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世界(の変化)が止まったら 時間も止まるか?
時間が止まったら 世界が止まると思う人は多いでしょう。 では世界が もし仮に 止まったとしたら 時間も止まった事になるでしょうか? 電子などの素粒子の運動から太陽系の地球の公転 地球の自転も止まり 電波時計もデジタル時計もアナログ時計もみんな止まるのです。 すべてが 仮に 止まったとしたら 時間も止まるとすれば 半分の速さで変化したら 時間も半分の速さで進みます つまり時間とは 物質・エネルギーの変化の事 ではないでしょうか? 端的なご意見を頂けるとありがたいです。 よろしくお願いします。
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たとえば、風が吹いて桜の木から花びらが舞い散る光景を見ているとして、果たして時間があるでしょうか? また、私が絶海の孤島で暮らしているとして、果たして時間なんか、感じるでしょうか? 私は時間がなくても、風が吹いて桜の木から花びらが舞い散る、と思うし、また時間がなくても、絶海の孤島で暮らすのに何も支障はないし、関係ないと思います。 ただ、風に吹かれて桜の木から花ビラが舞い散っている光景を認識するためには時間が必要です。 また、絶海の孤島でなく、都会で、人と待ち合わせをしたり、商取引をしたり、銀行が利息を計算したり、工場で始業時刻と終業時刻を測定するために、また会社で会社員の仕事をした給与を計算したり、電車を定期運航したり、学校で授業のカリキュラムを規則正しく消化したり、教会でお祈りとその後の日課をこなすために・・・・時間が必要というだけです。 つまり他人と社会生活をするために必要です。 アリストテレスは、運動を「その前」と「その後」に分割して、それを数えることが時間だと言いました。 運動そのものは時間ではないが、だからと言って運動から離れて時間があるわけではない、と。 時間を測定するためには数のように数えられるものでなければならない。 何らかの基準が必要。 よく、光の速さが時間だという人がいるけれども、それだと測定ができない。 時計の時間は昔は天体運動、地球の自転を1日とし、その地球が太陽の周りを公転するのを1年とし、それに基準を取って時計を作ったけど、いまは水晶発振に基準を取るクオーツ時計とか、セシウム周波数に基準を取る原子時計とか、時間の基準はどんどん精度が増している。 時計の時間は、たとえば、針が文字盤の上を移動する空間的な距離を1時間とか、2時間と言っているけど、哲学者・ベルグソンに言わせると、それは空間であって時間ではないという。 時間には長さなんてない、長さというのは空間のこと。 ベルグソンは真の時間は純粋持続であるという。 そして私たちは静止しているもの、動かないものならば、知性でそれを捉えることができるが、運動しているもの、持続するものは知性では捉えられず、それを捉えるのは直観であるという。 よく時間は流れるという人がいるけど、私は時間は流れない、と思う。 流れるのは出来事とか、事象の方であって、時間そのものではない。 時間はその出来事の、事象の運動や変化を認識するための「形式」だから、時間そのものは中身は空っぽ、なんら実質を有していない。 時間は実質を有していないので、空虚、だからそんな実質を有しないものが、どうして流れたりするものか。 流れるというけど、いったい何が流れるというのか? 何も流れるものがないのに。 流れたり、運動したり、変化するものは出来事であり、事象だから、時間があっても無くても、それとは無関係に、出来事はあり、事象もある。 だから、風に吹かれて桜の木から花びらが散っても、時間とは無関係に、花びらは散ります。 絶海の孤島では、時間なんか無くても生活してゆくのに何も支障はありません。 時間が止まっても、時間がなくても、宇宙はそれとは無関係に運動を続けます。 世界が仮に止まったら、それを私たちが止まったと認識したら、時間も止まる。 ただ、止まったというためには反対の動いていることを知っていなければならないから、もし、宇宙の初めから宇宙が止まったままだったら、そもそも時間の概念は必要ではない。 「電子などの素粒子の運動から太陽の周りを地球が好転したり地球が自転するのを止めたら」、時間が止まるというより、時間の概念が必要でなくなる。 なぜならば、アリストテレスの言うように時間というのは運動があって、それを「その前」と「その後」に分割して数えることなんだから、運動が停止したら、時間の概念は必要ではなくなる。 時間は運動とか変化があってのものだから、運動とか変化がなくなったら、時間は必要ではない。 「時間とは物質・エネルギーの変化のことではないでしょうか?」 ・・・・・・というけれど、エネルギーの変化だけだったら、それを数えることはできない、そしてアリストテレスによれば、時間とは運動を分割して数えることなのだから、時間はエネルギーの変化とは別で、そのエルルギーの変化を認識するための「形式」。 時間とエネルギーの変化は独立の事柄。 エネルギーの変化が「内容」としたら、それを測定する「形式」が時間。 アリストテレスの言うように、時間は運動やエネルギーの変化と独立にあるわけではないけど、かといって、運動やエネルギーの変化と同じという訳でもない。 カントは言っています、 「形式なき内容は混沌である。内容なき形式は空疎である」と。 私たちがこの世界を秩序あるものと認識しているのは時間という「形式」があるおかげです。 出来事を、事象を、「その前」と「その後」に因果的に秩序あるものとして結び付けているもの、それが時間です。 だから、時間そのものは世界を秩序あるものとして認識するための基準ですから、それ自身はなんら実質を有せず、空っぽ、そして中身のない空っぽなものは流れたりしません。 流れるというためには実質が必要ですから。 私たちは「時間は・・・・・」と言って、時間を主語にして語るとその時間が何か実体的に存在するものと勘違いします。 アリストテレスも「文法で主語に置かれたものが実体である」と言って、主語と実体を同一視しました。 そこから時間が、それ単独で存在するもののように錯覚するのです。 でも、時間はそれ単独では存在しません。 時間は単なる「形式」です。 「内容」があってのものです。 「物質・エルルギーの変化」という「内容」だけでは、それを時間ということはできません。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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yuniko99 さん。 世界という客体存在が現出していて変化が止まることってあるのでしょうか。 世界という客体の存在とは変化するということがその、つまり存在の本質でしょう。 だから世界の存在って時間がある、時間があるとは変化する、時間が流れる。 という事でしょう。
お礼
そのとーり そのとーり そのとーり! 存在が変化したら 別のものになりますが 同じものと思えたら 存続しているのです。 存在と存続は全く違うことです。 時間が流れるというのも比喩表現ですねえ 時間は経過すると言うんだそうです。 世界が止まることは有り得ません。統計学的にも≒0じゃないでしょうか? どうも大変ありがとうございます。
- Mokuzo100nenn
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>世界(の変化)が止まったら 時間も止まるか? 世界(の変化)が止まったら 時間を測定できなくなるだけです。
お礼
成る程 上手い!座布団10枚^^ どうもありがとうございます。
- 畑 茂夫(@Flareon)
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今年の私の弟子、仮面ライダードライブが戦っている。 その結末が君の質問への答えだ。
お礼
仮面ライダードライブはそんなに凄いのですか? 楽しみだな どうもありがとうございます。
- 山田 太郎(@f_a_007)
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時間と空間は物資の運動・質量と密接不可分のもの。 × 時間が止まれば世界が止まる。 × 世界が止まれば時間が止まる。 × 世界が止まる=時間が止まる。 いずれも、言葉遊びの類。物資の運動・質量との関係を抜きにした言葉遊びの類。
お礼
言葉遊びとかお花畑とかが嫌いなんですねえ 成る程。 どうもありがとうございます。
光が進んでいれば時間も進んでいます。光が約30万kmを進んだら1秒経過です。光子以外の素粒子(正確には質量を持つ素粒子)等は関係ありません。 この場合、光が進む以上、波動または光子であり、エネルギーの移動、すなわちエネルギーの変化になると考えたくなるかもしれません。 そうではないです。例えば、電磁気力が作用している場合、常に光子が交換されていますが、その光子はエネルギーを持ちません。それゆえ、観測もできず、電磁気力が働いている物体以外との相互作用もありません。そういう光があるのです。 おそらく、重力に関しても同じことが言えるはずですが、まだ理論化(量子重力理論)も観測も成功していません。分かっているのは光(電磁波)のみです。 物質はもとより、エネルギーも変化せず、しかし光が進むことにより、時間は進んでいるわけです。 あるいは、物質が物質であることも時間の証左になります。ただし、ミクロの物理学のため、マクロでの常識で考えると、ちょっとおかしな感じがするかもしれません。おかしいと感じても、ミクロの世界はそういうものです。 例えば、中性子を持つ原子核では中性子と陽子が常に電子を交換し続け、原子核の形を保っています。核力ですが、振舞いから交換力とも呼びます。 これも物質やエネルギーが移動してるとはいえない現象です。物質やエネルギーが移動しているとすれば、必ずロスが起こり、原子核は形を保っていられません。しかし、状態変化は常にある。物質やエネルギーが関与しないので変化の観測はできない。 物質とエネルギーの移動がない前提で、電子の交換を禁じると原子核は崩壊します。電磁気的にはプラスの電荷たる陽子だけですからね。複数の陽子と複数の中性子でできた原子核が安定して存在している。それは物質もエネルギーも移動せずに状態変化が常に起きている、つまり何も変化を観測できなくても(←技術的にではなく原理的に)、時間があるからなのです。
お礼
成る程。しかし私は科学をやってる訳じゃないですよ、哲学として時間とは何かを考えたのです。 どうもありがとうございます。
時間という意識があるのは人間です・・ あなたの言う 世界が止まるということは 人間は絶滅してる・・ それなら 時間なんて不要なだけ・・・ そして ・・これって哲学なのか!? 人間の絶滅した世界に学問は不要だから 哲学では無い筈なのに・・・(笑) まっ もしもかかしも無い事に 深入りしたって No Ginger(笑)
お礼
分からないですかねえ・・・残念。 どうもでした。
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宇宙空間は昔からあったから、時間はとまらないです。
お礼
時間が止まらないのではなく 世界の変化が止まらないのです。 もし 仮に 止まったとしたら?という仮定法です。 止まることはありません。正解。 どうもありがとうございます。
「時間の速度」を測る手段をどのようにすればいいでしょうか。 全てが止まる=時間も止まる とすれば時間の速度を測る指標がないので、物質も時間も両方止まっていないのと同じ。今の世界と変わりません。 「全てを止めて時間だけが動くようにする」ためには、すべての物質が持っているエネルギーと同量のエネルギーが別途必要。(走っている車を止めるには、加速に必要だったエネルギーと同じエネルギーが必要。)
お礼
いえ 止まったら時間が在りませんから測れないですよ。無いのだから。 どうもありがとうございます。
お礼
成る程 先生ご指摘の通り 時間と言うものが在るとは思いません。 私の存在の定義に時間はありません。 人間が「時間」と呼んでるものは 実際には物質・エネルギーの変化であろうと言っている訳であります。はい。 どうも大変ありがとうございます。