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源氏物語 須磨 敬意の方向
源氏物語の須磨で、 「このごろ上手にすめる千枝、常則などを召して、作り手を仕うまつらせばや。」 という場面がありますが、このなかの《召し》《仕うまつら》についてです。 授業では、《召し》が尊敬でセリフを言ったお付きの人→千枝、常則《仕うまつら》が謙譲でお付きの人→源氏 と習いましたがなんだか納得できず、授業でやったのが結構前なので間違えてノートに書いたかな?と思い質問しました。 これで合ってるでしょうか。 普通に考えたらこうなりますが、千枝と常則を召すのに敬意の方向が千枝と常則に向くのがいまいち理解できません。
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「作り手」は手元にある本には「作り絵」とあります。墨の線で描いた絵に彩色すること、だそうです。 召す 「呼ぶ」の尊敬語 源氏が 千枝・常則を 呼び寄せる。 つかうまつる 「仕える」の謙譲語 千枝・常則が 「作り絵」師として 源氏に お-仕え-申し上げる。 つまり〈千枝・常則などを召して、(彼らが)作り絵を仕うまつる〉ということが実現すればいいと「お付きの人」は願っているのです。そこで「ばや」という助詞が付くことになりますが、この助詞は話者自身の動作内容が実現することを望むときに使える助詞です。従って「源氏ガ召さばや」とか「千枝・常則ガつかうまつらばや」とは言えません。そこで上記の〈千枝・……仕うまつる〉全体を一つにして末尾の動詞に使役の助動詞を付けて「お付きの人」を動作主体に転換して、 〈千枝・常則などを召して、(彼らに)作り絵を仕うまつら〉せばや 「千枝・常則などをおよびになって、作り絵師としてお仕え申し上げ」させればいいのにねえ となるわけです。