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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:長崎奉行と長崎探題、どう違うのか?)

長崎奉行と長崎探題の違いについて

このQ&Aのポイント
  • 水戸黄門のエピソードで登場した松山藩初代藩主、松平サダユキが就いていた長崎探題について質問したい。
  • タルトの由来についての説明で登場した長崎探題と長崎奉行の違いについて教えてほしい。
  • 演じる俳優が心地良い演技を楽しめる水戸黄門のエピソードで質問したいのは、長崎探題と長崎奉行の違いについてだ。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kuzuhan
  • ベストアンサー率57% (1585/2775)
回答No.4

#1に補足が付いていたので。 基本的に「時代劇・水戸黄門」で出てくる上級武士(大名など)は実在した人物であることが多いです。(流石に一般民衆や下級武士や「成敗」される人物は創作上の人物であることは多いですが) 水戸黄門(水戸黄門漫遊記)元々は明治初期に成立した講談である説が有力ですから、 松平定行は実在した人物です。 久松松平家の一族で、戦国時代は徳川に付いた久松家の子孫に当たります。家康の生母の夫が久松氏であったといわれており、そのことから「松平」を名乗ることを許されたそうです。 史実の定行は遠江掛川藩主、伊勢桑名藩主を経て伊予松山藩主になったという経歴を持ちます。そして伊予松山藩主時代に長崎探題を兼職しています。なお、伊予松山藩主としては厳密に言うと加藤家、蒲生家が先に入封しているため3代目になります。「初代」なのは久松松平家の藩主としての初代になります。 長崎探題職には1644年に就任し、1646年ごろにポルトガル船の接近で長崎に直接出向いた記録があります。この長崎に出向いた際に知ったロールケーキの製法を持ち帰ったのが松山の銘菓「タルト」の起源といわれています。 定行自身は1668年、82歳で死去しています。 一方で「水戸のご老公」水戸光圀も実在の人物で、常陸水戸藩の2代目藩主です。1690年に藩主から退いて隠居し、権中納言になっています。つまり、これ以降が光圀が『ご隠居』と言われる「時代劇・水戸黄門」の時代設定です。また、光圀自身は諸国漫遊をしたという史料はありません。(藩主時代に蝦夷地への探検を指示したり、死去まで歴史書の編纂を行っていたり、配下を各地へ派遣したりはしています)光圀は1700年に71歳で死去しています。 創作の時代設定としても「タルトの製法」が松山に持ち込まれた時期と光圀の隠居時期の問題はありません。ただし、愛媛銘菓としてのタルトは明治期に入ってから松山に広まったものなので、その頃に一般民衆が「タルト」を口に出来ていたのかまでは定かではありません。

80568410
質問者

お礼

詳しい回答、有難うございます…。 「補足分も含めて、2回も回答して頂いたので、BAにしたい」と、思います。 又、質問した時は、よろしくお願い致します…。

その他の回答 (3)

  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.3

>タルトの部分は、分かればで構わないが、歴史による由来的から見て、どうなのか? 地元松山では、「松平定行が長崎から伝えた」事が定説になっていましたね。 松平定行が食べたのは「ジャム」でしたが、松山ではジャムが無いので「餡子」にしたとか・・・。 >この長崎探題だが、長崎奉行とは、どう違うのか? 他にも回答がありますが・・・。 長崎奉行は、幕府直轄地を治める役職(内政)です。 今で言うと、県知事兼警察本部長ですかね。 長崎探題は、幕府の諜報機関(防衛)です。 今で言うと、税関・公安・海上保安庁・自衛隊ですかね。 ※自衛隊といっても、事件が起きた場合は近隣諸藩に出動命令を出します。 竜馬も遊んだ長崎遊郭女郎は、(時代は異なりますが)添付資料と同じで「民間人の募集」でした。もちろん、カネの為に「身売り」した遊女もいましたがね。強制では、ありまsでん。 ですから、遊女は「謝罪しろ!賠償しろ!」とは言いません。^^; 昭和の時代。陸軍2等兵の月給が7円の時に、遊女は300円の高級取りですよ。^^;

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  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.2

80568410さん、こんばんは。 長崎奉行職というのは遠国奉行の一つで旗本の役です。長崎探題の探題の意味は軍事的・政治的に大きな言々を持つ大名役のようです。 探題 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A2%E9%A1%8C 長崎奉行 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%A5%89%E8%A1%8C

  • kuzuhan
  • ベストアンサー率57% (1585/2775)
回答No.1

松平定行は初代の伊予松山藩主ですね。 長崎探題と長崎奉行は扱う事業が異なります。 探題は「幕府直轄の軍事及び外交を取り扱う」役職です。今で行くと自衛隊の方面部と外務省のxx支部や支局のようなものです。 奉行は「幕府直轄の政務を取り扱う」役職です。今で行くと県知事で最終決定権が幕府に帰属しているようなものです。 江戸時代に置かれた探題は長崎ぐらいだったと思います。松平定行氏は伊予松山藩主と長崎探題を兼職しています。軍事的に警備を敷いたり、外国人の出入りを抑制したのは長崎探題としての松平氏です。 一方で、奉行は直轄地、いわゆる天領での政治を行っていた役職です。こちらは体内的な役場、警察、消防などの公的な部分を扱っています。天領は藩主といった「責任者」がいませんから、幕府お抱えの人物に任せます。本来、奉行に最重要決定権はない(最終的決定権は将軍にあって、その手前に老中などがいる)ので、テレビドラマの「遠山の金さん」(江戸町奉行)のように「その方らは打ち首!獄門!」などと勝手に死罪を申し渡すことは出来なかったりします(一定以上の罪でこいつは打ち首!となったら、幕府にお伺いしなければいけません)。 要するに探題は「軍人職」、奉行は「役人職」と考えればすっと落ちると思います。

80568410
質問者

補足

回答、有難うございます。 「佐野さん扮する、黄門様が、高橋さん扮する、八兵衛に対して、質問への回答の中で言ってた、松平定行は、実在する人間」と見て、良いでしょうか?

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