神は信じるものではなく、感じるものである
古来より神は信じるためのものとして人間によって作られた。
しかしいつの頃からか、人はこの神を信じさせようとするようになった。
信じるための神はこれを信じさせるために多くの人の命を要求した。
そのため世界各地で争いが起き、戦争が起き、多くの命が失われた。
それは今現在も同じである。
日本などはキリスト教国家によって2度も原爆を投下された。
ベトナムではこのキリスト教国家によって大量の枯葉剤が撒かれ多くの奇形児が生まれた。
また信じるための神イエス・キリストは多くの奇跡を用いた。
その結果この奇跡を求めて数限りないカルトが生まれた。
このようなカルトによって地下鉄でサリンが撒かれたりもした。
さらに聖書とキリスト教など信じるための神は終末思想を説いた。
この終末思想によって世界の倫理観は大きく傷つけられた。
結局のところ、信じるための神は多くの災いをもたらし、何一つ良いことはもたらさなかった。
信じるための神とこれを支える聖書とキリスト教および神学は偽りであることが分かってきた。
今や信じるための神は信じる必要はなくなった。
神は我々人間から隔たっているものではなく、常に接しているもの、信じる必要はないもの、感じることが出来るものでなければならない。
そしてその神が完全無欠であり、永遠不変であり、永遠不滅であり、永遠無限であるならば、それは唯一絶対なるもの宇宙の法則以外には有り得ない。
宇宙の法則を除いて如何なる神も存在しない。
これで良いのではないか。
補足
神のことを知らないと見ました。