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『無償の善意』は善か、悪か?
このコミュニティーに『無償の善意』といものがあるとは思いますが、『無償の善意』は善でしょうか?悪でしょうか? 『教えてあげよう』ということ自体は『無償の善意』なのでしょう。しかし、答えが間違っていれば、結果的には悪になることもあるとおもうのですが、いかがでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
「無償の善意」でも「有償の善意」でも善意に関しては善の気持ちから出たものです。 この言葉に、あえてこれ以上の意味は与えて善悪と正誤を結びつける必要はないのではないでしょうか。 「答えが正しくないことがある」というのは別の問題として考えるのがいいかと思います。
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自分も『無償の善意』はないと思っています。例えば答えたからといって、金とかアリガトウポイントなどを貰えない場合、『教えてあげよう』はいかにも『無償の善意』みたいに見えますが(←見えないかな?(^^;))、そこには相手に対する優越感という『有償』が見えます。しかしそこを前提にするなら、また別の行き方もある気がします。 いかに『無償』に見えようと結局は自分のために、自分の満足ためにやっている事を自覚している人は、そのままでは何も発言しない事になりますが、そうもいかないケースもあるでしょう。そういうケースに対する良い言葉がありますよ。 ・義を見て為さざるは、勇なきなり. (1) (1)に従って結局勇を為したけれど、「結局は自分のために生きている事を自覚する人間」は「お礼が欲しい」などとは、口が裂けても「こっ恥ずかしくて」言えないはずだ。 ・・・まぁ~、そういう人がいて欲しい。 ※ちなみに自分は、アリガトウポイントもベストアンサーも欲しい(^^)。 しかしそういう事に気づいていないケースは多い。そういう時に、明らかに善意を感じる(少なくとも敵対心は感じない)ので苦慮する時もある。 それを「ありがた迷惑」「大きなお世話」という。これらの多くは、誤解や思い込みから来ている。その事を相手に告げると、激昂される事もある・・・(^^;)。
お礼
ご回答いただきまして、ありがとうございます。 質問にもよりますが、私善意で回答しているものもありますよ。 例えば、『肩こり』関係とか。 肩こりって、結構つらいんですよ。アドバイスして、多少なりとも質問者の方が楽になればね、良いと思うんです。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11082/34531)
それは「相手を間違った方向に導いてやろう」と思ってやったことではないので、悪とはいわないんじゃないですかね。「悪意」はないじゃないですか。 例えば恋愛相談で「脈はあるでしょうか?」と質問があって、回答した人が「脈はない」と回答して、質問者がそれを読んで諦めて、実は脈があった場合はその回答した人は「悪」になりますかね?「結果として間違った回答をしたのだから、悪だ」というのなら、「真に客観的な状況を書かなかった質問者には責任はないのか?」ってなりますよね。私も回答していてよくあるのが、回答をしたらそのお礼や補足で後出しですごく重要なことを書かれることです。「それを聞くか聞かないかで全然違うわ!」って。 「もし間違った回答をしたならば、そのような回答を導く質問にそもそもの問題と原因がある」ともいえるのではないでしょうかね。
お礼
ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >回答をしたらそのお礼や補足で後出しですごく重要なことを書かれることです。「それを聞くか聞かないかで全然違うわ!」って。 それ、、、良くありますね。 でも、今回の質問といたしましては、一次的な質問に対しての判断できる回答で良いと思います。 その上で、、、、 No.1の回答者が『無い』といい、 No.2の回答者が『有る』という。 No.3の回答者が『有る』といい、その根拠などを提示する。 こういうパターンにおいて、No.1の回答者はもう少し良く考えるか或いは回答に対する下調べを行えば『有る』と回答していたかもしれません。
- Nebusoku3
- ベストアンサー率38% (1466/3827)
『無償の善意』は善か、悪か? ⇒ 善であり、悪でもあると思います。 又、情けは人の為ならずに通じる部分もあると思います。 >『教えてあげよう』ということ自体は『無償の善意』なのでしょう。しかし、答えが間違っていれば、結果的には悪になることもあるとおもうのですが、いかがでしょうか? ↓ この場合も、「善であり、悪で」 あると思います。 何故なら、正しい答えを貰って喜んでいる人もいらっしゃるでしょう。でも、そのことで、貴重な体験(自分で勉強をすること)を奪われたかもしれません。 又、間違った答えを貰って、そのことで失敗し、痛い目にあったとしても、その方は人生の貴重な体験をし、自分の心づもりの1ページにそのことを貴重な体験として書き込まれたと思います。 よって哲学的な答えとしては、「善であり、悪である」 でしょう。
お礼
ご回答いただきして、ありがとうございます。 >この場合も、「善であり、悪で」 あると思います。 質問をするということは、何かについて疑問を持っているか、何かについて知りたいから質問をするわけです。ということは、その回答としては“正しい回答(情報)”をいただきたいのだと思います。 いずれの回答にせよ、回答をするためにある程度の時間はさかれるわけで、回答をいただいたということに対しての感謝の意(お礼)というものは、回答者に等しくあると思います。 その上で、回答の内容が間違えていたり、いい加減な内容であれば、質問者の期待に背くわけです。 回答をいただいてからの判断や手法については、質問者によるものなのでそれを問うてもしょうがないので、ここでは考えておりません。 【以下の部分です】 >でも、そのことで、貴重な体験(自分で勉強をすること)を奪われたかもしれません。 又、間違った答えを貰って、そのことで失敗し、痛い目にあったとしても、その方は人生の貴重な体験をし、自分の心づもりの1ページにそのことを貴重な体験として書き込まれたと思います。 要は、回答者として回答することは『善』ととらえても、回答内容については嘘を教えてしまうのではないか、ということです。
- mezoriso81
- ベストアンサー率18% (13/72)
答えっていきなりでないものが多いです。 変化の多い世の中だと、以前の世間の認知、常識や自分の考えですら良く知らなかったなどというのが多いです。 でも、答えが出ていない中こうであろうがあり、その上にまたこうであろうなんてあると思います。 時代がゆっくりすれば正確になりますね。 たとえば、SNSの功罪はなんてしばらくやっていて、それの考察や研究結果などさらに待たないといけません。 無償の善意であればそれは善でしょう。 でもそれは ウィリアム・ジェイムズ の「宗教的経験の諸相」 「健全な心」「病める魂」 で議論でそれ以上しりません。 いろんな意味で回答されていると思います。
お礼
ご回答いただきまして、ありがとうございます。 a.ここに困っている人がいる→私が答えて(教えて)あげよう→回答する これは、『無償の善意』だと思います。 b.なんか質問が投稿された→こいつ馬鹿じゃね→ひやかしてやろう これは、『無償の善意』ではないと思います。 この際、bはどうでもよいのですが、aの場合でも回答が間違えていれば『善』の行為が『悪』にもなるのではないですか、、、という質問です。 もちろん、世の中白黒付けがたい問題もあるわけで、そういったことについては『回答を参照にする』ということになるのだと思います。
- IDii24
- ベストアンサー率24% (1597/6506)
『無償の善意』なんか無いと思います。自分の自己満足で回答しているだけですから。専門家カテゴリーであっても宣伝のためですよ。
お礼
ご回答いただきまして、ありがとうございます。
お礼
ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >「答えが正しくないことがある」というのは別の問題として考えるのがいいかと思います。 そこのところをもう少し詳しく聞きたかったです。