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浦島太郎の解釈・教訓についての質問
- 乙姫が「決して開けてはならない」と言いつつ玉手箱を渡す理由について
- 浦島太郎が短期的な快楽を選んだことについての解釈
- 「浦島太郎」から学べる不合理な教訓について
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おとぎ話はすべて教訓をあたえるものではないと私個人はおもっています。 浦島太郎の話は、子供にも人気があり、桃太郎と金太郎のトリオで「三タロ ショー」ができそうですが(TVのCMにも最近ありましたよね)。ただし、 浦島太郎以外は鬼を懲らしめる_ただし、金太郎は大人になってから_のに、 竜宮城でいい目にあった分、一度に歳をとる浦島太郎は、損な役回りとしかお もえません。子供にきかせていいものかどうか。 そこで、この話について私なりの解釈をします。 まず「玉手箱」。玉を宝と受けとるよりも、この場合は「魂」、つまり浦島 の生命力がつまっていたのです。 しかし、それは人間を老化させるマイナスの力だったのでしょう。設定によっ ては、竜宮城で過ごした時間や思い出となっていますから、この想定は当たって いるとおもわれます。話にはできてきませんが、竜宮城という異世界では、邪魔 になるこの世の時間や老いを箱に入れておくしかなかったというわけです。 そして、浦島太郎が現実の世界にもどった時、今度は玉手箱につまった魂が どうしても必要でした。それがないと、文字通り魂のぬけた存在になるからで す。 もちろん、これはお話ですから、竜宮城での歓楽や現世にもどったままでは 話が進みません。そこでよく使われるのが、いわゆる「見るなの禁」です。 決して見ないでください、といわれていたのに見てしまう「見るなの禁」は、 日本神話の古事記や世界中の神話物語で語られます。効果はさまざまなようで すが、おとぎ話のばあいは、夢物語から現実に帰るきっかけになっているよう です。あっという間に歳をとるというのはたしかに残酷ですが、故郷に帰りた いといって帰り、まったく自分が忘れ去られた未来の故郷で、竜宮城を懐かし んで箱を開けたのは、浦島自身だったのです。 それでは浦島太郎は愚かだったのでしょうか。また、何らかの罰を受けたの でしょうか。そうではなく、何をするにも、自分が決めたことだから、と思い 直して生きるのがいい、というのが、このお話の教訓めいた部分なのかもしれ ません。 ちなみに、浦島太郎の逆をいって大団円になるのが、ジブリの「千と千尋の 神隠し」です。 見るなの禁があり、神々のタブーを侵すおそろしさもあり、特に食に関する タブーが相似ています。 正反対なのは、ヒロインの千尋が、豚にされた両親を元にもどす、恩人のハク を救うというはっきりした意思を持って行動したことです。そのがんばりがあっ たので、竜宮城とは真逆の異世界から家族とともに帰還できました。歓楽と美 食で時を忘れた太郎とはまったくちがいますが、乙姫が太郎を引き留めたのは、 異世界の食物を食べると元の世界にもどれなくなったからかもしれません(そう した設定は、これまた世界各地の神話にあります)。 浦島太郎が、時がたってすっかり変わった故郷に帰ったというのも、普通の人 間には許されていない、長寿のタブーを侵した結果といえばいえるのでしょう。 それにしても、最近は女の子が活躍する物語が目立ちます。 浦島も、少しは見習ったほうがいいのでは?
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- kohichiro
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1.乙姫様は浦島の故郷と竜宮城との時間差を正確に把握しては居なかったのではないでしょうか。時間差是正装置(玉手箱)は結局開けられるだろうという推測のもとに、浦島自体がその開封で不幸になるかどうかは乙姫にも分からなかったのだろうとおもわれます。時差の具合によっては、いずれ実年齢になった(故郷の時間と同期した)ほうが彼自身にはむしろ良かった場合もおおいにあった(知人や妻と歓談する場合など)はずですし。 ですから、総合的にみて必ずしも浦島が不幸になった不条理な物語だと断定することは出来ないと思われます(楽しいこともさんざんしたのだし)。 あらゆる物語に単純な(ためになる)意味があるとは限らないとおもいます。人生はままならぬもの(不条理だ)という現実的解釈もあっていいとおもいます、つーかそんなむかし話は実際いくつもあります。
- trytobe
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誰の解釈であるのか、と、どこからの引用であるのか、とがわからない以上、 この質問文に書かれている内容に至った根拠や理由を辿ることができないため、その妥当性を検証することも不可能ではないかと思います。