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アニメの「おそ松さん」のおそ松兄さんに憧れて、どう
アニメの「おそ松さん」のおそ松兄さんに憧れて、どうやればあんなふうになれるだろうかと思っています。 「それでいいのだ」とありのままに受けとめて、ボジティブに考えて、背中ポンと押して もらえたら、どれだけ楽になるだろうかと思って、今の自分と比較して嫌になります。 人それぞれいろんな価値観葛藤があり、情報化社会の中であふれる程沢山ある情報の中で、どれを選択し行動していけばいいのか、自分で考えて、決めて、自信を持って行動して生きていきたい。 けれども、自分の未来の事を考えると、「これでいいのだろうか」と深く悩んでしまう。 石橋を叩いて壊して渡ることさえ出来ない自分。 それを変えようと思って、昨年は「自信」を持つことを頑張ってきたつもりです。 けれど、自分が変わりたい姿に変わることで、周りの環境に対する見方も変わり、今までの価値観や考え方を変えないといけない、アイデンティティクライシスに陥ることがしばしば有り、なかなか計画どおりにイケナイ面も多々ありました。 ほんの少しの小さな変化ですが、自分の意見を言える事(もちろんアサーティブな態度で相手を尊重しつつも曲げられない所は自信を持って無理だという、言われるがままからは脱却) 困ってる人を助ける事(電車で高齢者、障害者、妊婦に席を譲る。その他困ってるなぁって人や友達など悩みがある人の助けになるようなこと)も今までは、迷惑に思われないだろうか、変に思われないだろうか、そう思って葛藤する内、行動する前に助ける機会を失う事が無くなり、さっと手を出せるようになった。 人ともっと親密になりたいと思えるようになった。(今までは傷つきたくないから距離を取る。嫌われたくないから秘密主義→上辺だけの交友関係でしたが、もっと仲良くなりたい、自分を知って欲しいし、人の事を知りたいと思って、人との関わりに否定的なのが肯定的に)→友達も増えた 過去の失敗を受け入れられるようになった。これはやり直せない過去に目を向けすぎず、かと言ってそらしすぎず二度とくりさないことに目を向けることをするようになった。 弱い自分の1面を認められるようになった。 プライドを捨てて困った時に頼ったり、頼られたりを繰り返すようになった。 社会や人の世に対する否定的な気持ち→そんなに悪いものじゃないと思うようになる。 けれど、そうした変化の中で、なかなか思い悩んで、苦しんだ一年でもありました。 僕はおそ松さんのキャラクターの後ろにある自信に憧れます。 社会的立場はニートで、ギャンブル依存などある彼ですが、でも自信アリありで、行動力や発言の力はある。それが羨ましい。 根拠の無い自信というのは、根拠の無い未来への漠然とした不安に有効なもので、それは自分は手にしたい。 自信過剰ではダメだけれど、ボクはそれが圧倒的に足りない。 だから憧れるんだと思います。 ギャグにそこまで感情移入して感じるのはどうなのかなとも思うけれど、すごく憧れます。 どうやったらあんなになれんだろうかと悩んでいます。 もう少しで大学1年が終わってしまいます。卒業までにあんな人になれたらいいのにと思います(´•ω•`)
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おそ松兄さんの考え方は確かにとても心広いと私も思います。 兄弟がどのような振る舞いをしても「お前はお前でいいんだよ」と言い、私物を使われても兄弟だからと許し、兄弟のいいところ、わるいところを感じ取って、いい方向にさりげなく持っていく、という点で、です。 それは彼が(2話で全力否定していましたが)長男であるという立場を、よくもわるくも利用しているからでしょう。『おそ松くん』でも悪巧みを考えるのはいつもおそ松が最初で、兄弟から『さっすがおそ松、長男だけの事はある!』と言われることもありました。 自身で「お兄ちゃん」と自称する彼は、自分を「お兄ちゃん」であると言い聞かせて活動しているのではと、私は思います。 このお兄ちゃんである、という意識は、彼を「兄は弟に優しくするものだ」という行動をさせていると思います。 「皆同い年だから!! 長男とかないから!!!」といいつつも、最終的には「俺、長男だからな……」と自分を見直せるのも、彼の中の「お兄さん像」でしょう。 実際、お兄さんお姉さんとして家族の中で育った人間は、年下の面倒を見やすくなり、異性の年下と恋愛関係において上手く行きやすいらしいです(あくまで噂ですが) おそ松兄さんが目標、いいじゃないですか。 自分はおそ松兄さんの心を持っている、と思い、おそ松兄さんが兄弟にするならばどうするか…を考えて行動をしてみたらどうでしょうか。 思い込みが大事だと思います。 ただ、やりすぎるとニューおそ松兄さん登場のように総スカンを食らってしまいます… そこが難しいところですね。しかしそれこそも笑い飛ばせる「これでいいのだ!」を身につけてください。無理だけはしないように。
- eroero4649
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人間というのは、そういう自分にないものを持つ人に憧れるんだと思います。 私が憧れてやまない人は、賭け将棋師だった小池重明という人です。いわゆる破滅型天才という人で、アマチュアがプロに絶対勝てなかった時代に「プロ殺し」の異名をとるほどプロもやっつけ、特例でプロ入りする声が上がるもののあまりに素行が悪すぎてなれなかった人です。人妻との駆け落ちが三度、借金をくり返して揚句に寸借騒動を起こしてアマチュア棋界からも追放されたような人でした。最後は酒で肝臓を壊し入院した病院で点滴を自ら抜いて死にました。周囲を自分を憎むやつに取り囲まれた場で、勝てば10万円、負ければ即追放というどプレッシャーの場面で相手を返り討ちにするなんてのは痛快というか、なんというか。 しかしそんな私は破滅するほどの度胸もなければ、その破滅をフォローして余りあるほどの才能も持ち合わせていません。天才がなければ、破滅しても単なる愚か者にしか過ぎません。 質問者さんも同じで、自分と全く逆のタイプに憧れるのでしょう。しかし、それは自分を変えるためにいいことだと思いますよ。質問者さんはいつか気づくことでしょう、「俺はやっぱりおそ松さんにはなれないんだ」って。でも、それに気づいたときは質問者さん自身もそれなりに成長し、自分なりの方向性を見出したときだと思います。また、いつまでも今のままでは通用しないと自分でも痛感したから変わろうともしていると思います。いいんじゃないかしら、そうやって悩みながら試行錯誤をしていけば。失敗しながら学ばないと自分の血や肉にならないですからね。今の若い子はみんなコスパとか効率とかにこだわるけど、無駄なことが無駄じゃなかったってことは人生結構あるんですよ。