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童子切安綱と三日月宗近について

童子切安綱と三日月宗近ってどちらの方が制作時期が古いんですか? 最近の本で童子切安綱は天下五剣の中で最も古いのでたびたび筆頭として挙げられるって書いてあるんですが本当ですか?

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  • Pinhole-09
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回答No.3

No. 1です。 三条宗近は京の三条に居を構え、伝説によると一条天皇(986~1011) のお望みで、刀を打ち献上しました。 これが正しければ1000年前後の人となります。 伯耆の国安綱は童子切の作者といわれており、頼光の大江山の酒呑童子退治の 1018年以前の作刀になります。 他方古くは安綱は大同(806~809)平安初期の人といわれましたが、 その後の研究でこれは誤りとわかりました。 平安初期の刀は、童子切や三日月宗近のように反りが大きくなく、直刀に近い もので、かつ切刃(せっぱ)造りだったからです。 平安時代に書かれた検非違使の絵でも見られます。 後世は鎬造りです。 ご質問の両者の刀は1020年前後のように思われ、そうすると平安中期と後期 (院政1026より)を境界とすると中期と後期にまたがります。 従い刀の本では中後期とかかれています。 所でご質問のどちらが古いかですが、鑑定では作刀の大体は似ています。 ただ宗近の方が多少洗練されています。 目釘の穴など、より後世の刀に似ています。 それと先述の安綱が平安初期と間違われたのも、洗練度の違いとも考えられ こちらの方が古いと見るのが妥当です。 専門用語の解説は省略します。

noname#210532
質問者

お礼

再度に渡って回答ありがとうございます!謎が解けました!成程、そういう時代表記の曖昧さが話を見えにくくしていたんですね!安綱の作風が宗近より洗練されていないので時代が古いと言うのも納得しました。回答ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • ithi
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回答No.2

m11aikfc7f さん、こんばんは。 童子切安綱は10世紀の後半から11世紀の初めくらいですかね。頼光が大枝山の鬼退治に出るのは寛仁元年(1018)だそうです。三日月宗近は11世紀末くらいだそうです。詳細は下記のURLを参照ください。 童子切安綱 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%A5%E5%AD%90%E5%88%87 源頼光 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E5%85%89 三日月宗近 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%97%A5%E6%9C%88%E5%AE%97%E8%BF%91

noname#210532
質問者

お礼

回答ありがとうございます。私も頼光が所持していたなら童子切は10世紀の後半から11世紀の初めくらいかなー?とは思っていたんですが、ウィキに平安後期に作刀って書いてあったので、平安後期って11世紀末(1086年)ぐらいからだから時代が合わないよなー、と疑問でした。ウィキの情報が間違ってるのかなー?と。

  • Pinhole-09
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回答No.1

三条宗近は永延の頃と判っています。 伯耆の国安綱も同時代と見られていますが はっきりせず、もっと古いとの説もあり、 総合して安綱の方が古いと見られます。 小笠原信夫著「刀剣」より。

noname#210532
質問者

お礼

回答ありがとうございます。参考になりました。

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