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善はあるが悪はない
この世界には善はあっても悪はないように思うのです。 だれでも自分にとって良いことをしているのですから、 全ては良い事から発生しているのです。 「良い」から「悪い」が派生するはずがないですよね?
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No.13です。 面白いご意見です。よくわかりました。ただ、それなら最初から「絶対善」と、書いていただければ、このように回り道しなくて済んだと思いますが。 そういう意味での「絶対悪」は確かに存在しないかもしれませんね。さがす必要がありますか?「絶対善」に対する尊敬だけで充分じゃないですか?もしあるとしたら、大宇宙の外に存在し、「絶対善」はその「絶対悪」から、宇宙を守ってるかも知れません。 しかし興味深い話を伺いました。あべこべですが、ありがとうございました。 >絶対善と相対的な悪、この関係を解明・・・ そりゃ、簡単じゃないですか。神ほど恐ろしいものはありませんよ。
善があると仮定してしまったら、同時に悪もあります。 悪が無いと仮定してしまったら、同時に善もなくなります。 >「良い」から「悪い」が派生するはずがないですよね? 私には良くわかりませんが。 数は、偶数と奇数があります。その数は同数の筈です。 奇数に奇数を加えると偶数になります。 奇数に偶数をかけると偶数になります。 偶数は奇数から発生しているので、この世には奇数しか無い。 とは、ならないと思いますが。
お礼
もちろんこの世界には善悪の概念があります。 しかし、善悪は相対的な面を持っているということは皆さんのご指摘の通りです。 ただ私は見つけたのです、絶対善を。 そしてその対となるはずの絶対悪を探しているのですがどうしても見つからないのです。 質問にある悪とは絶対悪です。 視点によって善悪が入れ替わるようなちゃちな悪ではありません。 絶対善が支配しているこの宇宙には絶対悪は存在し得ない。 というのが今のところの結論です。
そうではないです。 善とは、ある場面、状態の中で最も (または比較的) ふさわしい行動をとる、そういった心のありようを言います。 Aが要求される場面でAをだすのが、善です。 それに対し、場面の中で、明らかに不適当、もしくはまったく関係ない上に、当事者の利に反するものを出すのが悪です。 したがって、善と悪を分けるものは、その人が置かれている状況と、それに対する対処の仕方で変わります。 善意で行っても、被害者を生む行為は、その被害者にとって悪と言えます。逆も言えるでしょう。 人間そのものは、すなおな状態で生まれてきて、そこに善だの悪だのを当てはめる必要はないと思います。状況やコミュニティ (社会) があって初めてその中での善悪が生まれます。 コミュニティによって価値観が異なることは、イラクとアメリカのやり取りを見ていればわかるでしょう。
お礼
まったくもっておっしゃる通りなのですが、善悪には別の側面があるのではないでしょうか。 絶対善と相対的な悪、この関係を解明したいのです。
補足
私は見つけたのです、絶対善を。 そしてその対となるはずの絶対悪を探しているのですがどうしても見つからないのです。 質問にある悪とは絶対悪です。 視点によって善悪が入れ替わるようなちゃちな悪ではありません。 絶対善が支配しているこの宇宙には絶対悪は存在し得ない。 というのが今のところの結論です。
- LoneWolf-3
- ベストアンサー率6% (50/819)
面白い発想ですね 自分にとっての善だけでは 他人にとって必ずしも善にはならないということでしょう 俗にいう自己中の発想でしょうね
お礼
>他人にとって必ずしも善にはならないということでしょう 善人にとって気に入らない人間がいればそれは悪人ですか?
- -9L9-
- ベストアンサー率44% (1088/2422)
>ご自分の定義においてのそれで結構です。 了解いたしました。 自分にとっての良いことが他人とっては罪悪であることはよくあると思います。自分が生きるために泥棒をするとか。ですから、悪は当たり前に存在します。それを無いという人間は私には理解できません。
お礼
無いという側面を持っているということです。
- MekMeki
- ベストアンサー率33% (35/104)
例えば戦国時代、領主はより強い領主から因縁をつけられて自分の息子を自害させなければならないことがありました。 自分にとってはしたくないけれど、領民を守るためにしたくないこともしなくてはならない。 現在でも社長みたいなトップから普通の人に至るまで、何かのために自分を犠牲にすることは普通にありますよね。家族を養うために過労死するまで働くサラリーマンだっていますし。 ですからまず、「全ては自分にとって良い事から発生している」は間違ってると思います。 次に何が良い事か悪いことか。 これはもう個人の判断でしかないことだと思います。 例えば殺人は悪いことだと言われるけれど、それは大多数の人がそう感じるからそう決められているだけであって、決して本質ではないと思います。 街で人を殺したら裁かれるけど、戦争で殺したら褒められる。 結局人が倫理的に良い悪いを決めているだけで、この世に本質的に良い悪いなんてないんでしょう。 良い悪いは神が決めることだというなら、聖書内で神が人を殺した数は大洪水を抜いても200万人以上、悪魔はたった10人です。 なら個人の価値観で全て良い悪いが決まるなら、「良い」から「悪い」が派生するはずないかというとそうでもありません。 人を殺すことなんて悪いと思わずに行っている人にとっては、殺人は悪だなんていう台詞は白々しい奇麗事でしょう。 でもその人でさえ逮捕されて被害者の家族の話などを聞いているうちに、死んで詫びたいと泣く人もいます。 自分にとって良いことのために殺人をしたのに、自分を殺してでも償いたいと思う。 良いから悪いが派生した例ですね。 時間の経過が気になるというなら、嫉妬に狂って最愛の人を殺した瞬間に何て事をしたのだろうと絶望して自殺する。まあメロドラマくらいでしかあまり聞かないような極端な例ですけど。 また、人殺しは悪だと思っている人が海で難破したとき、自分ひとりしか掴まれない木材に誰かが来たら蹴落としてでも助かろうとする。 その人にとっては自分にとって最善の行動だけど、倫理的には悪の行動をしなければならないこともある。 結局行動の善悪なんて個人の価値観でしかなくて、それも時や考え方とともに簡単にうつろう曖昧なものでしかないと思います。
お礼
>「全ては自分にとって良い事から発生している」は間違ってると思います。 過労死で死ぬサラリーマンは自分の命よりも生活を優先したから死んだのです、つまり命と生活を天秤に掛けたのです。 その結果、生活を選択することが自分にとって良い結果と判断されたから死ぬまで働くのです。 常に命が絶対であるとはいえません。 >これはもう個人の判断でしかないことだと思います。 上記の意味で私たちは常に最善の選択をしています。 言い換えると最善の選択しかできません。私たちは自分にとって悪となる選択ができるでしょうか? これは個人を超えたものです。 >被害者の家族の話などを聞いているうちに、死んで詫びたいと泣く人もいます。 >愛の人を殺した瞬間に何て事をしたのだろうと絶望して自殺する。 その瞬間において最善であるだけですので時間が経過すれば最善も変わります。たとえそれが0.1秒後であろうと。 >結局行動の善悪なんて個人の価値観でしかなくて 自分にとって悪となる行為ができますか?
- -9L9-
- ベストアンサー率44% (1088/2422)
この質問の前に「善」「良」「悪」の意味を定義していただきたい。それなしでは答えようが無い。 ちなみに私はアンチ性善説(アンチ孟子説という意味)、人は生来白紙であって生後の生き様によって人に好かれるようにも嫌われるようにもなるという立場です。また、好かれるから善とは思わないし嫌われるから悪とも思いません。他人の評価と自己の評価も別物です。 何が善で何が悪か自体が見方によって全然違うと思うので、この質問だけではなんとも言いようがありません。
お礼
定義について議論するのは無駄ですから、ご自分の定義においてのそれで結構です。
- masosan
- ベストアンサー率21% (22/102)
そんな事わかりません。それが答えです。
お礼
そうですか
- rikukoro2
- ベストアンサー率21% (1316/6195)
正義の反対は悪なんかじゃないんだ。 正義の反対は「また別の正義」なんだよ。
お礼
おっしゃるとおりですね。
- masosan
- ベストアンサー率21% (22/102)
いやいや、哲学的にどうかは知りませんが、本質はそんな数学的な考えだとは到底思えませんね。
お礼
本質とは何でしょうか。
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お礼
自分自身の行動が絶対善に基づいているとするなら神のご加護というのもあながち嘘ではないかもしれません。