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神はなぜ生物を食物連鎖させて存続するように造った

神は、なぜ、生物(植物は除きます)を食物連鎖させて存続するように造ったのだと思いますか?

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  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.4

神ですか。神が本当に作ったのなら その様には創らなかったでしょうね。 もっと平和で調和したように作ったでしょう。 宇宙空間は死の世界と言っていいですが、自然界は野生の王国ですから 何でもありなんですよ 人間から見ると。 ちゃんとルールも調和もあるんですが、人間の精神のあり方とは随分違います。 だから食物連鎖は残酷に思えるし、なんで一番獰猛な奴が一番威張ってるんだろうと 思ってしまいますよねえ。でも一番威張ってるのは何を隠そう 人間です。 ライオンやトラまで檻に入れたり、毛皮にしたり まあ酷いもんです。 でも いい人もいますよねえ。 どうなってるかと言うと、人間の体は動物ですから、食物連鎖の中にある訳です。 しかし人間の精神は動物じゃないのでそれとは違うものなのです がしかし 体と精神は影響し合います。精神が動物の真似をしたり 逆に精神で体を律したりするのです。 ですから頭がいいかどうかに関わらず、獰猛な奴は獰猛だし、聖なる人は清らかです。 だから無理してベジタリアンになることもないです。体は食物連鎖の中にあるのですから。 しかし自然でない事で争ったり殺し合うのは行けません。地獄を生むだけです。 原爆を人間に落とすなど とんでもない事です。そんな事したら人類は滅びるかもしれません。 自然のことは自然に。人間(精神)の事は人間らしくすればいいと思います。

kogoefuyu
質問者

お礼

神は生物を造ってないということで。 生物は神に造られたのではないということ。

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  • veradico
  • ベストアンサー率44% (11/25)
回答No.13

>神は、なぜ、生物を食物連鎖させて存続するように造ったのだと思うか とのことですが,創造者を認めた場合,もっともな疑問だと思います。以下の点が参考になるかもしれません。  私の結論は,おおむね「食物連鎖は,人間の学問上の見解から出た表現である」,「自然界は発生,死,分解により秩序性を維持している面がある」及び「現在の捕食行動は,長期的に見れば一時的であり,一部において,人間社会の反映でもある」というものです。  この種の問題を考察する場合,本当にあることで,誰もが否定できない事柄に基づいて考える必要があると思います。 概略ですが,以下の点はどうでしょうか。(ちょっと箇条書きですが。) 1.動物は,人間一般に見られる善悪の感覚及びそれに伴う自由意思(だから悪でも故意に行う),利他的な精神,言語能力,創造性などのさまざまな高度な精神性を備えていない。それゆえ「人格」に相当するものも備えていない。 2.動物は,おおむね寿命が短い。もし動物が「死なない」とすると,1.を考えれば,つり合いを欠いているといわざるをえない。 3.一個の動物は,捕食されるか否かによらず,いずれにせよ死に,最終的にバクテリア等により分解される,という自然界のしくみが存在する。 4.自然界は,捕食によって破滅していない。例えば,陸や海が動物の死骸で充満することもないし,ある種類の動物が捕食により絶滅したりすることもない。むしろ,昔から,(人間による破壊は別として)一定の衛生性・秩序性・美しさを維持し続けている。 5.いわゆる“食物連鎖”は,無数に生まれる,より小さな生き物になればなるほど,より顕著に見られるようだ。 6.しかし,生きたまま,より大きなものに食べられてしまうということに対する,現在の人間の感じ方があり,容易に解決できない。 7.自然界には“食物連鎖”に当てはまらない面が存在する。例えば,補食性のない動物が存在する。一例として,ゴリラは強大な犬歯を持つが,草食である。ゆえに,“食物連鎖”は自然界の全体像を表したものとは言えない。 8.神の創造と「食物連鎖」との違和感について言えば,自然界の全部に関して感じるわけではなく,例えば,ライオンなどの大型の“猛獣”が鹿や牛のような草食動物を襲って食ってしまうという部分が,神の特徴に反しているという印象を特に強く与えるため,疑問を感じるのだと思います。例えば,海の中で,魚がプランクトンを食べていると知っても,「残酷だ」という印象はあまり感じないのではないでしょうか。  それで,「生き物が別の生き物を食うとは,悪である」という価値観があります。しかし,特に上記の3.と4.を考えてみますと,少なくとも,無数に生まれてくる,より小さな生き物に関しては,私は一定の合理性が感じられます。  もちろん「別に他の生き物を食べなくてもいいじゃないか」という見方もあると思います。そうすると,おおむね「動物は,すべて,植物だけを食うべし。寿命で死んだものは,放置され,自然の分解にまかせるべし」ということになると思います。すると,自然界は,どうなるでしょう。現在とはちがった様相を呈するものになるだろうと思われます。現状では,より小さな生き物に関しては,上記4.の通りだと思います。また,8.の点ですが,7.の事例もあることを考えると,“猛獣”の行動は,人間世界に何かを語っているように思われてなりません。少なくとも,人間は,動物に対する接し方,扱い方の点で成功していると言うよりは,むしろ失敗してきたと言うべきでしょう。動物たちが安心して暮らせるようにしてきた,というよりは,武器を持った人間たちから,いつ殺されてしまうかわからない,恐れと緊張を余儀なくされてきたように思われます。もちろん,それほど簡単に言うことはできませんが,少なくとも,野獣たちの行動は,力の強いある種の人間たちの行動とそっくりであると感じざるを得ません。こうした点も考慮に入れる必要があろうかと思います。

kogoefuyu
質問者

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回答ありがとうございます。

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.12

植物だって弱肉強食で、それなりに食物連鎖的になっています。そういったものも含めて生物の自然循環は非常にうまくシステム化された世界だと思いますが、神がそれらを創ったと想定しても、やはり完璧なものではなく、様々な想定外の条件が組み込まれては居ないし、いはば発展途上にある、進化の途中にあるシステムなので、あなたがいうように周辺や細部ではどうしても矛盾や非合理的な部分は存在します。別に観点からは、一言で言えばそれらがあまりに複雑で多様なので、たかだか100万年の歴史しか持たない人間の目からはそうとしかみれないということもあるのではないかともおもわれます。例を挙げると弱肉強食そのものは非常に合理的でドライな自然の法律、徳目なのですが、人間社会という繊細きわまりないサブシステムではうまくいかないことが多いということではないかと私はおもっています。

kogoefuyu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

回答No.11

食べられる=残酷 残虐 という観念から離れられないようですね。 そう思わざるを得なくさせている、自分の中の『人間的ストーリー作成プログラム』と向きあってみて下さい。 実際、食べられる側にあるのは、一瞬の刺激(苦痛)だけで、 残虐 残酷 というのは、苦痛からいかに逃れるかという、生存至上本能が用いる方便です。 もし食べられる時に苦痛ではなく快感があったら、それは残酷と言えるでしょうか? また、土砂崩れで潰れ死ぬとか、飢えて死ぬとか、寿命で死ぬとか の場合には、どこまでが残酷 残虐という形容が自分の中に起こるのか、 カゼが悪化してウィルスの犠牲になる等は残酷 残虐とは違うのか、 自分の中をよくよく見て下さい。 実在しているのは刺激で、残酷 残虐 は人それぞれのまぼろし( 脚色プログラム )です。

kogoefuyu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

回答No.10

PSいかなる場合も 殺す事が絶対的な悪であるという固定概念事態が問題を困難でしていのではないでしょうか。 いかなる場合も命を奪う事は絶対的な悪であるという教育からの固定概念に縛られ、その事によるギフトにも視野を広げてみては如何でしょうか? かなり命を奪う事が絶対的な悪であるというバイアスがかかりすぎた状態であるとお見受け致します。 何事そうですが、良い面ばかり見れば肯定的に嫌いな面を見れば否定になるものです。 神はかつて一人だった。孤独だった。しかし、いろいろな感情を味わうために複数に分離して我々や生き物になった。 その時分離する力がダークマターと言われています。 様々な感情を味わうために自分で自分を殺すということもされたのではないでしょうか。 我々でも自分が犯した失敗、罪を悔い、責め、自らを殺すような事をしていたりもするものです。 詳しくはフラワーオブライフを読んで下さい。 参考まで

kogoefuyu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

noname#215306
noname#215306
回答No.9

破壊がないと、変化も進行も起きないからじゃないですか?、、だから愚悪が床ではあるのでしょきっと? 後は無限のバリエーションの表現の喜びが天という存在にはあるそうで、、痛み・苦しみ・悲劇・不幸・凄虐なども、もしかすると?天にとっては表現の喜びなのかも?

kogoefuyu
質問者

お礼

想定外ですね。

回答No.8

1.有性生殖により、異性と遺伝子を交配する事で遺伝的  多様性を生み(異性を争う淘汰もあり)、単なる突然変異  と自然淘汰より格段に早い進化や適応を可能にしている。 2.人は生きる上で、食物を摂って消化(エントロピー増大)  し排泄する=自然環境との物質循環によって生きている。 3.地球上の生態系の物質循環の原動力は、太陽光による  植物による光合成と動物による消化・分解の連鎖であり、  進化の本質は、いかなる“強い種の創出”でもなく、太陽光  による合成が分解によって輻射として宇宙に還って行く  までの、地上の熱容量の増大である。 4.地上の熱容量の増大の本質は、「生物の増殖によるエン  トロピー増大(崩壊)とのバランス~生態系の多様化に  よる動的恒常性による存続と進化のバランス」であり、  神の御業は、エントロピー増大(淘汰)=何もしなかった。

kogoefuyu
質問者

お礼

神は何もしなかったのですね。 忙しくて手が回ってなくて。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.7

戦わせ、競わせ、最後に勝利したモノを神に するためです。 食物連鎖の頂点に立つチャンピオンが新たな 神になるのです。

kogoefuyu
質問者

お礼

恐いですね。

noname#210533
noname#210533
回答No.6

神が生き物を創った、と私は思わないけど、 質問に対しての私の答えは、 「生命とは、生命素材を代謝する仕組みのこと」 だからです。 生命素材を体内で産生出来る者もいるが、最も 楽で確実で大量にそれを摂取するには。 生きることは、食べる事。 生命の原理の一つである「代謝」とは、「摂取して 消費して排泄すること」なのですから。 つまり、同義語なんです。 生きると言うことと、喰うということは。

kogoefuyu
質問者

お礼

神は、残虐な食物連鎖で命繋ぐ生物を地球に造った。

回答No.5

神の求める事はこの世で成長して神に近づく事であり、多くの宗教の教義に共通するものです。 そう考えれば食物連鎖として必須アミノ酸を摂取するために殺生をわざわざ行わせ、 魂の成長の為に生きる事、命の大切さ尊さ、有り難み、自然への感謝を味わあわせ、成長を促すためにそういった仕組みを作られたのではないかと思われます。 マニアックな話しですが、オーリングテストというキネシオロジーといういろいろ調べた科学に基づいた手法( ググッてみて下さい。)で神の意志について何万人も調査した結果をまとめた本などもあります。 興味があれば調べてみて下さい。 参考まで

kogoefuyu
質問者

お礼

殺生し、される関係に、殺されるものの苦痛や悲しみまでセットで付け加えた神は、神と言える存在に、はたして値するのだろうか。

  • qwe2010
  • ベストアンサー率19% (2193/11072)
回答No.3

生物を形作るためには、いろんな栄養素が必用です。 たくさん生まれてくれば、それらが足りなくなります。 新しい個体が生きて行くには、栄養素がそろっている古い個体から養分を取り入れなければならなかったのでしょう。 鈴虫などは、栄養が足りないと、共食いをします。 それらが進化して食物連鎖になったのだと思います。

kogoefuyu
質問者

お礼

神の業をもってしても、食物連鎖する以外に造る方法が無かったわけですね。 神は万能ではないのかもしれない。