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家族の死を考えてしまいます。
20歳で、学校に通うため実家から離れて一人暮らしをしているものです。 不安な気持ちをどこかに吐き出したくて始めてここに相談します。 まず、幼少時代の頃から書いていきたいと思います。 私の母親は私が物心をついたときから精神的に不安定で、 寝込んだり、父や私に当たってしまうときが何度もありました。 「生んで不幸になった」と毎日言われていたこともあります。 でも、母が大好きで大人になったら一緒にお茶をするのが夢でした。 しかし、母は私が8歳の時に自殺してしまいました。 私が学校から帰ってくると母が農薬まみれで倒れていたのです。 お母さんにもう会えないんだというショックさや怖さ、不安、 あのときの光景が目にやきついていて、今でも忘れることができません。 このときから死の恐怖間があったんだと思います。 それからは、祖母、祖父、父と暮らしていて、 祖母も祖父も父も私のことをすごく大切に育ててくれて、母親がいなくても家族の愛情をたっぷりもらって生きてきました。 三人とも優しくて私のことを見守っていてくれる自慢の家族で大好きです。 特に祖母は私の母親代わりで、一緒に買い物に行ってくれたり、 一緒にご飯をつくったり、旅行に行ったりと私に寂しい思いをさせないように一生懸命育ててくれました。 しかし、去年から大学が県外に決まり一人暮らしをするようになったことから、なかなか実家に帰れないようになりました。 それから、年に数回帰る度に、だんだん年をとって小さくなる祖母祖父を見るたびになんともいえない気持ちになります。 昨日も私が住んでいる所にわざわざ遠くから遊びに来てくれました。一緒に観光し、楽しむことができたのですが、二人が帰ったあとにものすごい不安に襲われてしまいました。 もし、今二人が事故にあっていなくなってしまったらどうしよう。 今度実家に帰ったときにドアを開けて倒れてたらどうしよう。 母みたいに急にいなくなってしまったらどうしよう。 そんなことを考えてしまい楽しかったはずが涙が止まらなくなってしまいました。 人間には寿命があって、いつかは死んでしまうこと家族はそのことと向き合わないといけないこと、そのことは分かっているのですが…。 それなのに、また大事な人がいなくなってしまうような不安、母が死んでしまった時の悲しさを思い出すと不安で不安で… 離れて暮らしているせいもあるのでしょうか。新幹線の窓から一生懸命手を振る二人を思い出すと悲しくて胸が締め付けられる思いです。 このような不安な時はどうしたらよいのでしょう。 考えたくもないことが次から次へと出てきてしまいます…。
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お母さんとのお別れは突然で辛かったですね。 お母さんに何処か認めてもらえていた自負があれば、今、あなたはこんなに苦しくなかったかもしれません。 思いが一方通行だったから、悲しみが凍り付いたままなんですね。 文章を読んでいると、とても淋しさが伝わって来て私も悲しくなります…。 幼い頃に淋しい思いをして…。でもお祖父さん、お祖母さん、お父さんの暖かい愛情を沢山受け取れて良かったですね。 あなたが優しい人に育って、お母さんもきっと安心なさっていることでしょう。 心無いことを言って傷つけてしまったあなたが、優しい子供に育ってくれることが、お母さんにとっては唯一、あなたから許しを得ることになるのだと思います。 大人になると、親は小さくなっていきます。お祖父さん、殊にお祖母さんなら尚更です。子供の頃は背を追い越すのが楽しみであったのに、目線が下になり、腰が曲がり、歩くのも遅くなります。 私は平気で憎まれ口を叩いていたくせに、いざ母親が小さくなってしまうと、 「あんなに頼もしかったのに、これからは前のように無理を言ってはいけないんだな…。」と、淋しくなりました。 私が3歳になった頃には、祖父は二人とも亡くなっていました。 母方の祖母は中学の頃には亡くなり、父方の祖母は一人目の子が2歳の頃になくなりました。私は当時、北海道に住んでいたので本州に住む祖母達とは小学校5年生以来会っていませんでした。 偶然にも私の子供達にも、幼いうちから祖父が二人ともいません。 義父は長女が生まれて直ぐ亡くなり、実父は長男が生まれて一年も経たないうちに亡くなりました。長女には私の父との思いではうっすらとありますが、長男には祖父達との思い出が何もないのです。 ですので、こんなことを言っては不謹慎だと思いますが、私は相談者さんが少し羨ましくもあります。幼い子供にとって母親は掛け替えのない存在でありますが、私は祖父母に可愛がって貰った記憶が殆どありません。 父親が公務員でしたので、転勤もあり、なかなか会いに行けなかったのが現状です。(それは子供達も同様ですが…。) ですから、夏休みに祖母の家に行くと、祖母と一緒に住んでいる従姉妹や家によく遊びに行っている従兄弟が羨ましかったものです。 私や妹は後から生まれた孫でもあったので、上の姉二人に比べると、やはり関わり合いは薄かったのが子供心に淋しかったです。 >昨日も私が住んでいる所にわざわざ遠くから遊びに来てくれました。 >新幹線の窓から一生懸命手を振る二人を思い出すと悲しくて胸が締め付けられる思いです。 お祖父さん、お祖母さんも、あなたにとても会いたかったのでしょう。 お別れするときは、きっとお二人とも同じ気持ちだったと思います。 確かにお別れはいつやってくるのか分かりません。不安な気持ちも解ります。 でも、お祖父さんお祖母さんがあなたに優しくして下さったのは、きっと誰からも愛されるように優しい心を持った人に育てたかったからだと思います。 思いやりほど人を強くするものは無いと思います。 強い絆を知っている人間は、強い心を持つことが出来ると私は思います。 あなたは、これからもお祖父さんお祖母さんに悔いの無いよう愛情を注いで下さいね。それは電話であったり、手紙であったり…何よりもの贈り物はあなたの笑顔だと思います。あなたが元気に強く育ってくれることが、お祖父さん、お祖母さんにとってこの上ない喜びなのだと思います。
私も同じようなことを思っています。 ここのサイトでその不安な気持ちを聞いてもらおうか・・と考えたこともありましたが、1人で思っていることを文章にしてしまうことが怖いくなってしまったんです。上手くいえないのですが・・。 寿命で家族が亡くなるのも辛いが、今不安なことは不慮の事故などに巻き込まれたり、突然死などで急な別れがやってくるんじゃないか、と不安ですよね。ものすごくよくわかります。私もニュースで事件や事故などを知ると、その遺族のことなどを考えて頭から離れないことが多々あります。 私も今母と2人暮らしで、毎日毎日とにかく母が元気で帰ってきてくれるとホッとします。こんなこというと変に思われるかもしれませんが、 できることなら毎日母が出かける所に着いて行き見張っていたい位です。質問者さんは離れて暮らしているのでなおさら不安だと思います。 1人で考えて泣くことだってあります。私もどこかおかしいのでしょうか・・。 今は父の仏壇に毎日家族の無事をお願いしています。母が出かけるときには心の中で「気をつけてね」と言い、帰ってくると「ありがとうございます」と言っています。もちろん母は知りませんが。 毎日「生き続けていること」に感謝して、後は病気の件で言えばきちんと検診することが大事だと思います。(私の父は病院嫌いだったので)家に誰か来ても確認してからドアを開けてねとか、出かける時にはホームに一番前に立ったらあぶないよとか、とにかく気をつけてほしいことは何でも言います。 私はひねくれているので面と向かって母に、素直に不安な気持ちは言えませんが、もしできるのであれば今の不安な気持ちを家族の方に話して、泣いて、全て吐き出してください。きっと安心させてくれることを言ってくれると思いますよ。そして、ふっと不安がよぎったら電話して相手の声を聞いてください。 あと、質問者さんが家族のことを考えて不安なようにご家族の方も質問者さんの無事を毎日考えているはずです。私もそうなのでえらそうにアドバイスなんてできませんが、少しでも不安が和らいで「次会ったら何を話そう」とか「どこに遊びに行こうかな」と楽しいことを想像できる時間が増えるといいですね。
お礼
回答ありがとうございます。 私もまったく同じことを考えていました。 ニュースを見るたびに、自分の家族が事件に巻き込まれた様子を想像してしまったり、自分がそうなることを考えてしまったりします。 そして、実家に帰って家族が元気でいるのが分かるとホッとして涙がでそうになります。 さきほど、家に電話してみました。いざ電話してみると、何もいえなかったのですが元気そうな声と、世間話をしていたら少し安心しました。 不安なことを想像するのではなく、楽しんでいる所を想像できるようになりたいと思います。
- trytobe
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つい先日、大変世話になった叔母を亡くしました。 しばらく闘病生活をしていたため、いつかはその日が来ると覚悟しつつ暮らす日々でした。 遠くにおられたので看取ることはできませんでした。ただ、最期は眠るようだったという報を聞いたとき、悲しみや寂しさの中にも、良い最期になってくれて有り難いという安堵感があったのも事実です。 すでに祖父・祖母を全員亡くしているからこそ、死というものを受け止める耐性ができているのかもしれません。むしろ、良い最期を迎えて欲しい、というように変わってきているようにも思えます。 葬式というのは、意外にあっさりとしたもので、親戚と昔話をしていると自然にいつものように穏やかになるものです。出会いがあれば別れもある。人生で数ある出会いのうちの一つの別れでもあり、新たな出発を見送る通過点なのだ、と思えるのでしょう。 母も一度生死の境をさまよったことがありますが、その間の不安感に比べれば、自然に穏やかに召されるというのは感謝すべき最期なのかもしれません。 そうやって、人間は親族の死を受け入れ、自分の死を受け入れ、生きていることのありがたさを実感するように成長するのかと思います。生きて大学で学べる喜びを十分に生かして、人生を謳歌してください。それが、一番の孝行です。
お礼
回答ありがとうございます。 叔母さんのこと、辛かったことと察します。そんなときにこのような質問に回答していただいて…。本当にありがとうございます。 そうですね。私も苦しそうな母をみたからこそ、なるべく苦しまずに最期を迎えてもらえたらと思っています。 今学校に通えているのは、家族のおかげで私の幸せを願っていてくれるのも家族ですものね。 家族のためにも、一日一日を大切にして家族の最期を暖かく見送ってあげられるよう生きていきたいと思います。
病名で言ってしまうと「不安障害」ということになるのでしょうか。 >もし、今二人が事故にあっていなくなってしまったらどうしよう。 >今度実家に帰ったときにドアを開けて倒れてたらどうしよう。 >母みたいに急にいなくなってしまったらどうしよう。 >考えたくもないことが次から次へと出てきてしまいます…。 特にこの部分ですね。「全般性不安障害」などと言います。 僕もそういう病気なので少しはわかります。 お母さまが亡くなられた時にその種が生まれ、 最近になって花が咲いてしまったということなのかもしれませんね。 不意におそってくる不安感を抑えるということであれば、 心療内科に行ってお医者さんに話を聞いてもらう、 試しにお薬を飲んでみるというのも一つの方法です。 どうかお大事に。
お礼
回答ありがとうございます。 不安障害ですか。考えたことはなかったですが、 言われてみると、そのようなこともあるのかなと思います。 特に、寝ようと布団に入って目を閉じると、家族が殺されているような光景が浮かんできます。 今はたまにですが、ひどくなるようだったら一度行ってみようかと思います。
- MekMeki
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気持ちは分かりますよ。 私はそういう時には自分が死ぬときを想像してみます。 今もし死んだら・・・死ぬということの怖さよりも、自分がとても大事に想っている人たちが、自分のことも大事にしてくれたなぁと思える人生を歩んでこれたこと。感謝と嬉しさですね。それが第一に浮かびます。やりたいことは何もできなかったけれど、幸せな人生だったなと。 だから、自分が大事に想う人には大切に接していくように心がけています。 そうすればその人が死ぬ間際になっても、自分が愛されてこの世を去れると思ってもらえるのではないかと。 私は一番大事な人にそれが全然できていないんですけどね。 大事な人が死ぬのは誰しもとても悲しいことだけど、どうせ避けられない運命ならば、そのときが来ても後悔しないように過ごしていくしかないんですよね。それが私の場合、心のつながりの思い出を作っていくことです。
お礼
回答ありがとうございます。 私も自分が死ねときを考えると、今まで関わってきた人たちへの感謝の気持ちでいっぱいになります。 大事なことは死んでしまったらどうしよう。と不安がることではなく死んだときに、私との思い出がたくさんできてよかった。と思ってもらえるように心がけることですよね。 わたしも心のつながりの思い出たくさん作っていきたいです。
家族以外の人でも同じです。自分が関係が深い人だけのことをあまり狭く考えているのはあまりうまくいくことではないと思います。一つは仕事(職業)をきちんと持つということだろうと思います。社会の中で自分の存在を認識することにより家族の中とおなじものが得られます。立場を変えてあなたがほかの誰かからそのように思われることが重荷にならないでしょうか。あなたが自分のことをもう少し考えることの方がご家族が安心するのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね。自分だったらそんなこと考えなくても私は大丈夫だよ。と思うと思います。 きっと、それは祖母も祖父も同じなんですよね。 不安を持って生活をするのではなく、生き生きと毎日をすごして安心させてあげたいと思います。
- 33428
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人はいつか死ぬんです。 そんなに悲しんではいけません。悲しい気持ちはよく分かります。 悲しいって言葉は、辛いって意味もありますが、元々愛しいという意味なんです。愛しいから悲しい、もう逢えないから辛い。だから泣くのは構いません。みな、人が死んだときは泣きます。 でもね、生きてるものは必ず死にます。僕もあなたもいつか死ぬ。 死ぬって事は生きてるものの必ず通る道です。 あなたはそうやって人の死を心配して泣いてるかもしれませんが、花が枯れて死ぬときにいちいち泣いてますか?動物と植物、違いはあってもどっちも同じ命なんです。でも花は死ぬとき血を流さない。だから人間はそれほど同情しない。でも同じ命なんです。 あなたの母親はきっと天国で先に亡くなってた人たちとキャッキャ遊んでるでしょう。死ぬって事はそういうことなんですよ。 決して恐ろしい事ではありません。
お礼
回答ありがとうございます。 悲しい=愛しい心に響きました。悲しいと思える人がいるってことは、 とても幸せなことなのかもしれませんね。 死ということが怖いものとしか捕らえられてませんでしたが、 天国で楽しんでいるのかなと考えてみると、少し楽になりました。 ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 とても優しい回答をいただいて胸がジーンと暖かくなりました。 正直、なんでお母さんは私を残して死んでしまったの…。となんとも言えない感情を抱いたことがありました。しかし、父からの話を聞くと、母は私のことをとても思っていてくれたんだということを知り、生んでくれたことに感謝できるようになりました。 祖父母に可愛がってもらえるということは、とても幸せなことなのですね。 本当に二人には支えられて生きてきたと思います。 これからは、私が老いてく二人を支えて、悔いのないように接していきたいと思います。 そして、二人に心配かけるばかりでなく、元気だよ!と笑顔を見せてあげるように心がけていきたいと思います。 優しいアドバイスありがとうございました。