• 締切済み

昔、肉をを食しないのになぜ牧場があったの?

新宿牛込の歴史をしらべていたら:「文武天皇(701~704)の時代、現在の東京都心には国営の牧場が各地に置かれました。早稲田から戸山にかけた一帯は、牛が多かったので牛込と呼ばれて、この元赤城神社一帯は、牛の放牧場でもありました」と記されていました。牛やチーズを食べたり、牛乳を飲んだりしなかったのになぜでしょうか?

みんなの回答

noname#224207
noname#224207
回答No.6

牧場→牛→牛肉という発想は現代のものです。 古代には牛の需要といいますか飼育目的が違っていました。 >牛やチーズを食べたり、牛乳を飲んだりしなかったのになぜでしょうか? 仏教の殺生戒を基にしてお考えかと思いますが、仏教でも乳製品は禁じてはいません。 乳製品まで忌避されるようになったのは日本仏教特有のもので鎌倉時代以降です。 醍醐味という言葉を御存知ありませんか。 乳味・酪味・生酥味・熟酥味・醍醐味を五味と言います。 醍醐というのは現在のチーズのような物のことです。 経典の一つである涅槃経にも「牛より乳を出し、乳より酪(らく)を出し、酪より生蘇(しょうそ)を出し、生蘇より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐を出す、醍醐は最上なり。もし服する者あらば、衆病皆除く云々」と書かれています。 平安時代半ばまでは、朝廷など上流階級では牛肉は別として乳製品は食べられていました。 乳製品は貯蔵が難しいことから日本では普及することはなく廃れてしまいました。 参考 古代の珍味「蘇(そ)」を作ってみました。 - DTI www.maroon.dti.ne.jp/toki/heian-so.html 京都の時代祭りや古い絵巻物にある牛車を御存知ありませんか 日本では古くから馬がひく馬車ではなく牛がひく牛車が使われていました。 皮革は武具の素材として不可欠なものでした。 「犂」という文字を御存知ありませんか。 鋤と同じ農具で、土を掘り起こすさいに牛にひかせていました。 長床犂と呼ばれます。 農耕に馬を使うのはずーと後の時代です。 つまり、文武天皇の時代には国営の牧場を設けるほど牛の需要があったということです。

  • nijjin
  • ベストアンサー率27% (4811/17776)
回答No.5

牛肉は食べられていましたよ。 滋養強壮の薬などと称して食べられたり獣肉屋があったりと大っぴらではなかったが食べる文化はあったようです。 また、位の高い侍(大名?)は牛肉のみそ漬けなども食べたそうです。 真意はともかく井伊直弼が暗殺されたのは井伊家が水戸徳川家に対して牛肉の献上を止めたからという話もあるぐらいです。 徳川吉宗は外国人獣医から牛乳やバターが馬の治療に良いとすすめられ、牛数頭をインドから輸入し千葉の牧場で飼育させたという話もありますし 牛乳から作った蘇を将軍や大名の善に供え、滋養強壮剤としてたいそう珍重されたとう話もあるようです。 他にも江戸末期には牛の飼育と搾乳も行われ牛乳の販売も行われていたようです。

  • info222_
  • ベストアンサー率61% (1053/1707)
回答No.4

文武天皇(701~704)の時代といえば飛鳥時代の後期です。牛や馬は縄文・弥生時代に大陸からの稲作伝来にともなって日本に入ってきて、古墳時代に続き、飛鳥時代・奈良時代と、馬は乗馬用、牛は農耕用、荷役用として飼われたようですが、牛は、食肉用以外に毛皮用、牛乳と加工品、内臓は薬用としても用いられています。牛肉の食用は農繁期の農耕用牛が不足するような事態や大陸から伝来した仏教思想の影響もあって、飛鳥時代末期に食肉禁止令が出され農繁期には特に食肉を厳しく取り締まったようです。その後も何度も食肉禁止令がだされているのは、余り効果がなく禁を破っての食肉の風習も残っていたようです。食肉に供さない牛の自然死(老衰死)も含め、食肉禁止令下でも、貴重な牛革を取るため、牛皮利用や牛の内臓に薬用利用もかなり行われていたようです。

noname#230414
noname#230414
回答No.3

室町時代に武家の力が強くなり、領地を持って米の増産に励むようになり平地や山は開墾されて田畑となり、牛は農耕用として堆肥作るために牛が使われるようになり、また牛は田畑の耕すためと、物を運ぶ役目にも使われて食べるものではなかった。 乳は色々加工していたようです。 江戸時代に入り肉販売の初めての店、ももんじ屋「百獣屋」 江戸近郊の農民が鉄砲などで農害獣の猪・鹿を江戸川を利用して江戸江運び、その他犬・兎 猿・牛肉・馬肉等を肉食さっせたり、売っていましたが、表向きは獣食忌避がありましたのでこれらを「薬食」」として鹿肉を紅葉・猪を牡丹・馬肉を桜・として獣肉は食べ物でなく 薬として黙認されていました。 牛肉は、「反本丸」として味噌漬として売られていました、大石内蔵助の大好物。

  • ayzm
  • ベストアンサー率17% (187/1096)
回答No.2

私は歴史が苦手なので、どの時代なのか知りませんが、日本に馬がいた時代はそんなに古くないです。 だから昔は牛が交通の手段であり、農作業の主役でありました。 だから国営の牧場があっても不思議ではないように感じます。 上流階級の人は、牛舎で移動していましたから、女性が好きな人を止めるために、入り口に盛り塩をして牛を玄関先で止めるためだと聞いています。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.1

>昔、肉をを食しないのになぜ牧場があったの? 推測すると・・・<順不同> ◇農耕用に利用する牛馬を飼育や係留 ◇輸送<牛舎・荷駄用馬車> ◇戦闘用<騎馬軍団・輜重部隊・倶利伽羅峠の故事> ◇隠れての食料用、乳飲料、医薬用の滋養強壮剤 等があったのではないでしょうか。