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宗教への関心が薄いのでしょうか?

なぜ日本人はほかの国に比べて 宗教への関心が薄いのでしょうか? 「そういう民族」と言うのが答えですか?

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  • Joshua93
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回答No.13

宗教心を「自分の心の拠り所」と捉えれば、誰しもが必ず何かを拠り所として生きています。何かを信じて生きています。全ての人が「宗教心」、「宗教」に通じる心があるのは間違いありません。 そのなかで、日本人は、目に見えないものを「心の拠り所」としている人も少なくないです。 以前、読売新聞で見た記事によると、 「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」は56%。 死んだ魂については、「消滅する」18%に対して、「生まれ変わる・別の世界」合わせて54%と多数派。 「先祖を敬う気持ちを持っている」人に至っては94%に達するそうです。 宗教心は否定しないが、周りの宗教団体および宗教者は信用できないかも、というのが 一般的な感覚なのではないでしょうか。

hsrzpnfsqf
質問者

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  • yuniko99
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回答No.12

まあ世代によっても違いますが あまり考えてない。子供の頃から哲学や宗教をする 機会があまりない。と言うところでしょう。 折角あった倫社の科目も 最近では現代社会が殆どで、高校生の段階で宗教を考える機会が少ないです やりたい人はやっていい という曖昧な状況なので、やろうとか、やるまいとか考える機会もない。ただ宗教は嫌いだとか、宗教は先祖信仰だとか、仏教も宗派がありすぎて、たとえ自分が浄土真宗の宗派に数えられていても、そう言えば家は浄土真宗だったから、葬式の時は念仏僧侶を呼ばなければと。そしてその僧侶が来ても、何か訳の分からない言葉でお経を上げるのでさっぱりわからない、曖昧を通り越して「言葉がない」と言う事です。創価学会とか頑張っていますが内容がよくわからない。哲学がわからない。自民党をガンガン批判してたのに、急に与党で自民と組んだり、つまり日本の宗教は説得力がないから、勧誘とか、代代とか、半信半疑とかが多いから宗教としての新年に欠けます。じゃあ哲学が盛んかといえば、全く全然です。「哲学」と言っただけで「ムズい」「キモい」という有様です。あまり言いたくはありませんが、スターバックスでコーヒー飲んでハーゲンダッツのアイスクリームを食べて格好良い車に乗ってれば幸せなんじゃないでしょうか? 営業マンじゃなくても政治の話と主教の話とプロ野球の話はしない方がいいそうです。

hsrzpnfsqf
質問者

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ありがとうございました。

  • tkmn_001
  • ベストアンサー率16% (45/268)
回答No.11

モノで満たそうとしているからです。 物欲などの欲が最優先にされ、精神的な成長が追いついていない からであると考えています。 なぜそうなったかで考えると日本という国は 求めれば手の届くところで欲が満たされる、という意味では 富んだ国であるから、というのが直接的な理由にはできませんが 背景にあると思います。

hsrzpnfsqf
質問者

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回答No.10

日本などの温帯モンスーンのジャポニカ米の稲作 農耕文化は、収量が多く(人口密度が高い)、 季節に拘束された労働集約的な作業によって、 地域コミュニティが農耕であり集団主義的な文化 となり、また島国文化もいつも固定した顔ぶれで ある事により、妥協的な周りに合わす日和見的な 文化となるところ、その2つの重なった日本は、 世界でも稀な強力な集団主義文化を生んだのだ。 それは、工業化における大量生産の労働慣行に 応用され、アジアにおいて日本が真っ先に工業化 するという副産物も生んだ。 そうした集団主義における行動規範は、「周りに 合わす」というものであり、西欧的な個人主義に おける「宗教や主義主張を自己の内に確立する」 というものとは異なる。

hsrzpnfsqf
質問者

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ありがとうございました。

回答No.9

 No.3です。  《クウキ教》は 守り遵うべきオシへの役割りをも帯びており しかも言葉としては何ごと・何ものにも精霊を感じてのようにおおよそアニミズムとしての多くの神々をも持っていますが これ(クウキ教)は いわゆる多神教のままには留まっておらず そうではなく すでに――国家が出来てからは――あくまで《日本教》としての一神教です。  ヒンドゥー教は その名もヒンドゥー=インドであるごとく多神を擁していてもそのまま全体として一神教としてのインド教です。よその神々を受け容れても 民族宗教としてまとまり 対外的には あたかも唯一神をいただくのと同じ振る舞いにおよびます。  ユダヤ教は 明らかに対外的にも対内的にも 唯一神をオシへとして共有する生活様式を形成する民族宗教です。  あるいは アマテラシテたる王をいただくイギリス教のごとく日本教は 対外的には一神教としてまとまった民族宗教です。その中にいろんな神々をよそからも受け容れている。というに過ぎないところの――対内的には――多神教です。  この日本教=クウキ教には 神道をベースにして 仏教の諸仏を採り入れ そしてキリスト教の姉妹編としての唯物論教(つまり 無神論教)をもじゅうぶんに有益にはたらくかのような異端分子としてやはり採り入れています。  さすがにキリスト教の神を持ち出すことはないようですが 護憲平和教のベースにはその同じ排他的な一神教の神(《無い神》)が祀られているかのようであり じゅうぶんにほかの多神と対立しつつも大きく日本教の一環として根を張ろうとしています。  日本人は 知らず知らずのうちに 宗教(じつは 信仰)への関心を育み発揮しており それがクウキ教によって絡め取られるときには いわゆる排他的な一神教としての民族宗教を成しています。その中に入れば 排他的ではなく馴れ馴れしくなあなあ主義的になります。  ふるくからの個人個人にとっての信仰を保つ日本人は そのような宗教現象をなおただウワベのこととして その優勢に対して くにゆづりをした出発点を保って来ています。それらの人たちは 宗教から・オシへを垂れるあらゆる宗教から 自由です。ユヅリアヒの生活を千五百年おくって来ています。  

hsrzpnfsqf
質問者

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ありがとうございました。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.8

日本は神道という多神教が根底にあります。 この神道てのは、自然発生的に出来た宗教で 戦争のためにやむをえず押し進めた神社神道は 本来の神道ではありません。 神道は、キリスト教などと異なり、教義も 経典もありません。 信者には、信者である、という自覚すら不要の 宗教です。 先祖を想い、自然を畏れれば、それで信者確定です。 文科省の調査によれば、神道の信者数は1億1千万人 で、仏教は9千万です。 多神教だからこその数字です。 だから、ワタシも、質問者さんも、神道の信者である 可能性が高いです。 ”なぜ日本人はほかの国に比べて 宗教への関心が薄いのでしょうか?”     ↑ 薄い、という表現は適切ではありません。 宗教というと、キリスト教のような宗教を念頭に置く ので、そう感じるだけです。 ”「そういう民族」と言うのが答えですか?”      ↑ そういう宗教なんだ、ということです。

noname#209698
noname#209698
回答No.7

疑問点が其処ですか・・・(笑) 宗教って 全人類が幸せなら不要なものなのですよ・・・ 色んな宗教があるって事は 人類は 幸せではない・・という事なのです・・ 宗教が この世から無くなった時が幸せな世界の始まりなのです・・・

回答No.6

質問者様がおいくつくらいなのかわかりませが、受験とか交通安全とか安産とか、そういうお守りってもらったことありませんか? 受験が終わったら、お守り捨てましたか?なんとなく捨てにくいんじゃないでしょうか? 日本人の信仰心というのはそういうもんです。 積極的に神道を信仰しようと思っているわけではないのに、神道の神をおろそかにすることには何か心理的な抵抗があってできない。 無意識の部分まで神道に染め抜かれてるわけで、クリスチャンやムスリムが事あるごとに自分はこの宗教の信者だからこれをしなければいけない、と意識して行動しなければいけないようなことよりも、強固に神道を信仰しているという言い方もできますよ。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.5

 僕は宗教は素人ですが、日本の特徴は、多種の共存が出来る、ということと、それが「関心の薄さ」の日本らしさを作りあげている、と思います。 1。日本は国の有力者の肩入れで、在来宗教の上に仏教が載っています。これが慣習と成って儒教、仏教の諸宗派が重なり、中世以後はキリスト教なども入って来ました。 2。西欧や中東の宗教では多数の宗教を共存させるという余裕が無く、自分が広げようとする宗教一本に絞って他を捨てさせようとする宣教師の言訳は「日本人は宗教心が薄い」でした。 3。でも、新興宗教が政治に関与したり、その模倣に失敗した教団が集団殺人を行なったりする点では、むしろ関心が盲目的に濃くなっている一部のあるように思います。 4。旧教を逃れた新教徒が相当居るアメリカ以外、先進国では、処女の妊娠を信じるような宗教は、薄くなって来ており、日本も薄さの原因は違いますが時流にのっていると思います。

回答No.4

中国に行った時もいろいろ宗教があって、びっくりしました。 キリスト教徒が1億2千万人もいるそうです。 それに儒教も、日本では儒学と言って学問ですが、中国に行くと立派な宗教です。 香港に行った時、黄大仙廟という道教寺院に行きましたが、人がいっぱいでした。 日本は「八百万の神々の国」で、仏教寺院あり、神道の神社があり、インドの仏さんである、愛染明王とか、不動明王とか、帝釈天とか、閻魔大王とか、毘沙門天とか、いろいろな神様がいて神社があり、信者もいっぱい押し寄せています。 村に行けば鎮守様がいるし、お地蔵さんもいる。 日本はどこを見渡しても、宗教だらけ。 こんなにいろいろな神様がいて、信者がいっぱいいる国は、世界を見渡しても、珍しいのではないでしようか? 「なぜ、日本人は他の国に比べて宗教への関心が薄いのでしょうか?」と言いますが、逆ではないですか? 私からすると「なぜ、日本人は他の国に比べてこんなにも宗教への関心が篤いのでしょうか?」と質問したいところです。 確かに日本には西欧のような一神教の神さまはいませんが、つまり宗祖がいて、それが唱えた「創唱宗教」というのはないと言っていいと思いますが、それでも、宗教心は他の国に比べてひじょうに強いと思います。 阿満利麿の「日本人はなぜ無宗教なのか」という本によれば、日本には「創唱宗教」というのはないけれど、「自然宗教」というのはひじょうに盛んだと言っています。 毎年、お正月になると国民の多くが神社に初詣でに押し掛けるし、野球選手もシーズンが始まる前に神社に行ってお祓いをしてもらうし、建物を建てる時に、神道の神官を呼んでお祓いしてもらっているし、高速道路を作るときに神官を呼んで鍬入れ式をやっているし、いろいろな行事に仏教や神道の儀式が行われています。 こんな国は世界を見渡しても、少ないのではないかと思います。 たぶん、あなたは宗教というと、キリスト教とか、イスラム教とか、ユダヤ教のような一神教の宗教を念頭に置いているのだと思いますが、そのような宗祖がいて、宗祖が唱えた宗教である「創唱宗教」というのは、たしかに無いです。 でも、それだからと言って日本人が他の国に比べて宗教への関心が薄いとは言えないと思います。

回答No.3

 クウキ教という見えざる宗教が 代わりにあります。

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