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名門なのに

藤原家、平家、足利家、徳川家などとは言いますが、源家と言わないのは単にゴロが悪いからでしょうか。

みんなの回答

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5119)
回答No.7

>源家と言わないのは単にゴロが悪いからでしょうか。 源は、姓です。 が、公の記録では「源家は、滅亡」していて直系子孫は存在しません。 源の朝臣〇〇と名乗っている武家などは、多いですがね。 足利家も、源本家から流れを組む一族に過ぎません。 余談ですが・・・。 ここ数年、「織田信長直系の子孫だ!」と名乗る者が出てきました。 本能寺の変〇周年記念事業目的に、募金活動を行っている様です。 信長の弟(東京・有楽町に屋敷があった織田有楽斎)から続く子孫の間でも「織田家とは、全く無関係」と注意を呼び掛けています。

noname#224207
noname#224207
回答No.6

一般的に言われないのはゴロという面もあるかと思いますが、理屈を付けますと氏族と家との違いではないのでしょうか。 平家物語などで平家と呼ばれているのは平氏氏族の中の国香の系列の常陸平氏から分かれた伊勢平氏の末裔である清盛を中心とした一族のことを指しています。 一方源氏は、元々源を名乗る一族が多く二十一の系統があるとされています。 平家物語に登場する頼朝はこの二十一の一つで武家源氏と呼ばれる清和源氏の末裔です。 この清和源氏は更に河内源氏、大和源氏、摂津源氏とに分かれています。義経は兄弟ですが義仲は従弟に当たります。 家の元は家領という制度に基づいています。 頼朝や義経は形の上では義朝の家領を継いでいますが義仲は義朝の弟である義賢の家領を継いでいることになります。 平たく言えば家が違うということになります。 清盛と対峙した頼朝側はこのように氏族としては源氏ですが各々家が違う人の集まりということになります。 清盛側は忠盛の家領を継いだ清盛の弟や子供達が主体でしたので同じ家に属する人達だったと言えます。 頼朝を庇護した北条氏や千葉氏、三浦氏、和田氏など初期の鎌倉幕府の中心となったのは氏族としては平氏です。 このような視点からしますと、源平合戦は実質的に伊勢平氏と坂東平氏との争いで頼朝は坂東平氏の旗頭として担がれていただけということになります。 軍事的な天才だった義経が都合よく使われていたとも考えられます。 御神輿の鳳凰と山車の太鼓といったら叱られますかね。 鎌倉幕府は頼朝子供である実朝で血族が途絶え平氏である北条氏が後を継ぎ、源氏である新田義貞や足利尊氏等によって滅ぼされています。 以降江戸時代までは氏族よりも家名が引き継がれていました。 徳川家康も源氏を名乗ってはいますが明らかに詐称です。 源氏を名乗る前は藤原氏を名乗っていました。 信長も平氏を名乗りましたがこれも詐称です。 尾張の神官である織田氏の末裔です。 織田氏の出自は不明です。 とまぁ~後年氏族を名乗れるのは藤原氏だけであったということも影響しているでしょう。 元々源平の武士というのは居留地すなわち領地の地名を名乗りとしていました。 全員源のなんとかとか平のなんとかと言っていたら面倒くさいです。 現在でも家族の中では札幌の伯父さんとか鹿児島の叔母さんとかいうのと同じです。

  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率64% (1057/1649)
回答No.5

たしかに源家(ゲンケ)は、平家(ヘイケ)などと違ってあまり使われませんけど、『日本国語大辞典』には源氏の同義語として載っており、「源家に二の剣あり、膝丸鬚切と申けり」(平家物語)、「上野国住人新田小太郎義貞と申すは八幡太郎義家十七代の後胤、源家(ゲンケ)嫡流の名家也」(太平記)など、古くからの用例もあるようです。まあ、あまり使われないのは、おっしゃる通り語呂が悪いからでしょうかね。平氏(ヘイシ)も平家(ヘイケ)のほうが語呂が良いからか、平家に比べて使われていないように思います。

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7249)
回答No.4

源家といわない、という断定はどこから来ているのでしょうか。 言いますよ。 だけど、源頼朝家、源頼信家、とかいくつかの系列にわかれる。 木曽義仲、と言いますけど、あそこは源義仲家という系列の家系図になっています。 要するに他のモノと違ってこの家はいくつかの系統がばらばらに存在したので、いったい誰の子孫だというのが問題になったからです。 そのいくつかの線がそれぞれ争ったり反発したりしたので「仲間じゃないぞ」という家系図になっているわけです。 義経は義仲を倒しその義経を頼朝が殺したというようなやりとりをした家の子孫が1本の線にまとめられることを良しとしないでしょう。 平家は、平清盛を最終頂点とはしましたが、平家を名乗る他の人間たちは結局その他大勢だったでしょう。 家系図は1本なんです。 余計なことですけど、私の個人的なことでいうと、今や苗字は違いますが私は源為朝家の後裔です。先祖のように2メートル超す身長でもなく怪力でもありませんが、亡くなった年寄たちはこの点について非常にこだわっていました。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9602)
回答No.3

tzd78886 さん、こんばんは。 源平藤橘といいますが、これらは天皇から賜る姓氏であり、苗字なのです。だから、源氏、平氏、藤氏、橘氏なのです。

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.2

平家は、タイラなのに、ヘイケですよね? 徳川家も、トクガワケではなく、トクセンケともいう。 そして、源氏は、ミナモトなのに、ゲンジです。 ゲンケとも私の習った高校の先生は、いいましたよ、ヘイケならと。 平氏・ヘイシなら、源氏・ゲンジ。 平家・ヘイケなら、源家・ゲンケです。 実際にゲンケ・・・と入れると、’源家’とでます、文字変換で。

回答No.1

そうですね、     「みなもとけ」 とは余りいわず、     「げんじ」 が多いようですね。

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