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独自性と調和性
独自性が強いと調和とれないですし、調和すると独自性がすくなくなりますし。 どのような折り合いが必要でしょう?
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世間の常識を打ち破る独自性Aは、あまり常識Bから離れすぎていても理解されないまま埋もれてしまいますし、常識に近けれ(平凡)ば価値は余りありません。そのAB間のつなぎの働きが調和という概念なのでしょうが、乖離している度合いが大きければ調和できないし、保守的な世間から反発をくらって失敗するという理屈ですね。 昔から大天才は乖離度の大きな独自性を創造し、それで世間を驚かせましたが、成功する天才性の強さはその乖離度の大きさと世間常識との間をうまく結びつける積極的な調和力も合わせて発揮するところにあるのではないでしょうか。 その力が「折り合い」というもので、多くは当人の人間性(ひととしては理解できそうだという親密感からはじめる)、あるいはその独自性を世間に平易に説明できる能力、あるいはお互いを結びつけるための中間的な架け橋的アイテム、そんなものを考えていけるフレキシブルな精神的態度が重要だろうと思います。独善性はそれらの反対で、失敗する確率が高いです。
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- amenhotep2000
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mezoriso81さん こんばんは。 クラシック音楽通でないと、聴いたことがない曲と思いますが、下記の曲を添付します。 https://www.youtube.com/watch?v=fhBJYrkoywE ヴィバルディーなる作曲家は、「四季」という曲の中の「春」は有名で、どなたでも、どこかで聴いたことはあると思います。 とらえ方は人それぞれと思いますが、私は、この曲が京都の風景と調和し、実に合っているように感じ、you tubeに投稿した人の独自性(オリジナリティー)に感服します。 ヴィバルディー自身も霊感を得て、旋律が調和するこの曲を、独自性を出しながら創作したと思います。 以上から、調和の中にこそ独自性があるのでは?というのが私の考えです。 日本人は、神と仏を融合といっては語弊があるかもしれませんが、融和させえる特質を持った、世界でもまれな、寛容な民族だと考えています。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
独自性が強くても調和します。 ブナの木が広葉樹林にみごとに調和しているではありませんか、、、。 ブナの木が広葉樹林に調和したからと言って、ブナの木の独自性は少しもなくなりません。 人間も、独自性を益々強化しつつ、周囲と調和する事を学ばなくてはイケません。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
抽象的になりますが。 独自性という柱が一本あり、それを崩さない限度で 調和する、ということになるのではないでしょうか。 例えば、天皇制を維持しつつ、外国の文化、文明を 取り入れる、といった具合です。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
共通の規則あるいは前提があれば、それが調和性で自由競争が独自性になるのでは。折り合いというのは規則による制約と自由な活動による独自性の両立ということでは。
- 雪中庵(@psytex)
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原理的には、あらゆる行動は競争=淘汰の対象として、 生きる意志(エントロピー増大への反力)へと収束する、 本質的ベクトルを有する。 現象的には、その「エントロピー増大への反力」は、 分業化による組織化を指向し、分業のための多様性は 必然となる。 即ち、原理的共有による多様性の調和。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
>独自性と調和性 >独自性が強いと調和とれないですし、調和すると独自性がすくなくなりますし。 どのような折り合いが必要でしょう? ⇒私は、以下のように考えます。 A.専門と非専門で分ける 自分の専門分野で独自性を発揮し、その他の部分では調和性を重んじる。 例えば、税理士・会計士の専門家だとすれば、その学問体系(隣接科学の組合せ)はこうなります。(左の裾は同学科系列で右裾は他学科系列ですが、どちら側も専門から離れるほど関係性も薄れることを表わしています。) 会計学 簿記論 法学 財務諸表論 政治学 経営学 数学・統計学 経済学 社会学 金融論 歴史学 財政学 心理学 商学・他 語学文学・他 「専門はより高く、その他の科目(一般教養)はより広く」が求められます。ということは、この2つ(左右の裾)は互に矛盾します。一方に偏りすぎると他方がおろそかになり、その逆もまた同じです。 B.「80-20の法則」を基準にする (1)専門に偏りすぎると「専門バカ」になり、一般教養に偏ると「役立たずの教養人」になってしまいます。「専門:一般教養」は「8:2」くらいの割合で力を注いだらよいと思います。 (2)独自性を発揮する場面でも、その「独自色」は8割方に止め、あとの2割分は調和性を重んじる。逆に、調和性を重んじる場面でも、それは8割方に止め、あとの2割分では独自色を出する。 (3)「80-20」は、あくまでも基準に過ぎません。「60-40」でもいいし「90-10」でもいいでしょう。大事なことは、「自分をしっかり持ちながらも、常に他者・異分子・反対者の存在を容認し、そこから新たな自己形成のための養分を吸収する」ことです。 C.結論 いずれか「1つだけ」というあり方は弱いです。脆いです。むしろ、「自と他の、主と副の、生粋と異分子の混在」こそ逞しいあり方だと思います。 その見本として、太極図が挙げられます。「本体部分と目の部分の関係」です。(目の部分は、小さいですが、ここだけは必ず相手の色と同じです。)実は、この「他者性」の存在こそが、「新しい自己創造・自己再生にとって非常に重要な要素・養分になる」はずだと思います。 以上、ご回答まで。
- yoruaru-q
- ベストアンサー率17% (476/2703)
内容が人のためになるかで折り合いをつけるといいのかもしれません。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
中身で勝負 です。 独自性と調和性 あるいはそれらの折り合いは 二の次です。