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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:純な外国趣味(自分らしさと調和性))
純な外国趣味と自分らしさの調和性
このQ&Aのポイント
- 純な外国趣味とは、自分が好きな外国の音楽やメディアなどに固執することを指します。
- 一方、日本の社会で普通とは、社会の中での調和性を指しています。
- 外国趣味を持つことで、その国にいけば調和性をもてるかもしれませんが、周囲の社会の感情を無視しているかもしれません。
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質問者が選んだベストアンサー
古代の人は、「日本」など知らない。 戦国時代でも、まだ「国」は一地方を意味していた。 国がどうこうこだわること自体が、すでに田舎者だ。
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- SPS700
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回答No.1
どういうものなのでしょう? 食べ物で僕の場合を申し上げますと、ベトナムの「ファ」、北京の大鹵麺、朝鮮の순두부찌개、日本の懐石料理、など。でもビフテキを痛風で食べなくなったり、と変わります。 音楽で言えば、沖縄民謡が好きだった時も、バッハに凝った時も、ミキス・テオドラキスのレコードや、ピアフに熱を上げたこともあります。 まあ、人が混ぜたXとYの交ざり物は遠慮していますが、自分では勝手にやっていて、結構いろんなものを混ぜて楽しんでいます。
質問者
お礼
外国のものばかりというのもわかります。 奇異なものを知りたいということですよね。 ブーム性もあるのでしょうか? 自由ですね。 ご回答ありがとうございます。
お礼
おっしゃるとおりで国民とかは近代からとかの概念だったかと思います。 ご回答ありがとうございます。