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人とずれている私|後悔と不安|治る?診断を受けたくない|助けて!
- 24歳の女性が職場の人間関係に悩まされて退職し、自分が周りとズレているのではと不安に思っています。自己分析やコミュニケーションの困難さ、感謝の気持ちの理解の難しさなどが普通とは違う点として挙げられます。退職後に自分を客観的に見るようになり、自分の性格に不安を感じています。診断を受けることや助けを求めることに躊躇しているものの、改善したいという期待もあります。
- 質問者は一人っ子で育ち、両親や祖父母から甘やかされて育った経験があります。学生時代から周りから変わっていると言われることが多く、友人関係や学業においても苦労がありました。自己分析や就職活動でも困難を感じ、退職後に自己の性格に不安を抱いています。診断を受けることに抵抗を感じていますが、何か良い方向に変わるのではないかという期待もあります。
- 退職を選んだことや周囲とのズレを後悔し、自己分析やコミュニケーションの困難さなどを挙げています。相手の感情を理解できないことや行動の不適切さ、感謝の気持ちの理解の難しさなどが普通とは異なる点として認識しています。診断や助けを求めることに迷いがありますが、自己改善を望む一方で自分に自信が欲しいと述べています。
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質問者が選んだベストアンサー
>これは治りますか? 逆に伺いますが、治すための痛みや苦しみを伴う努力をする意思はありますか? 質問者さんの今の状況は、ある意味単純といえば単純で、周囲が自分に合わせてくれるのがあまりに当然の環境に生きていたので、世間が自分に合わせてくれない社会人になって不適合を起こしているのです。質問者さんはね、マンガに出てくるようなお嬢様と同じってことですよ。あの人たちは自分の意志の通りに周囲が動いて当然だと思っているでしょ?それと同じなんです。マンガチックにデフォルメされているかどうかの違いだけです。 >個人プレーで仕事をしていたと思います。 これですよね。自分の思い込みだけで仕事をやっていたわけです。集団の中で、自分を相対的に見ることができなかったのです。 スポーツって、それの最たるものですよね。特に野球とかサッカーとかの集団競技がそうです。ときにチームのために人にボールを譲ったり、バントをしなければなりません。控えに回されて、監督の都合のいい場面だけに使われるということもあります。でも、そういう中で「自分がチームのために何が貢献できるのか」ということを考えなければいけません。 世間の多くの人たちは学校やスポーツなどでそういう周囲との協調性を学んでいくのですが、質問者さんはスポーツもやらず、自分一人で気楽な環境でのんびりとやっていたので、それを学んでこなかったのです。 今、質問者さんは岐路に立たされています。苦しみを伴いながら自分をフルモデルチェンジさせるか、そこから逃げて社会不適合者になるかです。「今のままでは社会に通用しない」というのは骨身に沁みて分かったと思います。そうなると、あとは自分を社会に適合させるか、もう社会は自分に合わせてはくれないので、社会に背を向けるかになります。 例えば待ち合わせに遅れないために、準備が間に合わなくても時間に合わせるということができるかどうかですね。自分の準備をちゃんと整えて相手を待たせるのではなく、自分の準備が不十分でも相手を待たせないということをするということです。 「私、普通ですよね?」っていいますけど、たぶん普通じゃないよ。実際に社会に適合できなかったわけじゃないですか。学生時代も自分の世界にいただけのことです。ただ、学校は社会人の世界ほど他人に合わせなくても大丈夫だったということに過ぎません。「なんだかんだで学生時代って気楽だった」っていうのは、そういうことです。「私、普通ですよね?」という言葉の裏は、「私は今のままで変わらなくてもいいですよね?」って意味ですよね。でも、変わらないと、誰も相手にしてくれないよ。「私は普通じゃない、常識を持ち合わせていない人間だったから、これから恥をかいてもそれを学んでいかなければならない」って気持ちにならないと、また同じ過ちをくり返しますよ。
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こんにちは。その症状は、お薬で治りますよ。質問に書いたことを印刷して、親と一緒にカウンセラーへ行ってそれを見せればいい。病院へはカウンセラーの紹介状を持っていけばいいよ。たぶん十代の時から潜伏していて、仕事のストレスで発症したんだね。ちなみに、友達よりもお金のほうが信頼できると思いはじめたら、それはすでに発症しているよ。じゃあがんばって。