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原子力発電の行政の取り組みはどう変化してきたの?

OKWave × NextPublishing『いま、知りたいこと』編集部です。 いま社会で問題になっていることをアナタの「質問」「疑問」も含め、 編集部が当事者に取材をし、「答え」を出していただくシリーズです。 ▼『いま、知りたいこと』トップページ http://project.okwave.jp/shiritai/ 第1回目のテーマは「原発再稼働」について、 みなさんからいただいた質問を元に、質問・疑問をまとめ 取材当事者である行政に回答いただきました。 Q2:「70年代半ばから、「安全神話」の下、受け入れられていた原発に対する反対運動が日本国内でも始まりました。そして1979年3月のスリーマイル島での原発事故、1986年4月にはチェルノブイリ原発事故などが起きました。そういった経緯の中で、原子力発電に対する行政の取り組みはどう変化してきたのでしょうか?」 ▼今回の質問のもとになった質問、疑問をなげかけてくれたみなさん abpon29831さん、fedefさん、aoi_hoshiさん その他の質問と回答はこちらから確認できます。 http://project.okwave.jp/shiritai/report/index.html

みんなの回答

回答No.1

OKWave × NextPublishing『いま、知りたいこと』編集部です。 本文は編集部で経済産業省資源エネルギー庁を始め、関係政府機関に取材をし、その回答や資料を踏まえ、まとめたものです。 (取材期間:2015年4月末~6月中旬) [回答要約] 1970年代に原発反対運動が起き始めましたが、日本は原子力発電を準国産エネルギーと位置づけ、推進を堅持しました。第一次石油危機後の1974年には発電所立地促進のための電源三法を整備し、第二次石油危機の1980年には「石油代替エネルギーの開発及び導入の促進に関する法律」を成立させ、原子力発電の立地・開発を積極的に進めていきます。スリーマイル島事故とチェルノブイリ事故の発生、加えてエネルギー価格の安定という理由から米国では原子力発電所の新規建設がなくなるなど、原子力の平和利用は停滞していきます。しかし、日本は、エネルギー安全保障を高めるため、原子力政策及び原子力発電所の新規建設を続け、世界有数の原子力技術国となったのです。 [詳細は下記URLよりご確認ください] http://project.okwave.jp/shiritai/report/index.html#02