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固有の感覚と私有財産
- 全ての財産が共有されているとした場合、私たちはどのように選択し使いまわすのか?
- 共有財産になりにくいものは、固有の感覚や個人の好みに関係している。
- 私有財産を大切にする意味は、個人的・社会的に何かあるのか?共産主義以外で考えてみる。
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ご質問の意味が分かり難いのですが、 すべての資財が共有化されたときに >大事にしたり磨く意味って (個人的社会的に何でしょう?) なくなってしまわないのか?それが共有化の大きな問題ではないか?と仰るのでしょうか そらはそうかもしれません。公園の共有物を大事にする人が少数派だったり、どこにでもゴミを捨てたりする人がたくさんいる社会では、すべての設備を共有化するのは不可能かもしれません。自分のものしか大事にしないという利己主義の人間が多いのは今の社会でも問題になっています。 私見では、>すべての資財が共有化されたときに >大事にしたり磨く意味って 更に大きな意味を持ってくると思います。お互いがお互いをじぶんどうように尊重するという思想は古くて新しいものだと思います。社会を住み良くする思想でしょう。
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- 雪中庵(@psytex)
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西サモアに半年暮した事があるけど、財産は村の共有だった。 山登りで田舎に行き、民家に泊まった時、近所の人が来て、 「ラジオを聞きたいので」と持って行ってしまった。 広場を囲むように並んだ民家には、柱だけで壁がなく、 風雨を避けるために下ろす、ヤシの葉を編んだスダレが 軒先についているだけだった。 そういう共産主義的な社会では、お金は恥ずべきものらしく、 お金を要求する村に1軒だけの雑貨屋は、村外れの木陰に 目立たないように建っていた。 こうした原始共産制を近代国家で可能にするため、集落で 合議によって代表(マタイ)を選び、地域でマタイが集まって チーフマタイを選び、という風に段階的直接民主制をとっていた。 このマタイの決定は法律に優るそうで、マタイ制度には警察力も 及ばないといわれた。 「共産主義だと労働のモチベーションが低下する」というのは、 既にある程度、貨幣制度が浸透した状況での話で、原始共産制に おける、働く事=助け合いとしてのモチベーションを保てば、 拝金主義の奪い合いは起きない。
- Mokuzo100nenn
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>純粋にすべての財産が公共財あるいは共有されているとすると 刑務所での受刑者の生活と同じようになるでしょう。 >大事にしたり磨く意味って個人的社会的に何でしょう? 個人的には、耐久性を延ばすことで、買い替えのコストを(一定期間)開扉する事を可能にします。 社会的には、耐久性を延ばすことで、地球資源・エネルギーの浪費を回避し、サステイナブルな社会構築の一助となります。