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表現の自由とテロ事件
フランスのデモ行進 すごい数ですね、370万人を超えるとか。 でも表現の自由がいくら大切なものであっても 風刺画とかで、他者を傷つける行為は 言葉(ペン)による暴力だと思うのですがいかがでしょうか? テロは当然、いけないことですが 挑発行為(きっかけ)を行った側にも責任はないのでしょうか? どう思いますか?
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例えば、表現の自由が認められている国ならば、対抗として表現で争えばいいと思います。 風刺画で攻撃されたなら、同じく風刺画で主張すればいいんです。 それを、肉体的な暴力で主張するのは正統的ではありませんね。 最近、サザンが紅白で歌った曲に対して、右にカブれている右翼連中がアミューズ前にやってきて抗議活動をしているようです。 罵声や大音響でしか主張できない愚かな連中ですが、他の方法でやった方がスマートです。 そこに考えが至らないのは、“どうしたら一番ダメージを与えられるか”という点にのみ注力するからこうなるんです。 イスラムの連中も同じような気がします。
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- daion
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べたな話し、1,000人、2,000人、一万人ぐらいだったら何とでもなるんだろうけど、実際あの人数でTOILETはどうしたんだろうか? 別に茶化すつもりはないけど、それがとても気になります。
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回答ありがとうございます。
- 23tomo-u
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仰る通り暴力です。 物理的に傷つかないなら何を書いてもいい、 というのは安易な考えです。 精神的に相手を傷つけます。 とても先進国がやることではない。 日本で言えば小中学生がLINEで対象者を いじめたりからかったりするようなものです。 挑発して何かあっても国が武力を持ち出せば勝てる、 と思ってるからでしょうね。 テロはいけないですが、挑発する方もする方で、 どっちもどっち。 外から見ると、両者、愚かなことをしている人たちだな、と思います。 ついでに言えば、過激派連中は武力や数で 欧米に勝てるわけではないので、 宗教戦争に持ち込みたいわけです。 それを助長している欧米人は愚かに見えます。 結局、好戦的なのは欧米だな、という気がします。
お礼
回答ありがとうございます。
私は、挑発行為を行った側にも責任はあると思います。 言論による攻撃で、気をつけなくてはならないことが一つある。 それは、言論による戦いは、多数派が少数派よりも圧倒的に有利であると言うこと。 そのために、政治の場などでは、普通は少数派の意見がかき消されることのないような手立てが施されている。しかし、それは特殊な例で、普通はなかなか少数派への配慮などなされないのが実態。 多数派に囲まれて、有らん限りの否定的意見(それも理性的なものではなく、人の感情を逆撫でするような悪意のあるもの)を浴びせられ、こちらから言い返す機会を全く与えられなかった時に、「それでも私は決して暴力に訴えたりしない」と自信をもって断言できる人が何人いるか。 言葉は確かに剣よりも強い。 だからこそ、多数派が少数派に言葉による攻撃を加える場合は、相手を言い負かすのではなく、相手を説得するために言論を行使するのだと言うフェアプレーの精神が不可欠だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 戦争、個人の争いごともすべて「言葉」から始まると思うのです。 言葉により挑発行為から、国旗を焼いたりとか色々手段はありますが、結局は挑発し始めた側にも十分責任はあると考えております。 穏健な中東諸国は今回の件、テロに対しては遺憾の意を示しているようですが元凶(風刺)については侮辱する行為ととらえているようです。 まぁイスラム国や過激派は初めからテロ活動も辞さないことを明言してますから容赦する必要はないかとは思いますけど。