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浦島太郎と玉手箱
自分が生きていた時代より遥かに時間が経過した時代に竜宮城から帰還した浦島太郎は、乙姫様から土産に手渡された玉手箱を開け、老人になってしまいますよね。 老人になったと言うよりも、海底の国の魔法が解けて本来の年齢に帰ったと言うべきか‥。 乙姫様は、何故この箱を浦島太郎に持ち帰らせたと思いますか? 私は、子供の頃から、この話を聞く度に「なんて残酷な!」と思っていました。 そして、大人になるにつれ更にその思いは強くなり、 現実的な感覚でしか物を捉えられなくなった今は、更に更にその思いが強まりました。 例え見知らぬ世界に放り込まれても、若いままの肉体で有れば、それなりに順応して、仕事も得られ、生きて行けただろうに‥ 老人では働く事もままならず、身ひとつでどうやって生きて行くのだろう‥? (乙姫様が、玉手箱以外にも、金銀財宝でもくれたのならともかく、そんな話は記述には有りません。) 乞食でもしろと言うのか? はたまた、いっそのこと死ねと言うのか? それとも‥再び竜宮城へ帰って来る様にとの、乙姫様の思いなのか? 皆様はどう思われますか? 乙姫様は、どの様な考えの元に、浦島太郎に玉手箱を渡されたのでしょうか?
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浦島太郎が竜宮城を探したり 乙姫を捜す人生になると困る から可愛そうだから年寄りにしたとしたら めでたしめでたし 。。。。。。
- cucumber-y
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私は鶴になったほうの話から入ったので子どもの頃から「楽園の味を知ってしまった者は浮世では満足できないので、人としてでは無く大空を自由に飛ぶ鶴にされた」と思ってました。 (幼児なのでこんな言葉では考えていませんでしたが。^^;) 浮世に戻り、そこで満足しなかったからこそ太郎は玉手箱を開けてしまったわけですから。 >乙姫様は、どの様な考えの元に、浦島太郎に玉手箱を渡されたのでしょうか? 現実を知らず、自らが望んで浮世に帰ってしまっい絶望した太郎を最後に救えるようにという乙姫様の優しさから出た行動だと思います。 こう考えると鶴の話のほうがしっくりするんですよね。
http://www9.plala.or.jp/riversite/otogi/urashima.html ↑ こんな「浦島太郎」の物語も有りますが・・・。 これだと、「大人のラブストーリー」として、少し納得出来るのですが。
諸説あるそうですが、 国の秘密を守るため、他言されても良いようボケ老人のホラ話しとするため、乙姫の上役が持ち帰らすよう命じた。 乙姫は決して開けないよう言い添えるのが精一杯だった。 というのはいかがでしょう?
- gldfish
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あんまり考えたことなかったですが、この歳になった今改めて考えると。 失われた時間が詰まっている玉手箱というのは、「浦島太郎が本来送るべきだった人生」のメタファーな訳ですよね。 浦島は結果的には人生の大半を竜宮での快楽に捧げることになった訳ですが、乙姫は人一人の人生(家族や友達を含め)を奪うというそこまで残酷なことが出来なかったのでは。心の中にある疚しさみたいなものが、玉手箱を与えるという形で気休めになっているのではないでしょうか。つまり、これは乙姫の弱さであり、言い換えると人間らしさ。 「再び竜宮城へ帰って来る様に」・・・確かに、浦島の人生を最後まで見届けることが出来れば、乙姫にもそこまで疚しい思いは無かったのかもしれません。でも現実問題、浦島は自分の故郷を思い出し、戻ることを望んでしまった。そう感じさせてしまったことにも責任を感じたのかもしれません。 若いままの肉体で有れば、失った人生が送れた・・・確かにそうですが、人に2度の人生というのは無いのだと思います。華やかで波乱に満ちた人生を送れば、月並みで幸せな人生は得られない。もっと言うなら、人生は「一方を選ぶと、もう一方は切り捨てるしかない」という選択に満ちています。 でも「両方を選べる」ことが出来てしまうと、途端に現実味が無くなり、この話が人々から遠い存在になってしまう。・・・ってことが、玉手箱のオチには暗示されているのかもしれません。 自分も最近、大変多彩で、昔の日本人の想像力・独創性に満ちた昔話・民話に関心を持ち、思うのですが、基本的に、日本の昔話というのは、題材がどんなにファンタジックだったり非現実的だったりしても、その奥にある根底はとても現実的に描かれている気がします。 それは日本人ならではの人生観だったり、慎ましさだったり、他者への礼だったり、情けだったり、自然への敬意だったり・・・それらが本当に繊細に考えられ、表現されていると思います。 そう考えると、この浦島太郎の最後もとても日本人らしい考え方なんじゃないかなと思えました。残酷どころか、人、そして人の人生(なんでもかんでもうまくはいかないということも含めて)への、温かな愛情すら感じますね。
- 05051036
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実際にどれほどの年月が経ったか不明ですが、仮に60年ほどだったとしたら友人や恋人といった身近な人はかろうじて生きているとしてももう年寄りです。 そんな中自分だけ若いままというのも辛いのかも…そんなおせっかいだったのかもしれません。 だけど、そもそも開けてはいけないって念押しされてたはず。 女性から言われたことを守らなかった者に対する報いという教訓なのかも。 あと思いついたのですが、乙姫からもたらされたものは他にも色々あったのでは? そして、それらに力を与えるためにとてつもないリスクのある存在を抱える必要があり、それが玉手箱だったとか。 「天空の城ラピュタ」で、ヒロインのシータは母親から様々なおまじないを教わりますが、その中には決して使ってはいけない滅びの言葉もありました。 しかし、他の言葉に力を与えるためには滅びの言葉も覚える必要があるというものでした。 彼女は冒険の末に世界を悪の手から守るためその言葉を使ってしまうわけですが…。 もしかしたら浦島太郎の物語も子供向けにするため、あとは尺の問題などの大人の事情で大幅に簡略化されてしまっただけで、原型はそうだったのかもしれません。 乙姫様から色々なものをもたらされた浦島は世界を守るため、代償として老人になってしまうとしても玉手箱によって封印されていた何かを使ってしまうという一大スペクタクル巨編だったのかも。
- williumblake
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乙姫は、もし浦島太郎が今地上に帰っても絶望せず幸せになれれば、あけるなというものは開けないだろうけれど、絶望して竜宮のことを思い出せば開けるだろう、つまり絶望からの解放(=自殺)の道具として渡したのではないでしょうか。 地方によっては、もともとは老人になった直後に死ぬ物語だったという話もあります。 浦島太郎が近代に子供向け物語として再編されたとき、本来あった竜宮での乙姫らとの蜜月の日々については、教育上よろしくないとして削除されたんだそうです。 楽をしてだらだらしていると、とり返しのつかないことになる、という厳しい戒めが含まれていたのかもしれませんね。