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恋愛や結婚に対する教育はできないのですか?

人は、愛も幸せもやがて慣れ当たり前になり感謝を忘れやすく、 当たり前を支える者の苦悩苦労が報われ難くなり心が離れて 不満や要求を口にすれば自分も不満や要求をされて嫌な思いが増える。 負の感情を悪循環させる両親を見て育った子供が 結婚に失望したり異性を神経質に疑う事で信頼関係が築き難くなり 非婚や晩婚の根っこになっている事すらある。 少子化を社会問題として色々対策している様子ですが、 なぜ恋愛や結婚に対する教育の話はあまり見かけないのでしょうか?

みんなの回答

  • doraneko66
  • ベストアンサー率11% (535/4742)
回答No.1

それは日本文化が、西洋かぶれの文化、教育、習い事になっちゃっているからだと思います。 古来なら、お寺などで学習している場合、かなり厳しい礼儀作法があり、さらに慈愛など精神的な話まで多く学ぶ機会があったと思います。 それが段々と政府主導の教育倫理を学ぶことや神道、無宗教になっている日本では、一部の西洋の風習だけ真似して根本にある理念や概念を知らないからだと思います。 アメリカであればキリスト教がほとんどですが、教会に行って牧師の話を聞く風習があり、理念や概念の中に愛について良く話をされると思います。 韓国とかも儒教とキリスト教が、ほとんどでその教えを聞く機会を子供の頃から与えられていると思います。 けど、日本では七五三や初詣程度の習慣しかなく、お賽銭払ってお参りする程度のことしかしなくて、自ら興味ある人くらいしかお寺の話を聞きに行く人はいません。 お寺に行き話を聞く習慣なんか、葬式くらいなものでほとんどありません。 だから、薄っぺらいことしか知らない日本人は、慈愛などの精神論なんか根本的に学ぶ機会がありません。 そうすると人それぞれ考え方が違く、学んでいることも極端になります。 下手な悪魔みたいな宗教の教えにしたがったり、親の言うことが絶対であったり、テレビを鵜呑みにしたり、~100人程度の多数派の最近の意見が正しいと思ったりするわけです。 古来からある教えの良いところをきちんと引き継いでいたら、下手な連鎖にはならなかったかも知れません。

noname#228046
質問者

お礼

人は今必要ではない情報は覚えないで忘れる。 必要であっても人はよく曲解したり表面的に実践し失敗する。 そして思い通りにならなかった責任転嫁だけはしっかりやったりも。 また、 教える者が仕組みや背景をよく理解していなければ、 自己解釈を付け加えたりと元の情報は簡単に劣化や湾曲を起こす。 そして、 耳障りの良い好都合な言葉の方が早く広まりつつ変質や劣化も早い。 最初の発案者の意図とは違う解釈と言葉になり果てているのに、 変質し劣化した言葉の弊害を浴びた人は発案者を象徴的に憎む事もある。 そもそも、 何事もあまりに多面的で複合的で捉え方に正解は無い。 何を選択しても恩恵と弊害があり、視点を変えればそれすら覆る。 よって何事も自分の都合の良い様に解釈する事ができるが、 その解釈が招きやすくする結果は自覚し難い。 なぜそうした方が良いか理由を納得させられなければ、 ただの結論では納得しない人は山の様に居る。 そして自分の行いに罪悪感を抱きかねない不安が拒絶や嫌悪すら生む。 大昔から世界各地で似たような発案がされた様子なのに それが劣化している背景には色々あるのでしょうね。 結果として我が子が血を残さず淘汰に繋がる選択に至った者が消える。 生きる問題は多岐で個々に合ったバランスが大事という事に過ぎないなら 無機的に一辺倒に教える事にはあまり意味が無いのかもしれませんね。 ご回答ありがとうございました。 一般人まで教育を受けられる時代になってまだ浅いですし これからなのかもしれませんが。

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