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生きる力と学力は関連するか?
- 生きる力とは他人と関わる力、自分自身で考え、行動する力、忍耐力、物事に対応する力のことである。
- 学力は生きる力とどう関連するかは明確ではないが、一定の必要性があると考えられる。
- 学力は字の書き方や計算能力だけでなく、忍耐力や考える力を養う役割もあると考えられる。ただし、必要性は個人によって異なる。
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1、健康で強い肉体。 2、健全で強い精神。 3、世を渡る人間力。 4、仕事をこなす職能。 5、真っ当な物の見方・考え方。 6、3~5を支える知力・学力。 私は、1~6のどれもが大事であって、どれこれは不要ってことはないと思う。また、医師とか弁護士、あるいは国家公務員を志す者にとっては6の学力・学歴は目指す世界へのパスポートそのもの。それがなきゃー話にならない。だから、「人間力>学力」という不等式が誰にも当て嵌まるってもんでもない。7、8割の人間にとってはそうかも知れないが、そうではないステージに生きる層もいる。 >「学力って何?」と思わずにはいられません。 そもそも、人は{健康で強い肉体}と{健全で強い精神}があれば生きていけるってもんではありません。猿ではありませんので+アルファが大事です。 (1)世を渡る人間力。 (2)仕事をこなす職能。 (3)真っ当な物の見方・考え方。 この三つの力の背景にあって、その質を決定づけているのは紛れもなく知だと断言できます。そして、この知のレベルは学歴レベルに規定されます。 >東大で学ばなければ東大がもたらす知は獲得できない。 もちろん、東大を出ても3に不安を覚えて官僚への道、大企業からの誘いを蹴らざるをえない場合もあり得ます。でも、パスポートそのものは手中にしたと言えます。僅か10数人の中小企業における研究者の道であっても、やはり、それは東大卒という学歴がもたらしたものです。 >「学歴」など全く意味のないことだとしか思えないです。 人生色々、学歴と人生の関係も色々。
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- caf-caf
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子供は可愛いもので、将来どのような職業に就きたいか、漠然と手放しの夢を持っていますね。 我が家の愚息も幼少の頃、ウルトラマンになりたいとか、なんとかレンジャーになるんだと張り切って必殺技の練習をしていたものです。 中学生・高校生くらいになると、物事やら世間やらを少しづつ理解し始め、その夢も変化して自分の進路を具体的に考えるようになりました。 将来の職業がウルトラマンやなんとかレンジャーのままであれば、とりあえず変身ができて、怪獣と戦えるだけの体力やそこそこ強い必殺技があればどうにかなるかもですが、企業や施設などで勤め人をするとなるとそうもいきませんね。 自分がやりたい仕事に就けることは、とても素晴らしく幸せなことだと思います。 なりたいと思っても、そのパスポート(学力や学歴)がなければなれない職業もたくさんありますから、子供が何になりたいか具体的になった時に慌てたり絶望したりしないよう、子供のうちからの学力が必要だと思います。 「>大人になり、仕事をし、子供を持つと、」以下の例は、学力ではなく学歴のお話ですね。 ですから僕は上記回答のとおり、「>学歴を生きる力の観点、幸せの杓子からも全く意味のないこと」とも思いません。 高学歴の悪い例のみ、それ以外の良い例のみを挙げられていますが、性格形成の根本は家庭であって学校ではありませんから、学歴に性格形成を求めて比較対象としていること自体も少々違う気もいたしました。
お礼
ご自身の子育ての経験からのご意見、ありがとうございました。 →学歴は全く意味のないこととも思いません そうですね。 他の方のところでも書かせて頂きましたが、 「全く意味のないこと」とは、かなり乱暴な偏った言い方でした。 改めて撤回致します。 学歴自体を完全否定するつもりはなく、 (主人もいわゆる旧帝国大学卒ですし、私も一応大卒ですし、 自分はともかく、主人は高学歴ですが人間的に尊敬できる人です。) 「勉強さえできればよい」というような 学歴偏重の風潮に問題を感じているので、 つい、学歴ということにムキになってしまいました。 上司や同級生の例は、 学歴に人格形成を求めて比較したかったのではなく、 「こういう人達もいるのだから、 学歴、勉強の出来不出来が全てではないですよね?」 といいたかっただけなのです。
補足
じつは、少し前に 母子家庭や共働きで、なおかつ学童に行っておらず、 夕方子供だけで留守番をしている子供達を対象に 寺子屋的な学習部屋を開きました。 そういう子達は、ともすれば宿題もまともにせず、 親御さんも子供の勉強をじっくる見てやる余裕がない為、 学校の授業についていけていない傾向がありました。 (うちに遊びに来て一緒に宿題をしている時の様子から) 学習部屋をする中で、 標準レベルか少し上まで学力が追いついて来た時に、 宿題が終わったあと、それ以上の勉強をさせるべきか、 はたまた、子供同士で遊ばせるとか、読書をさせるとか、 「勉強以外のこと」をさせるべきか、 色々悩んでいました。 その中で、質問しましたような 「生きる力」とか、「学力」とか、「学歴」 というようなことが頭の中で絡み合いながら浮かんできた次第です。 タイミング悪くパソコンが不調になり、 iPadで文章を打ちましたもので、非常に文章の推敲、編集がしづらく、 低能力に拍車をかけたようなまとまりのない文章になり すみませんでした。 にもかかわらず、 質問を読み回答頂きました皆様に、 この場を借りまして御礼申し上げます。 ありがとうございました。
- weavaest
- ベストアンサー率15% (157/1020)
こういう長ったらしい質問を書かないための力も生きるチカラじゃないですかね。 これってコミュニケーション能力がないってことですよね。それと、この質問を読む人に対する思いやりとか、読んだ人がどう思うかっていう想像力の欠如ですよね。 こうならないために勉強して学力をつけて、その結果が学歴なのだと思います。多少話が飛躍してますけど、そういう事だと思いますよ。 例えばニュースに対して、その内容をどこまで理解できるかってところも、幸せの尺度になりませんか。何かしらのニュースに対して、自分に影響あるのかないのか、あるならどう影響あるのか、どう行動すべきかって判断ができる人とできない人では雲泥の差があると思いませんか。 知識が有ることで、先が読めることもありますよね。それによって利益をえることもあるだろうし、将来を見据えた行動もできますよね。逆に知識がなければ、何でも手探りで不安を抱えながら生きることになりますよね。 つらつらと書きましたけど、そんな人ばかりじゃないって否定することは可能です。あくまで可能性の話です。
お礼
そうですね。 自分の子供は私のようにならないように頑張って育てます。
- princelilac
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学校で読み書きの能力として、児童生徒全員に身に付けさせたいのは、国語力だと思います。他者の意見を聞き、それを正しく理解することのできない人が多いと思います。信じられないかも知れませんが、政治家、弁護士、教師、マスコミなど、その能力に欠けている人が多いと、特に昨今は強く感じます。 自分の意見を述べる力は、職業上必要な人だけで良いと思います。 他者との人間関係を築く力、社会性は学力ではなく、学力以外で身に付けさせたい能力だと、分けて考えています。 対応力まで学校に頼るのは、学校への過大な期待になると思います。就職して、その職種に応じた範囲内で対応できるように経験を積んで成長できることのように思います。その前提となるのが読み書きで、これが学校の責任ではないかと思います。 忍耐力も学校で社会性を身に付けると同時に身に付けさせたいのですが、家庭や成人後の社会でも個人が意識して絶えず伸ばしていくべき人間性の一面であるように思います。
お礼
国語力の大切さは多くのところで言われていますが、 本当にそうだと思います。 国語力は、考える力や、人の話を聴く・理解する力 につながるものだからなのでしょうね。 →自分の意見を述べる力 ではなく、「自分の思い」を伝える力です。 思いを伝える力は、誰しも必要なことだと私は思っています。 →社会性は学校以外で身に付けたい能力 もちろん、学校以外でも身に付けていくものだと思います。 しかし、学校生活の中でも培われていくものだと思います。 →対応能力まで学校に頼る 学校に頼るものだとは思っていません。 しかし、社会性同様、学校でも、学校の外でも磨かれていくものだと思います。 先生が指導して身につけさせるものではないと思います。 たくさんの経験や体験をし、その中で自分で考え、判断し、行動する、 この繰り返しで磨かれていくものではないかと思っています。 →忍耐力 学校でも、家庭や社会でも身につけていくもの。 そうですね。 親であるからか、忍耐力については、 親・家庭 が担う部分が大きいと感じています。 ご回答ありがとうございました
- qwe2010
- ベストアンサー率19% (2193/11074)
子供は、何故勉強するのか、それは大人になり、自分で働いて生活するための能力を身につけるためです。 学校を優秀な成績で、卒業できれば、自分で職業を選ぶことができます。 短時間の労働で沢山のお金を貰える可能性があります。 反面、成績が悪ければ、職業を選ぶことはできませんし、所得も低くなります。 あまりにも成績が悪ければ、働く能力もありません。 勉強をするのは、親のためでなく、自分のためです。 よく勉強して、知識が豊富になれば、騙されること、失敗することが少なくなります。 学校を高い成績で卒業しても、それ以降勉強しなければ、とても知識の乏しい人となります。 この事と、幸せであるかは、別のことです。 子供に一番大事なのは、勉強をする努力をすることです。 この努力ができる人は、頭は悪くとも大人になっても、頑張って生きていくことができます。 幸せに生きていくことができる人です。
お礼
子供に一番大事なのは、勉強をする努力をすること ですか。 そういう考え方もあるかもしれません。 ご回答ありがとうございました。
- 山田 太郎(@f_a_007)
- ベストアンサー率20% (955/4574)
>学歴が高いほど、まっとうな物の見方、考え方ができるのでしょうか? そのようには言っていませんよ。{学歴は知の質を決定づけている}と言っているだけ。もちろん、「知の質の高さ=物の見方、考え方のあり方の善し悪し」ではありません。そのことは、横に置いての話です。 なお、私の考えでは、物の見方、考え方のあり方で最も大事なことは、それぞれのスタンス、立ち位置だと思っています。三角錐も上から見れば円であり、真横から見れば三角。物事ってのは、それぞれの立ち位置で見え方が違ってくるもんです。高学歴であろうと中卒であろうと、大事なのは、どういうスタンスで物を見、物を考えるのか?ここんところで立ち位置を間違えたら、どんなにレベルの高い知的見識であっても無意味・無意義です。 例えば、どんなに秀でた頭脳の持ち主であっても組織の上に己を置く人物は有害な存在。さしたる論客ではないが、常に組織の利益を第一義に地道に努力する社員は、これ宝もの。このように、この《立ち位置問題》以上に大事なことは実社会ではないと思いますよ。 {学歴は知の質を決定づけている}とは言っても、それは言動の善し悪しを最終的に決定するもんでないことは明らかです。まあ、でも、《立ち位置問題》は今回のテーマではないでしょう。 以上、補足しておきます。
お礼
すみません、fーaー007さんのおっしゃっていることを 十分に理解できていなかったようです。 知の高さ=物の見方、考え方の善し悪しではない ということですね。分かりました。 立ち位置の違い、概ねおっしゃりたいことは理解できます。 再度のご回答ありがとうございました。
- kohichiro
- ベストアンサー率21% (306/1447)
NO・4 です。 補足要求のように思いましたので。 >kohichiroさんのおっしゃる「学ぶ力。学ぶ為の能力」とは、 「高校を含むカリキュラムの内容」以外のもの、 という理解であってますか? そう思っていただいていいとおもいます。私の考えるところでは、この↑「学力」は直接カリキュラムには書かれていないけれど、やはり学校で勉強しているうちに身につく、身につけねばならないものだろうと思います。これは先生の教え方や不断の態度にも含まれて、たとえば「ああ、歴史というものは楽しい学問だ。自分も興味が沸いてきたのでもっと勉強したい。」というような学問への好奇心、興味、積極性が出てくるような、そんな雰囲気から(も)知らず身についてくるものではないでしょうか。内田樹という教育者がどこかに書いていましたが、学ぶということは、自分に分からないことが(なんとなくでも)分かっていて、それを知ろう、知りたいという欲求だ、そういう生徒の欲望を掻き立てるのが教師の基本的な役割なのだということです。ちょっと不確かですがそんなことでしたね。これは結構真理だろうと思います。 仰る「生きる力」はその通りだろうと私も思います。この「学力」も2,4などの中に含まれていますよね。
お礼
再度のご回答、ありがとうございました。 『学問への好奇心、興味、積極性を育てる』 本当に、学校が本来のこいう場所になるのが理想的だと思います。 しかし、現場の先生方は、雑務やたくさんの業務に追われて、 本当に多忙をきわめておられます。 多くの先生方は、ご自分の家族や子供との時間、 プライベートな時間を犠牲にして、 学校の子供達のために尽くして下さっています。 もっと、学校の先生方には、時間的、精神的余裕が必要だと思います。 ちょっと論点がずれたかもしれませんが‥‥ ご回答ありがとうございました。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11082/34532)
なんだか乱暴な回答になりますが、「なぜ学力が必要なのかというと、必要だからだ」といえるでしょうね。 もし我々が原始の社会に生きていたらどうでしょうか。生死を分けるのは主に運動能力です。より多くの獲物を捕まえられ、敵から逃げきれる人だけが生き残り、どんなに頭が良くても走るのが遅ければ獲物を捕まえられなくて飢え死にするか、敵から逃げきれずに食われるかのどちらかになります。学力なんて必要ありません。 しかしこの文明社会で生きていくためには学力は必要です。少なくとも小学校卒業レベルの学力がないと日本では生きていくことさえ困難です。一般的には、高卒程度の学歴が求められます。この社会で生き残るためには、「最低限の学力レベル」というのが必要です。 では、最低限の学力があればそれで充分か。そんなことはありません。この文明社会において「成功する」とは、より多くお金を稼げることを意味しているといってもいいでしょう。原始社会における「より多くの獲物を得る」とはヒトの文明社会においては「より多くの金を稼ぐ」ということになります。 この場合、金を稼げることと学力は概ねイコールで結べます。もちろん中には「勉強しかできない」という人もいます。けれども、一般的に高卒より大卒のほうが年収が良く、同じ大卒でも偏差値45の大卒と偏差値70の大卒では偏差値が高いほうが年収が良くなります。 金融トレーダーなんかは、バカじゃ到底務まらないでしょう。お医者さんだってそうです。お医者さんのような沢山の専門知識が必要な職種では、基礎となる学力がなければ高度な専門知識を理解することは不可能です。金融工学を理解することは、掛け算割り算が分からんでは無理なのです。 思うんですが、「たいした学歴もないのに仕事がデキる」って人は、元から頭がいいんですよ。たまたま不幸にも学生時代に上手く学校の勉強システムになじめなかっただけで、もしそのときにその人に合う勉強システムに出会っていたら、人並み以上の成績を残せたと思います。そういう人って結局なんだかんだで勉強熱心じゃないですか。 また「勉強はできるけどそれだけの人」は、たまたま学校の勉強システムと自分が幸か不幸かピッタリ合ってしまったというだけなのだと思います。「4つの中から正解を選べ」って状況に限って強かったってだけです。たまたま人よりおっぱいが大きかったとか足が速かったみたいな感じで、学校の勉強システムに必要とされる能力が秀でていて、そこ以外ポンコツだったってことなのだと思います。だから本質的に頭がいいわけではないと思うのです、ああいう人たちは。だからそういう人たちの中には、大学にでも送って宇宙の重力波を発見するというような「冷静に考えて、それって何かの役に立つんですか?」って聞いたらいけないような研究をさせておいてあげるのが一番だったりするケースもあるでしょう。 またこの世で生き残るためには、学力が役に立つ場合も多々あります。地震と津波に関する知識つまり学力があれば、地震に遭ったときにすみやかに高台に逃げて助かる可能性が高いでしょう。農学に基づいて農業をする人と、経験だけに頼って農業をする人では、学力がある人のほうが多くの収穫を得ることになるでしょう。 学校の理科の授業で、天気の勉強をする。空を見て「雨が降るな」と予想することができれば傘を持って雨に濡れずに済みます。そのおかげで、風邪をひかずに済むかもしれません。こういうのも学力が役に立った典型的な一例といっていいのではないでしょうか。学力があれば、その人の可能性は広がります。ちょっと極論ですが、金融トレーダーは体が頑健なら地下鉄工事の土方もできます。しかし、地下鉄工事の土方が金融トレーダーができるかというと、それはちょっと無理ですねというのはあると思います。学歴が邪魔になるケースは、厳密には学歴そのものが邪魔になるというより「本人のプライド」が邪魔をしているといったほうがいいじゃないですかね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 【社会で生き残るためには、「最低限の学力レベル」というのが必要です】 確かに「最低限の学力」は必要だと思います。 しかし、「社会で生き“残る”」とはどういうことでしょう? それは 勝ち組み とか 負け組み というような捉え方でしょうか。 それとも「社会で生き残る為」=「社会で生きていく為に」でしょうか。 【この文明社会において「成功する」とは、より多くお金を稼げることを意味しているといってもいいでしょう。・・・・この場合、金を稼げることと学力は概ねイコールで結べます】 ここはちょっと納得がいきませんね。 「現代社会においての成功とはより多くお金を稼ぐこと=高学歴」 私が最も反発を覚える考え方です(笑) この図式自体はその通りでしょう。 でも「現代社会においての成功とはより多くお金を稼ぐこと」 ここが??????です。 現代社会で、成功することはたくさんのお金を稼ぐことなのですか? もとい、現代社会で生きる私たちは、皆「成功」を目指さないといけないのですか? 「生きる目的・幸せ・価値あること」を 「成功すること=名誉やたくさんの金を得ること」とするならば、 ↓ 出来るだけ高い学歴を得ることが有効な手段であり、 ↓ より高い学力(いわゆる読み書き計算を意味するもの)を身につけることが必要。 当然こうなるでしょう。 でも、一番おおもとの 「生きる目的・幸せ・価値あること」を 「成功すること=名誉やたくさんの金を得ること」と「ではない」 とする私には、それに続く下の図式は成り立ちません。 でも、今の日本の社会(特に首都圏)では、 eroeroさんのおっしゃるこの価値観をもつ人が多い為に 幼い頃から受験が過熱していくのでしょうね。 昨日も、高校受験の失敗が原因とみられる男子生徒と母親の 心中事件が報道されていました。 本当に胸が痛みます。 受験が全て、いい学校に行くことが全て、いい会社に入ることが全て それしか見えない一本の道の中で、受験の「失敗」は、 人生を絶たれるのと同じ絶望だったのでしょう。 母にも子にも、もっと違う世界が見えていたら、 挫折に耐える心の柔軟性があれば、視野があれば、 苦しい気持ちを分かち合える人、 吐き出す場所、気持ちを癒やしてくれる場所があれば、 苦しい時に苦しいと言える、そんな心の力、勇気があれば まだまだ人生これからの10代の若者が命を絶つなどという悲劇は 起こらなかったと思います。 本当に切ないです。 【沢山の専門知識が必要な職種】 確かに、例えば子供がいる小学校の子供達の何人かが、 医者や科学者や研究者のように、多くの人にいい影響を与える(でないこともあるでしょうが)専門分野の道に進んで行くとしたら、 誰にその芽がでるかは分からないのですから、 皆しっかりと学力をつけていく必要がある、ということになるかもしれません。 もちろん、そういう人が「社会で価値ある人」だということではなくて、 専門分野で活躍しない人は学力いらない、ということではないですが。 【学力があれば、その人の可能性は広がります】 素敵な言葉ですね。 なんだか心に響きました。 先に「将来の選択の幅が広がる」とおっしゃっている方がありましたが、 「その人の可能性が広がる」こちらの言葉は、より素敵です。 「将来の選択の幅」は、つまり仕事ということになりますが、 「人としての可能性」とは、仕事だけを指すわけではなく、 その人「生き方の可能性が広がる」というふうにとれます。 eroeroさんの意図と捉えかたが違っていたかもしれませんが(笑) 子供にも「学力があれば、あなたの可能性が広がるのよ」 こんなふうに言ってやれたら素敵だと思いました。 色々と考えさせられました。 ありがとうございました。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
「学力」は何のために必要だと思いますか。 ↑ 1,頭脳も身体と同じです。 鍛えれば強くなり、鍛えなければ弱くなります。 だから、頭脳を良くするために必要です。 勉強した顔とそうでない顔は違ってきます。 2,学力をつけるためには努力が必要です。 努力することが出来る、という能力を得る ことができます。 大人が子供(社会が子供達)につけてやるべき力、とは何でしょうか。 ↑ 社会に出て、やっていけるだけのガッツと スキルを身につけさせることだと思います。
お礼
学力をつける→努力する能力をつける。 一理はあるなと思いました。 さっそくのご回答、ありがとうございました。
学力というか学歴ですよね。 世間的に学生時の成績が評価されることは無いですから… 唯一それを証明する物というのは学歴になります。 より高度な学校へ進むにはそれなりの学力が必要です。 ではなぜ学歴が必要かというならそれを求める企業が多いからでしょう。 そこそこ高い学歴を持てば将来の選択肢は増えます。 会社に入る為の「入口」として必要なものです。 組織に入ってしまえばご質問の通り学力はそれほど必要とはしないです。 自分は学生が勉強することは「将来の選択肢を増やすため」だと考えます。 例えば絶対的な才能があってアスリートを目指すとかなら選択肢は要らないのです。 一生それで食えるようなそんな才能がないないからこそ選択肢が必要なのでしょう。
お礼
将来の選択肢を増やす為 たしかにそれは大きな意味合いがありますね! ご回答ありがとうございました。
- kohichiro
- ベストアンサー率21% (306/1447)
「学力」を定義する必要がありますが、ご質問の内容を考えて、まず 「(高校を含む)カリキュラムの内容」ということにすると、社会に出て一般人の集団になじみ、家族をまとめ一家を経営し、また一般企業に就労するために必要な知識、知的な能力、技能」ということになるかと思います。 日本の義務教育はその点では世界でもレベルが高いといわれます。現代社会、特に企業の仕事はどんどん高度化複雑化していますから、もちろんそれらの企業特有のスキルは、そこに入ってから企業内教育で身につけていくわけでしょうが、たはり基本的な知識、特に数学などが身についていればそういう職場の要求にもはやくついて行けるように思いますが、基礎になる教育現場で教える知識やスキルも社会の要求に伴ってより高度なものを取り込んでいかねば成らないのではないかとおもいます。 これは私の考えたことではないのですが、「学力」には上記の考えのほかに、「学ぶ力、学ぶための能力」といった解釈も可能だと思います。社会でも、職場でもそうですが、ひとはただ面前する義務的な問題に受身で対応するだけではなく、それを攻撃的に、問題を先取りして必要以上の幅広いスキル、高度な知識を身につけるためにはどうするかということ解決する、学んでいく能力という考え方もあるということです。個別の問題について、これは何処に行けば答えがみつかるかというようなことです。もちろん狭義にはネットで検索すればそれでいいではないか、ということになるのかもしれませんが、どんな問題のこたえもネットに存在するわけではありません。自分で問題を見つけて、それを解決するための力ということだろうと私は思います。 ご参考になれば。
お礼
学ぶ力、学ぶ為の能力。 これはとても大切なものに思えます。 kohichiroさんのおっしゃる「学ぶ力。学ぶ為の能力」とは、 「高校を含むカリキュラムの内容」以外のもの、 という理解であってますか? であっているのならば、 学ぶ力。学ぶ能力はどこで養われるものだと思われますか? 文章の理解が間違っていたらすみません(汗)
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お礼
確かにそうですね(汗) 「学歴など全く意味のないこと」などというのは 「学歴が全て」というのと同じくらい乱暴で偏った言い方でした(汗) おっしゃることはなんとなく理解できますが、 「この3つの背景にあるのは知でありその知のレベルは学歴に規定される」 ここはやや納得いきません。 学歴が高いほど、まっとうな物の見方、考え方ができるのでしょうか? かなり納得がいきません。 それならば、学歴の高い政治家がたくさん集まっている日本の政治は もっとまっとうであるはずだと思うのですが。。。 学歴はなくとも、まっとうなものの見方、考え方の出来る人は たくさんいると思います。
補足
いえ、実際に政治を動かしているのが官僚だと考えるなら、 政治家が、というよりも、 超高学歴の官僚さん達は、もっと真っ当なものの見方・考え方が できてもよいんじゃないんですかね? 自分たちの利権争いに必死で、 国民のことなどこれっぽっちも考えていない。 (そうでない人もおられるでしょうが) それとも彼らは高学歴ゆえに、私たちには出来ない 「真っ当なものの見方・考え方」ができて、 私たちには理解不能、ということでしょうか。 そもそも「真っ当なものの見方」なんて、 それぞれの価値観で180度でも変わる訳ですから、 (例えばある人の価値観では“戦争は悪“であるのが真っ当なものの見方であり、ある人の価値観では“戦争は正義“であるのが真っ当なものの見方、という具合に。) そう考えれば 真っ当なものの見方・考え方が出来るかどうかの判断は 誰にもできない、ということにもなるかもしれませんが。 すみません、妙に噛み付くようなコメントになってしまいました(汗) 不快に思われましたらごめんなさいm(_ _)m