• ベストアンサー

出来ない相談

こんばんは。 https://www.youtube.com/watch?v=8BE9tqaaJwg 【訊きたいポイント】 「他の人、愛せれば?」とは、 「愛する人は、ただ一人」ということですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • MACHSHAKE
  • ベストアンサー率30% (1114/3601)
回答No.1

好きになってはいけない人をいつの間にか 愛してしまった。このままだと ドンドン深みにハマって禁区に入り込んでしまう。 だから平凡な愛でいいから 他の人を愛せればいいのだけれど 自分の気持ちはうらはらで、 それは出来ない相談ね。 …ってな事です。

kurinal
質問者

お礼

MACHSHAKE様、ご回答ありがとうございます。 そうですか。 >「平凡な愛でいいから」 ここが、ポイントですねえ。 >「好きになってはいけない人をいつの間にか 愛してしまった」 これ(この愛)も、つまりは「平凡な愛」ということですか。 ♪「愛しちゃったのよ」という歌も、ありましたねえ。 https://www.youtube.com/watch?v=9nsoC6_iXFY

kurinal
質問者

補足

「平凡な愛」、 すなわち「愛する人は、ただ一人」ということでしょう。 「良いのだけれど、、、それは、ちょっと出来ない相談ね」

その他の回答 (1)

回答No.2

愛とひと言でいっても、性欲の発露から、情緒的な博愛、論理的な自己の生命の社会性の自覚による利他まで、ピンキリであり、一概には断言できない。 かつて日本版エンサイクロペディアを作ろうとした時の、最初の項目が「あい」であった; 愛(あい):自己の生命の組織(社会)性の認識によって、あらゆる衝動の発現に於ける利己過程に、利他が介在すること。 主として、性別(交配)・親子(生殖)・分業(組織)などに、個体生命の成立に於ける超個体的機能が顕著であるが、認識未だ及ばず、「自己の生存(反エントロピー)」という本質的統一性を、現象上に捕捉し得ない不完全な認識を補う、非認識的に組織化する上での近似的多元的に発達した多様な即物的衝動や他律的常識の集積による、内的矛盾に於て発生する自虐的意識行動に対し、その結果(非認識)的整合(>システム進化)に対する、形骸的概念として、主に性欲・自己顕示欲・虚栄心・偽善などの発現の上に、現象的定義域を持つ。 しかしそれは、この本質としての、生体外情報の処理システムたる認識による、自己の生命システムの組織性の追跡によって意識(必然=宇宙)を共有し自我を超越するものではなく、近似システム(金・権力etc.)による自我の延長(自由競争)、あるいは歪曲した衝動(イズム)の手段としての自我の相乗(マイホーム主義・愛国心etc.)とでも言うべきものであって、つまり「利己過程に利他が介在する」事によって個体間闘争が回避されるのではなく、集団的に新たな、そして組織的ゆえにより強力で容赦ない、闘争段階の形成へと変形されるに過ぎず、飽くまで常識による常識の為の虚構であって、人を低認識(情動)化して充足減に導く、中毒(近充足)性毒物(非最大充足)に他ならぬ。 そこに於て、真の愛は、完全なる科学(原理認識)である(社会生命性の自覚化による他我)。

kurinal
質問者

お礼

psytex様、ご回答ありがとうございます。 >「愛とひと言でいっても、性欲の発露から、情緒的な博愛、論理的な自己の生命の社会性の自覚による利他まで、ピンキリであり、一概には断言できない。」 僭越ながら付け加えますと、家族とか「ムラ」とか、故郷とか社会とか。 >「かつて日本版エンサイクロペディアを作ろうとした時の、最初の項目が「あい」であった; 愛(あい):自己の生命の組織(社会)性の認識によって、あらゆる衝動の発現に於ける利己過程に、利他が介在すること。 」 そうですか。 正直を申しますと、もっと宗教色の濃いご回答もあるのかなと思っておりました。 (そういう「定義」も、可能なんですね。) >「主として、性別(交配)・親子(生殖)・分業(組織)などに、個体生命の成立に於ける超個体的機能が顕著であるが、認識未だ及ばず、「自己の生存(反エントロピー)」という本質的統一性を、現象上に捕捉し得ない不完全な認識を補う、非認識的に組織化する上での近似的多元的に発達した多様な即物的衝動や他律的常識の集積による、内的矛盾に於て発生する自虐的意識行動に対し、その結果(非認識)的整合(>システム進化)に対する、形骸的概念として、主に性欲・自己顕示欲・虚栄心・偽善などの発現の上に、現象的定義域を持つ。」 なるほど。 単に「自分とは、違うなあ(嘆息)」というのは、違いますか >「しかしそれは、この本質としての、生体外情報の処理システムたる認識による、自己の生命システムの組織性の追跡によって意識(必然=宇宙)を共有し自我を超越するものではなく、近似システム(金・権力etc.)による自我の延長(自由競争)、あるいは歪曲した衝動(イズム)の手段としての自我の相乗(マイホーム主義・愛国心etc.)とでも言うべきものであって、つまり「利己過程に利他が介在する」事によって個体間闘争が回避されるのではなく、集団的に新たな、そして組織的ゆえにより強力で容赦ない、闘争段階の形成へと変形されるに過ぎず、飽くまで常識による常識の為の虚構であって、人を低認識(情動)化して充足減に導く、中毒(近充足)性毒物(非最大充足)に他ならぬ。」 なかなか、厳しいものです。 「ご自愛ください」なんて、「御世辞」?も、あるようですね。 >「そこに於て、真の愛は、完全なる科学(原理認識)である(社会生命性の自覚化による他我)。」 「組織(社会)性」ですか。 ・・・やはり、もう少し、自由になりませんかね。

関連するQ&A