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日中戦争はなぜ起こったのですか?

日本はなぜ中国に侵攻したのでしょうか?経緯がよくわかりません。日本の目的は領土だったのでしょうか?

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  • trytobe
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回答No.1

アヘン戦争後、国力を失った「清王朝」時代、勝手に中国の人々が「清王朝」を打倒しておきながら、現在の台湾の国民党(中華民国)や現在の中国の共産党(中華人民共和国)が内戦をして、誰も中国の民衆のためにならない争いばかり続けているから、ええかげんにせい!と鎮圧に入り込んだのが日本。 被害者意識があると、侵攻と言われる。ちゃんと自分らで治世していれば良かったのに、と思いつつ。

noname#231280
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noname#224207
noname#224207
回答No.6

日中戦争という呼称は昭和50年代以降に用いられるようになった用語です。 それまでは、北支事変、支那事変 日華事変 日支事変などと呼ばれていました。 期間も1937年~1941年あるいは1945年までとされています。 何れにせよ1937年に起きた盧溝橋事件を発端としています。 「なぜ侵攻したのか」ということになりますと、盧溝橋事件は単なる切っ掛けいわゆるトリガーだったということになります。 日本の軍隊はこの事件よりも前に既に進駐していました。 なぜ進駐していたか、ということにまで遡る必要がありますので、ご質問のように「経緯がよくわからない」となるのも止むを得ません。 目的は領土ではなかった、ということはできるかと思います。 ただし、既に、満州国という傀儡政権を樹立していますので、結果としては領土を手に入れていたと言うことも出来ます。 原因をどんどん遡って行きますと、日露戦争にまで遡ります。 当時の中国は辛亥革命の直後で中央政府が存在せずに動乱の時代でした。 軍閥と呼ばれる武装勢力がいたるところにあり、現在の中国共産党政府の前身の組織や、現在の台湾政府の元になった組織などが入り乱れていました。 本来は満州国にあった南満州鉄道という半官半民の会社の守備隊であった部隊が肥大化して関東軍と呼ばれる組織になり、日本政府の意向を完全に無視する行動を取っていました。 盧溝橋事件の後にこの関東軍が中国各地に散在する武装勢力との闘争に没頭して中国の内陸部へ内陸部へと侵攻していきました。 当時の政府も全て事後承諾の形で認めていました。 軍隊ですので戦闘に当たり敵の根拠地を陥落するのは当然の行為と看做され、国民もこれを支持していました。 広大な中国大陸ですので戦線は広がり続け泥沼化してしまいました。 この戦闘行為全体を日中戦争と表現していることになります。 蛇足 なぜ始まったか、ということもさることながら、なぜ途中で止めることができなかったのか、という問題の方が歴史の教訓としては大切です。 これをキチンと検証してこなかった結果、今回の安保改定論議の紛糾や憲法改定論議にまで尾を引いています。

noname#231280
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  • yp-mittu
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回答No.5

日中戦争の発端は、 中国が列強から植民地支配を受け出したことです。 アヘン戦争により中国が分割されだしたことにより、日本が次は我が国だ、 と思ったのです。 中国に援軍として陸軍を送り込み、日英同盟、アメリカ賛同の中、 日露戦争でロシアを追い払い、中国を助けようとしました。 更に中華民国建国し国民党ができましたが、 帝国主義である日本は、共産党をプッシュし、 共産党に政権を取らせようとします。 ですが。 中国政府の腐敗(賄賂など)ぶりはすさじく、 これだったら乗っ取れるんじゃね? と言う野心が陸軍幹部には出てきたんだと思います。 故に満州事変と言う契機に、武力制圧が始まったのではないか、と 思っておりますが。 そこから中国政府をないがしろにし、中国内に反日運動へ繋がります。 私は満州事変からが日中戦争開始と思っております。

noname#231280
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回答No.4

欧米は大陸の利権が欲しくて中国の支配を狙ってた 日本はそれを阻止するために中国に侵攻 (もしあの時 中国で石油が出ていれば情勢は変わってたと思います)

noname#231280
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  • eroero4649
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回答No.3

現在の日中関係と非常に似ています。 日露戦争の勝利で、日本は中国東北部(後に満州国になる地域)に権益を持つこととなりました。当時の中国は世界の列強各国によって虫食い状態にされていたのです。清朝が倒れ、孫文率いる国民党政府が発足して孫文は日本に身を寄せていたこともあって孫文が生きているうちは日中関係はまだ悪くはなかったのですが、孫文が死んで後継者争いでまた中国国内が乱れると日中関係は次第に悪化していきました。 当時の中国は、国家の体をなしていませんでした。各地に軍閥というのが跋扈してそれぞれに勝手に支配していたのです。いってみれば三国志の時代みたいなものだったのです。軍閥の親分は自前の軍隊、つまり私兵ってやつですね、それを持っていて、自分の支配地域から勝手に税金を徴取して中には紙幣や国債まで発行し始めるところまで出てきたのです。ああそうだ、ちょうどISみたいなものだったのですよ。で、ISと同じで「税金を払わなければ殺す」みたいな荒っぽい支配をするので、多くの中国人がまだ秩序が保たれている日本軍支配地域に逃げてくるようになったのです。 すると軍閥は腹が立つから、当時日本軍の軍用路線の役割も強かった満州鉄道ぞいに鉄道線を引いて、そこで満州鉄道より安い値段で列車を運行し始めたりしたのです。そういうのはやめろと日本政府は再三再四に渡って交渉するのですが、彼らは口先では「分かった」とかいいながらちっともいうことを聞かない。 そういった中で、日本国内に「一撃膺懲(ようちょう)論」というのが高まってくるのです。「俺たち日本人が我慢に我慢を重ねても、調子に乗ってやりたい放題をやってくる。中国人をひとつ懲らしめてやらないといけない」という世論が高まってくるんですね。いえ私は昔の話をしてるんですよ。 そして中国国内にある租界(外国人居留地)を中国人が襲って日本人だけではなく欧米人も含む無実の市民が虐殺されるに至ってとうとう日本軍は治安の維持と市民の安全の確保のために出動するようになるのです。つまりISがテロを起こして、その対策のために軍隊が出動するのとまったく同じです。 ISと軍隊が戦ったら装備の違いで軍隊が必ず勝つのと同じように、日本軍が出動したら山賊みたいな軍閥の軍隊なんてのは簡単にやられます。ところがISと同じで数が多いし市民に紛れるしどんどん奥地に逃げる。追いかけるのをやめるとまた戻ってアレコレうざいことをしてくる。かくしてズルズルと奥地へ奥地へと引き込まれていったのです。

noname#231280
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  • heisenberg
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回答No.2

日中戦争がなぜ起こったのかは、今も不明です。 ◇日本軍が起こした ◇中国国民党が起こした ◇中国共産党の陰謀 従来、日本軍が起こしたように言われてきましたが、近年、中国共産党の陰謀説も強く言われるようになりました。 中国国民党説は、以前から根強かったですね。 中国共産党説は、「漁夫の利」を狙ったものだ、というものです。 日本軍と中国国民党を戦わせて、双方の力を削ぐことが目的だったと言われています。 どちらが正しいかは、分かりません。 いずれも、考えられる説です。

noname#231280
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