• ベストアンサー

アメリカのおつかいに関する質問

現在のアメリカでは安全面を考えて子供のおつかいは禁止されているそうですが、『若草物語』では10歳のベスがおつかいに行っていました。『若草物語』の舞台は南北戦争時代ですが、その頃は子供がおつかいにいくことは当たり前だったのでしょうか?誘拐事件とかなかったのでしょうか?小説を読んで気になったので、質問しました。回答よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.2

どちらかというと、南北戦争後の、西部開拓時代になって、親が意図的かどうかわからないが子どもだけで置き去りにされている「みなしご」(孤児)が増加して、その里親探し活動が慈善団体や敬虔なキリスト教信者によって行われ、20世紀に入ってからそのような「放置」(child abandonment) を法的に明文化して禁止した、という経緯があるようです。 Orphan Train - Wikipedia, the free encyclopedia https://en.wikipedia.org/wiki/Orphan_Train トムとジェリーでも、太平洋戦争近辺の作品では、ベビーシッターがやってきたり、お姉さんにベビーシッターをさせてディナーに出る夫婦の回がありますので、20世紀中ごろには12歳なり13歳未満の子どもを一人だけにしない、という意識が浸透していたのかと思います。

yakitorizuki39
質問者

お礼

法的に禁止されたのは20世紀に入ってからなんですね。なるほど。それまでは自己責任みたいなかんじだったんですかね。回答、リンクの添付をありがとうございました。助かりました。

その他の回答 (4)

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7250)
回答No.5

こどもというのは、慣れないことをやってみて、失敗したり怪我したりして痛い目にあいながら育つのが普通です。 本来の自然はそういうものです。 だから若草物語のほうが当たりまえだったのです。 私らの子供時代は、肥後守という切り出しナイフで鉛筆を削りました。 太い、ギラギラした刃を木のケースで囲っているものでした。 うまくいったかなと触ってみて刃にあたり血を流すなんてごく普通にありました。 当然鉛筆削り専用ナイフというわけでもないから、木から落ちてきた栗なんかをナマで剥くのにも使いましたし、学校の机に名前を彫るなんていう犯罪にも使いました。 だけどそれを振りかざして人のものを取るというやつもいなかったし、それで祖父を刺し殺す人間もいなかった。 いま、「あぶないから」ということでそういうものを持つことを学校で禁止します。 鉛筆はマリオのついた電動削り器にいれれば削れます。 栗なんてナマで齧るやつはいないから「殺菌済み」のポリパックに真空包装されているものを買ってきて食べればいいのです。 学校の備品に傷はつかない。平和です。刃物なんか持つものではない。 だけど、もし地震なんかが起きて部屋がゆがんだときどう行動するかの発想も浮かばなくなりました。 開かないドアに肥後守を差し込んで継ぎ目を削るとか金具を起こすという発想をする以前に、そもそも肥後守がないんです。 名探偵コナンなんていうアニメでそういう目にあったコナンがどうやって助かるかと言うと、通信機でよびかけたりして、結局GPSで発見されて救助されるんです。 ふやけてるな、コナン死んじまえ、と思った人いなかったでしょうか。 結局生き残り能力だとかは実地に体験しないと育ちません。 大概の子は自分で痛い目にあったり怪我したりして覚え、賢く生き残りを覚えたのです。 それを危ないものを持たせない安全教育に徹した結果どうなったかというと。 気にいらないやつをどの程度叩いたりするまでかまわないかが分からないから殴って殺してしまい、河川に放置する。 小遣いの使い方を意見されたので台所の包丁で祖父を刺し殺す。 つきあってくれないから女友達のクビを締めて殺す。 全部、力加減がわからないから死ぬまでやってしまっているのです。 そして警察に逮捕されると「カッとなった」とか言って「死ぬとは思わなかった」というようなまぬけな言い訳になるのです。 問題は死ぬとは思っていなかったほうです。経験がないからその度合いが分からないのです。 昔の映画だったら、若いもの同士殴り合って血だらけでへとへとになり河原にあおむけになって「お前もやるな」と言って親友になるなんてあったものです。 それは殺すまで殴らないという自制がおたがいにきっちり効いていたのです。 いまそれが危なくなっている。 日本はアメリカではないので、おつかいの禁止令なんていう馬鹿じゃないかという法律が成立することはないと思います。 極力、家のお手伝い、おつかいはさせるべきです。 その結果道に迷ったり買い物リストを忘れたり、嫌なことを繰り返した上、いざ親が病気で寝ているときに家族を支えられる能力が育つのです。

yakitorizuki39
質問者

お礼

あまり守り過ぎるのも子供の成長のために良くないかもしれないですね。アメリカは車に子供を放置することを禁止しているそうですが、そういうところは見習っていいのかもしれません。回答ありがとうございました。助かりました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.4

 『若草物語』の初版が出たのは1868年、明治元年です。その頃は、僕生まれていませんから判りませんが、今は都会では見ませんね。法律で禁止されているかどうかは知りません。  今日もカリフォルニ大学ロースクールの学部長が、セクハラで、大学院女子学生に訴えられ、逮捕されていますから、アメリカも変わったわけです。  僕はアメリカで娘を育てましたが、学校の帰りに出くわした恐ろしい話を「今だから話す」とか言われて、びっくりしています。  親父の僕は、口では「なぜその時に言わなかったんだ」とは言うものの、何事もなくてよかった、と40年遅れで安堵の胸を撫でおろしています。

yakitorizuki39
質問者

お礼

アメリカは昔から治安が悪いですが、ここまで過保護になったのは、より危機意識が強くなったということでしょうか。回答ありがとうございました。助かりました。

  • kia1and2
  • ベストアンサー率20% (482/2321)
回答No.3

今でも、車が数台だけしか駐車できないコンビニとか小さな店がすぐ近くなら、お使いで買いに来ている小学校低学年の子供は見ます。精々、料理しているお母さんが、これが足りないからと、軽くて簡単なものだけですが。さすが、スーパで幼児の一人買いは見たことないです。

yakitorizuki39
質問者

お礼

距離が近く、お店が小規模な場合、子供が1人で買い物に行くこともあるんですね。なるほど。さすがにアメリカもそこまで過保護ではないんですね。回答ありがとうございました。助かりました。

  • 92128bwsd
  • ベストアンサー率58% (2275/3919)
回答No.1

その頃の街の環境がどうだったかわからないものの、現在と比べ合わせると当たり前だったのではないかと想像します。 現在は、安全と言う意味では子供を一人で外にだすことはしません。せいぜい家の前の道路で遊ぶくらい。スマホで性犯罪の記録がある人がどこに住んでいるかGPSで表示するアプリがあるのですが、自分が住んでいた近辺で見ても1マイル四方の中に数人いるような環境。またいろいろなところにいなくなった子供の写真が貼ってあって情報を求めています。ショッピングセンターなどに車で言って、短時間であっても子供だけを車の中に残していったら逮捕されます。それに加えて、車社会なので子供だけで買い物にいける距離に店が無いのが普通です。 南北戦争当時は当然車もないので、歩いていける距離に店が会ったに違いありません。街行く人達は顔見知りだったと思います。街で犯罪でも起きれば誰が犯人か分かりやすかったと思います。であれば、日本でも昔はもっとあったようにお使いは普通だった気がします。

yakitorizuki39
質問者

お礼

アメリカは広いので、単純に子供が1人で買い物に行ける店が近くにないんですね。日本でもそんなに遠くには行かせないですもんね。回答ありがとうございました。助かりました。

関連するQ&A