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日本忍者協議会と自治体
日本忍者協議会には多くの団体などが加盟するらしいですが、忍者に関連している自治体の協議会だという新聞記事もありました。 忍者に関係しない自治体とは私はないと存じますが、どの自治体がどんなことで忍者に関連するかについて、ご存じよりのご薀蓄をお願いします。http://prw.kyodonews.jp/opn/release/201510094480/ http://ninja-official.com/
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こんにちは。 確かに、貴殿の言われる通り「忍者に関係しない自治体はない」と言っても過言ではないと思います。 貴殿の貼られたURLの「日本忍者協議会」の発起人の顔ぶれを見る限り、ある意味では、 「忍者発祥の地」と「忍者が有名になった地」の二つに分類されるようです。 1.忍者発祥の地 これは、どなたもご存じの通り、三重県、滋賀県の鈴鹿山系と笠置山系などで発祥した伊賀、甲賀(古くからの土地の呼び名は「こうか」=甲賀市「こうかし」。忍者に限り「こうが」と濁る)。また、一説には奈良県発祥の柳生氏も忍法を使ったと言われていますが、おそらく、定かではないため、今回の発起人のメンバーには加わっていないものと考えます。 2.忍者が有名になった地 これは、ある意味では、貴殿の2番目のURLにあるように、小説や漫画、歌舞伎などで名が知れ渡った地域と考えて良いのではないでしょうか。 ★神奈川県・小田原市・・・後北条氏に仕えた「風磨小太郎」。もともとは「風間」の姓であったが、忍法を使うことから、正確にはいつからかは不明ですが「風磨」と呼ばれるようになった。漫画などでは一世を風靡しました。 ★佐賀県・嬉野市・・・幕末の頃、嬉野茶を売っていた「大浦慶」は忍者だったのではないかと言われています。遊女に変装し出島に潜入したりして情報を集め坂本龍馬、大隈重信、グラバーと親交を持っていたと言われており、「元祖忍者村 嬉野温泉 備前夢街道」という「日光江戸村」のような施設を造り観光客の誘致に努めているようですね。 ★上田市・・・これは「真田十勇士」でも知られるように、真田氏は忍者を多数雇っていたと言われています。 忍者は通常二つのタイプに分類されています。 ★「陽忍」・・・知能的な諜報、謀略を主とし、南北朝の「楠流」(くすのきりゅう)を受け継いだといわれている。 ★「陰忍」・・・一般的に知られる、種々の「技」(わざ)を使う忍者で、源平合戦のころの「義経流」(ぎけいりゅう)に端を発していると言われている。つまり、鞍馬山中で修行した「体術」を駆使する者。また、「陰忍」は黒装束と良く言われますが、実際には、柿渋で染めた色で「茶色」に近いものでした。これは、返り血を浴びたり、自らが怪我をして血に染まっても色が隠れるためでした。 しかし、寛永14年(1637)~寛永15年(1638)の「島原の乱」で天草四郎も忍者を多数雇い、また、鎮圧に参戦した徳川軍も忍者を中心に戦ったため、この「乱」で陰忍は全て消滅し、それ以後は「隠密」と呼ばれるようになった、とも言われています。 現代、多くの方々は、忍者=江戸時代と考える人も多いようですが、忍者=戦国時代まで、というのが正しいかもしれません。
お礼
いつもに変わらない、素晴らしいご薀蓄でネット検索での知識のまとめと整理にも役立ち、更に深く広い認識にもなりました。 ありがとうございました。 夜の八時に近く、PSを起動してくれてのご解答に荀に感謝に堪えません。 その頃私は勤行を終わって、家内の留守での翌日の惣菜のためにスーパーに走っているときでした。
補足
今更補足などはありませんが。私も鍋島武士道の思いで剣術は駄目、判断力もダメという事で私に似ている西郷隆盛を評価するのですが、藩主のお庭役。そして理解できない言行からどうも一種の諜報的側面もあったのかなと憶測しています。それに芭蕉にしろ遍歴する職の人って、特に大勢の人の中にいる人って情報などもたくさん集まりますよね。どうしてもそれに頼ることってあったのではないかと思うんです。独特なる忍者って枠もあるんですが、忍者的って広げると広がりすぎるでしょうね。 ご解答の範囲が一番適切ですね。ありがとうございました。