつきは否定されない。 相当でない結びつきが禁止されるにすぎない。  この立場では「相当」の意味が問題となります。  有力学説 完全分離説   国家と宗教を完全に分離し、相互に干渉しないこととするもの。 「相当」 (相当分離説) の意味・判断基準  判例 目的効果基準 当該行為の目的及び効果に鑑み、宗教とのかかわりあいが、我国の社会的・文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障という目的との関係から相当とされる限度を越えないこと。 これは、政教分離の具体的諸規定 20I III 89 について、具体的に違反の有無を判断する基準ともなる。 そして、例えば 宗教的活動 20IIIの意味 については、  判例によると、行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助・助長・促進または圧迫・干渉になるような行為。ただし、一般人の宗教的評価をも考慮して決せられる。 と説かれます。

noname#58429
noname#58429
回答No.1

〔政教分離の件〕 憲法第20条の解釈論です。憲法第20条は、信教の自由を保障するとともに国家と主教の分離についても定めています。明治憲法でも「安寧秩序を妨げず臣民たるの義務に背かざる限りにおいて」と条件付ですが信教の自由を保障していました。 しかし、神社神道が事実上国教的な地位を占めその信仰が要請されていました。しかも神社神道は国家権力によって戦争遂行のための精神的支柱として利用された経緯がありました。このような経験から国家と宗教の結び付きを排除するため、政教分離の規定を設けたと解されています。 具体的には20条1項後段で、宗教団体への特権付与禁止、宗教団体による政治権力の行使の禁止を、 20条3項で、公的機関による宗教教育その他の宗教活動の禁止を、さらに89条で宗教団体に対する財政援助の禁止を規定しています。 これらの規定は第一に国教を禁止し、第二に宗教団体であるという理由で、特別な利益を与え、立法権、課税権、裁判権、公務員の任免権などの政治権力を行使させることを禁止しています。第三に国および地方公共団体の機関が宗教教育その他の宗教活動をすることを禁止しています。 〔表現の自由に対する制限〕 一般に表現の自由は、経済的自由に対して「優越的地位」をもつとの考え方が主流です。 ところで「優越的地位」をもつ意味を検証してみます。第一に、抽象的・哲学的なレベルで、表現の自由は経済的自由よりも高い価値をもつされます。第二に、技術的なレベルで、表現の自由は経済的自由より憲法上より厚く保護されています、換言すれば、表現の自由を法律で制限できるとしても、許容範囲は、経済的自由に比して狭いものとなります。したがって、表現の自由を制限する法律が違憲と判定される可能性は、経済的自由を制限する法律の場合と比較すると、一段と高い、ということになります。 表現の自由を制限する法律に対する違憲審査基準は、経済的自由を制限する法律の違憲審査基準よりも厳しくあるべきだと考えられています。通常は、表現の自由の場合には「厳格な基準」を、経済的自由の場合には「合理性の基準」あるいは「合理的関連性の基準」を用いるべきである、といわれています。   「厳格な基準」とは、表現の自由を制限する法律の立法目的が、極めて重大な利益をもち、かつ規制の手段がその目的達成のために必要不可欠な場合に限って当該法律は合憲となるというものです。 これに対して「合理性の基準」とは、当該立法の立法目的が正当なもので、規制の手段が当該立法目的を達成するための合理的関連性があれば、当該立法は合憲であるとするものです。 最高裁判例には「厳格な基準」を文字通りに適用した事例はないが、「合理性の基準」を適用した例は多い。このように、表現の自由と経済的自由とでは違憲審査基準が異なり二種類の基準が使い分けられることを指して「二重の基準」と呼んでいます。

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