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母の死を乗り越える方法とは?
- 母の死を乗り越えるための心の支えや取り組むべきことについてまとめました。
- 身近な人の死を乗り越えるには、時間の経過を大切にしながら、感情を受け入れることが重要です。
- 乗り越えるためのヒントとして、周囲のサポートを受けたり、適切な時間をかけて自分と向き合うことが大切です。
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質問者が選んだベストアンサー
私は同居の祖父母の死を経験しました。 両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。 年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。 しかし, >母とは大親友以上の仲だったので という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。 私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。 私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。 なので天国で~,といった感傷はありません。 でも,「生きていたらどう言うだろうか」というシミュレーションはします。 祖父はとくに 「死亡通知は出さない。形式ばかりのお悔やみをもらっても意味がない。知人から連絡があったときに,こういう事情で亡くなりましたが故人の意思によりご連絡しませんでした,と返信せよ」 と,若い世代でもなかなかできない思い切ったことを遺言しました。 「死者は生者を惑わすべからず」が信念でした。 また,私自身は非婚男性で,おそらくこのままだと思いますが,「先祖代々」といったつながりは重視していません。 よく言われる「たくさんの人が先祖にいてあなたがいる」というのも信用していません。 霊感商法が問題になったときに,祖父の言った言葉が強烈な記憶になっています。 「先祖が苦しんでいるから供養がどうのなんていうが,子孫を苦しめるようなことをするはずがない」 私はさらに拡張して,子孫を苦しめるような祖先はいなくても結構だ,と言っております。 でも,これだけ極端に過激な考えを持ってる私でも,純粋に今でも「かっこいいなあ」と思います。 現代の若い世代でもこんなこと言えるのは何人いるんだ?と,身内贔屓ながら思ってしまいます。 死後の世界を否定しても,受けた教育や影響,話してくれた体験談や直接見聞きした記憶というものはちゃんと残ります。 長所も短所も個人の記憶として残っています。 自分のDNAは残せなくても,こういう考えをした人がいる,という話は伝えられます。 教育は誰も奪うことのできない財産であり,絶対に消えないものだと信じています。 残っているのは過去の出来事であっても,そこから新たな法則性や価値基準は抜き出せると思います。 視点を,ちょっとだけ亡くなったお母様から外してみませんか。 ~してはいけない,~しなくてはいけない,と考えるのはどんな場合にもつらいです。 お母様は,あなたをここまで育てあげたんだから,あなたは何をするにも自分の考えと都合に素直に従っていいと思います。 泣きたいなら泣いていいでしょう。そこで泣けるように育ててくれたんですから。 お母様がどう思うかと意識が集中しすぎるとつらいと思います。 親がどう思うかで動くのは,言い方は悪いですが,ある種子どもの考え方ですよね。「怒られるからしない」と同じような。 でも,一個人として成長すれば,誰が何と言おうと私は嬉しい,何と思われようと私は悲しい,といえるようになります。 それで必要かつ十分です。 いま,質問者さんはどうしても亡くなったお母様に視点を合わせてしまうために,どう思うだろうか・これではいけない,と自分を抑えつけてしまうのではと思います。 自分を信じてあげてください。自分を大事にしてあげてください。 ときに自信がなくなったら,「お母さんが私には合格出してくれたんだから私はこれでいい!」と考えてはいかがでしょうか。 ご参考になれば幸いです。
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- alfa628
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心中お察し致します。 私も20のときにがんで母をなくしました。 あまり参考にはならないでしょうが、ひとつの参考までに 自分は悲しみを表に出さずにいたら、パニック障害になりました。やはり、感情を表に 出すことがいいと思います。 独立されて、お子さんもいらっしゃるのですね。感情を出し切った後はご家族と気晴らしに旅行とかも いいのではないでしょうか?無理にでも楽しいと思えることをして、たっぷりと休憩する。 それが一番ではないでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。20歳の時にお母様を亡くされたとのこと、本当にお辛かったでしょうね。私は今34歳ですが、この歳でもこれだけ辛いんだから、20歳で亡くされたalfa828さんのご苦労は本当に計り知れません・・・。 やはり、感情を出した方がいいようですね。実は、夫の転勤で去年から沖縄に住んでいるのですが、母が亡くなってからのこの3ヶ月間、夫が私の気を紛らわすために、いろいろな所に連れ出してくれました。すごくありがたいのですが、平日は仕事と育児、休日は遠くの観光地まで行ったりしてバタバタ。ゆっくり悲しんだり話を聞いてもらったりしなかったことで、悲しさが内に積もってしまったような気がします。 もう少し元気になったら、ちゃんと旅行でもしてみようと思います。本当にありがとうございました。
- sona1986
- ベストアンサー率46% (122/263)
とても素敵なお母様に育てて頂いたのですね。 60代からパソコンをマスターされ、新聞記者ばりの活躍をされていたなんて、同じ女性として尊敬してしまいます。 私は20歳の時に、左右の卵巣腫瘍で摘出手術を受けました。 子供を持つために片側を少し残したので、いつも再発に怯えていて、卵巣癌だったお母様のことが他人事には思えません。 私は数年前、とても大切だった人を亡くしました。 亡くなった直後はまだ現実感が湧かず、四十九日までは色々と忙しかったりもして、気が紛れていました。 でも四十九日が終わり…やはり3ヶ月くらい経った頃ですね。 道を歩いているだけでも涙が溢れてくる、何かにすがりたいけれど何も「代わり」にはなれない、どうしようもない虚無感に襲われるようになりました。 視界に現実感がなく、「世の中」という映画を傍観しているような感覚で生活していました。 表面上は日常を続けていましたが、自分だけ「世の中」に参加していないような…気持ちは常に「失った人」のところにありました。 私もネットで「どうすればいいですか?」と質問を繰り返したり、捨て猫に執着して生きる理由や支えを見出そうとしたり、とにかく「何か」に依存したい・心の隙間を満たしてくれる「代わり」を見つけたいと必死になりました。 お金もずいぶん使いました。 一瞬でも気を逸らしたくて、少しでも気持ちが向くものがあれば、服でも何でも値段も見ずに買っていました。 「藁をもつかむ思い」というものを初めて経験しました。 四十九日までは「初七日がある」「四十九日がある」と、「次の法事」を意識して気を張っていられるんですよね。 でも四十九日が終わった途端、突然「大切な人がいなくなった世界」に放り出されてしまう…。 もう大切な人はこの世にいないのに、世界は「いた頃」と変わらずに回っていることを認識させられるんです。 私の場合、ひたすら時が過ぎるのを待ちました。 一周忌までは我慢大会のような日々。 何もなかったふりをして、自分をだましだまし「日常」を続けていました。 本を読んでも音楽を聴いても外出しても、ほんの一瞬癒されるだけで、終わってしまえば根本は何も変わっていないんです。 ようやく「過去の優しい思い出」として受け容れられるようになったのは…3年近く経っていたと思います。 三回忌が終わって、少しずつ「大切な人のいない世界」に慣れてきたというか。 それでも、悲しみや虚無感がなくなったわけではありません。 何年経とうと、ふと「その人がもう存在しない」ということを改めて実感し、立ちすくんでしまうことがあります。 質問者様はお母様とのお別れの日から、まだ3ヶ月です。 「お母様のいない世界」に、急に慣れようとしなくてもいいんですよ。 少しずつ、ゆっくりと自分を馴染ませていってください。 そして、息子さんにとってお母様のような素敵なお母さんになってくださいね。
お礼
大切な体験談を共有してくださって、本当にありがとうございます。 私も今は、日常は仕事に子育てに家事に・・・と動いているものの、なんだかフィルターをかけた世の中を見ているような感じです。自分にとってどれほど大切な人が死んでしまっても、世の中はこうやって普通に回っていくんですよね。だからこそ、自分が一人取り残されて行くような気がして、あせっていました。sona1986さんを含む皆さんのご回答を見て、別に悲しんでいてもいいんだな、と思えました。 私の場合、20歳で家を出てからは、母が病気になってからの一年2ヶ月を除いては、盆と正月会うだけぐらいだったから、生活自体は変わらないんですよね。なのに、文字通り心に穴が開いてしまった感じで・・・。長く離れていた分、変な話ですが、病気になってやせ細り、髪が抜けて、脳梗塞で意識がはっきりしなくなったあの母が亡くなったのは理解できるんですが、病気になる前の元気すぎるほど元気な母が亡くなったというのが、やっぱり理解できないと言うか・・・。少しずつ受け入れていくしかないですね。 “新聞記者ばりの活躍”・・・と言うと、少し良すぎるかも知れませんが、でも完全に(親バカならぬ)子バカですが、本当に素敵な母でした。いつか自分の息子にも“素敵な母だった”と言ってもらえるように、少しずつ前に進んで行きたいと思います。 本当にありがとうございました。
- Zorin_Soul
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御心中お察し致します。 同じ時期に同級生と親族を亡くしました。 乗り越えるというより、「今度、会ったら、恥ずかしくない生き方をしよう。」この1点だけでした。 逆に、あれこれ考えても、ここにたどり着くと思います。 何が何でも生き抜くことです。
お礼
私もいつか母にもう一度会えることがあれば、自分はこんな風に生きたよ、と胸を張って言えるような生き方をしていきたいと思います。ご回答いただき、本当にありがとうございました。
- heeroo44
- ベストアンサー率6% (14/210)
お母さんを亡くされた事に同情いたします。 私も、ここ3年ほどの間に、父親や兄弟のようにして育った従兄弟など身近な人が、6人ほど亡くなりました。 また、母がガンを患っていますので、おそらく数ヶ月のウチには亡くなると思います。 まあ それなりの歳ですので、やむを得ない事と思っています。 人が亡くなって、棺に収まっていたのに・・・1時間ほどすると、わずかな骨だけになる。 これを、立て続けに経験すると、それまで漠然としていた死について 「ああ やっぱり人間って死ぬんだな」 と、実感されます。 お母さんを亡くされ、仏事も一段落して、虚脱感の中にいらっしゃると思います その、お気持ちは理解出来ます。 その悲しむ気持ちから、無理矢理、抜け出そうと焦る必要はないと思いますよ。 ただ、アドバイス出来るとすれば・・・・ お母さんが亡くなられた事は、あなたに対するお母さんからの最後の教えと考えたらどうでしょう。 人間も生き物ですから、必ずいつかは死にます。その死ぬまでの間を、どのように生きるか・・・・ それを考える事が、お母さんに対する1番の恩返しになると思います。
お礼
身近な方をたくさん亡くされているとのこと、本当にお辛いでしょうね。 子供を産んだ時にも思ったことですが、亡くなって骨だけになった母を見て、人間ってやっぱり動物なんだなと思いました。でも、もし人間が他の動物より少しだけうまくできることがあるとすれば、それは、どんな風に生きるか、とか、人のために何ができるのか、ということを考えられること、そのために努力することができること・・・でしょうか。 今は、悲しむだけ悲しんで、考えるだけ考えて、一歩ずつ前に進んで行こうと思います。本当にありがとうございました。
- dandyman
- ベストアンサー率17% (107/614)
同じような体験をしたので、読んでて涙してしまいました。 私もしばらく辛かったです。 貴方はやるだけのことはやった。 あとは悲しむだけ悲しむしかないと思います。 人の死とは悲しいものです。それぞれの人の受け止め方があります。 無理して立ち直らなければいけないものでもないと思います。
お礼
同じような体験をされたんですね。思い出させてしまってごめんなさい・・・。 “無理して立ち直らなければいけないものでもない”と言っていただいて、少しほっとしました。私は普段は結構前向きな方なので、今の動けない自分を見て、なんだかあせっていたんだと思います。悲しみとちゃんと向き合って、ゆっくり前に進んで行こうと思います。本当にありがとうございました。
- vaierun
- ベストアンサー率22% (331/1496)
死は乗り越えるものではありません。 受け入れるものです。 「いつでも 会える」菊田まりこさんの絵本です。 絵本なので子どもさんにも良いですよ。 死は理不尽なもので受け入れ難いのですが 誰しにも訪れるものです。 私も明日生きてる保障なんてありません。 私が死んだら先に逝った主人と会うことになりますが 困ったことに20年経った最近、彼氏が出来まして(;一_一)ごめんよ~ 気まずいので当分会いたくないなぁ~なんて思いながら 会ったときには子育て奮闘記でも語ろうと思っていますヽ(^o^)丿 人生あっという間ですよーっ!! 大丈夫すぐに会えます! って、こんな励まし方は無いですよね。 でも私はいつもそう思ってるんです。 お母様のご冥福を心からお祈りいたします。
お礼
お子さんを残してご主人が先立たれたとのこと。子供を一人で育ててこられたご苦労は想像を絶します。しかも、自分で選んだわけではない死別ですものね。“死は乗り越えるものではなくて、受け入れるもの”という言葉が、すごく重く響きました。 でも、新しい出会いがあってよかったですね。お子さんはもう独立されているんでしょうか?vaierunさんが今まであまりできなかったことを、これからの人生で人の2倍も3倍も楽しめますように・・・。本当にありがとうございました。
喪失体験(グリーフケア)http://www.hospice.jp/oyakudati/griefcare.htmlとも言いますけど、母親を思う思いが一番の供養では無いですか? 実親も心筋梗塞で15分で急死、兄も誤飲から昏睡状態と言う急転直下を見て居ますけど、そうなら運命と時間と言う日にち薬が完治させてくれました。 今年初盆では無いですか? 一番思いにしたる時期ですね・・・・ 1年くらいは喪失体験から脱却出来ませんでしたけど、そうした星回りと思い、一日を元気で暮れる事を祈るばかりです。 遠距離で帰省出来ないなら、写経をされますか? 般若心経ですけど、読経するだけでも心穏やかになります、声を出す事でストレスが抜ける様で今も継続して居ます・・・・ 「般若心経」で検索すればヒットしますけど・・・・
お礼
貴重なサイトを教えていただき、どうもありがとうございます。 自分の今の状態や、母の死前後の家族の葛藤が、喪失を乗り越えて行く上で当然起こり、必要なステップだと分かって、少しホッとしました。悲しみそのものや、動き出せない自分も受け入れて、少しずつ前に進んで行こうと思います。本当にありがとうございました。
お母さまは、心の中ではまだ居なくなってはいないのでは ないでしょうか。 あれよあれよと言う間に逝ってしまったのは、お母さまも 反省されていると思います。 雲の上に電話できれば、一番良いのです・・・。と思いま す。
お礼
本当に、雲の上に電話して、話したいことだらけです。20歳で実家を出てから、どんなに遠くにいても、週に一度は必ず電話してきてくれた母でしたから・・・。 でも、変な言い方かも知れませんが、もし雲の上の母に今電話できてしまえたら、きっと死んだ意味がないのかな、と思ったりもします。“死ぬ”ということの意味がない、つまり“生きる”ということの意味がないのかな、と。不老不死の薬の是非みたいですけど。終わりがあるから、きっと人は一生懸命生きようとするんですよね。 ダラダラとすいません・・・。ご回答、本当にありがとうございました。
- nana-15419
- ベストアンサー率0% (0/1)
私も先日、事故で弟を失いました。 私の母は「幸福の科学」という宗教の会員になっていましたが、 母の勧めで、その教えを家族で学ぶことによって悲しみから救われた気がします。 その教えの中でも特に印象に残っている話は、 「肉体は死んでも、魂は永遠」なのだということです。 死んだ人の肉体はなくなってしまったけれども、 魂は今もどこかで生き続けているということなのだそうです。 弟はいなくなってなんかいない、 今もどこかで生き続けているんだ、 そしてきっと家族を見守ってくれているんだ、 そう考えると、体の奥から湧き出るパワーのようなものを感じました。 私は宗教になんて全く興味がありませんでしたが、これをきっかけに家族で教えを学んでいます。 弟の死を乗り越える手助けになった、幸福の科学の本の書名を2つ載せておきます。 必ず勇気を与えてくれるはずです。読んでみてください。 ・永遠の生命の世界(大川隆法 著) ・霊界散歩 ( 〃 )
お礼
弟さんのこと、お辛かったでしょうね。人の死は本当に理不尽に思えて、そこに何とか正当な理由を見出そうとするけど、きっとその理由、というか、意味を作り出していくのは、残された人間なんでしょうね。お互い頑張りましょうね。本当にありがとうございました。
- myukusu
- ベストアンサー率35% (25/71)
こんにちは。 私も20代の時に父と祖母を看取りました。 20数年たっても、思い出せば涙が出ますし、 もっと、何かできたんじゃないかな?? と考え続けています。 時間がたっても悲しいものは悲しいのです。 今あなたは悲しんでいるより やることがあるのではないですか??? あなたがお母様に大切に育ててもらったように 今、目の前の3才のお子さんを大切に育てることが 一番の供養になるのではないですか? 泣いてばかりいても、子供は育ちませんよ! 泣き顔のママより、 笑顔のママの方が好きなんじゃないですか? 泣いていても、お母さんは戻ってきません!! お母さんの大切なお孫さんを立派に育てて、 幸せな家庭を築くことをお母さんは望んでいますよ(^^) さあ、涙を拭いて、お子さんと一緒に にらめっこしましょあっぷっぷ!! で、笑顔になって下さい。 答えになっていなくてすいません。
お礼
心が温まるご回答をいただき、本当にありがとうございます。 子供は本当に癒してくれますね。まだ3歳の息子も、私が泣いていると“ママ、どうした?○○(息子の名)がついてるから大丈夫だよ”と言ってくれたりして、本当に頼りになります。 でも、“供養”という言葉を見て、正直ドキッとしました。きっとまだ、母が死んだということを、頭では分かっていても、受け入れていないんでしょうね。頭で理解して、事務的に法要はこなしているけど・・・。 子供が心底大好きで、子供からも異常なくらいに(?!)愛されていた母。その母に恥じないように、一生懸命、自分の子供を育てていかなきゃいけないな、と思いました。本当にありがとうございました。
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お礼
貴重なお言葉をたくさん、本当にありがとうございます。 “自分のDNAは残せなくても,こういう考えをした人がいる,という話は伝えられます。”その通りですね。母の体は亡くなってしまったけれど、いつも“感謝しなさい”と言っていた母、辛いことがあっても笑顔でその辛さを吹き飛ばして生きていた母、家族にも他人にもとにかく与えてやまなかった母。そんな母の心を、伝えていくことはできますよね。 おっしゃるように、まだ私は子供の考え方から抜け切れていないんだと思います。20歳で家を出て海外に渡ったし、今結婚して子供もできて、それなりに仕事もして、大人になったつもりでいたけど、“一個人として成長”していくのは、まだまだこれからなのかも知れませんね。ある意味、ここから本当に私の人生が始まっていくのかも知れません。母から教わったことを、自分なりのやり方で、活かしていけたらなと思います。本当にありがとうございました。