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1986年と現在の古墳の解釈

図書館で借りてきた、古墳の謎という1986年に田辺さんという方が書かれた本を読んでおります。この本を読んで堺市周辺の古墳を見て回ろうかと思うのですが、この本が書かれた1986年の解釈と現在の古墳に対する解釈は、かなり異なるものなんでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • oska
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回答No.2

>1986年の解釈と現在の古墳に対する解釈は、かなり異なるものなんでしょうか? もともと、学会と宮内庁の基本的な考え方は180度異なります。 1986年だと、昭和61年ですよね。 当時は、「宮内庁が管理する墳墓は、学者でも立ち入り禁止」でした。 今も、天皇・皇太子を除いて立ち入り禁止ですがね。 大韓反日民国と異なり、教育の自由が認められていると言っても宮内庁の意見を無視する事は難しい状態でした。 規模の大きな前方後円墳は、全て「天皇家に関係する実力者の墓」という前提でした。 例えば、今の「大仙古墳」は「伝仁徳天皇陵」「仁徳天皇陵」から名称が変わりましたよね。 秀吉は、大仙古墳頂上で花見を行っています。 江戸時代は、大仙古墳頂上に堺町奉行所及び関連施設が建っていました。 本当に仁徳天皇陵だと、秀吉も幕府もむげに扱いませんよね。^^; 話がそれましたが、墳墓の土木的説明は基本的に変更ありません。 先に書いた通り、学者でも自由に墳墓に入る事が出来ないのですからね。 他にも回答がありますが、「埋葬者」については徐々に宮内庁説は否定されつつあります。 宮内庁管理で無い墳墓・古墳に関しては、当時不明だった事も若干明らかになっています。 まぁ、当時の本と現在のパンフレットを比較しながら墳墓・古墳巡りをすれば面白いかも?

tahhzan
質問者

お礼

そうですか。あの古墳の上に奉行所ですか。信じられないですね。とりあえず、もう、その古い資料は買ってしまったので、それを参考にしながら古の日々に思いを馳せたいと思います。貴重な情報をありがとうございました。

その他の回答 (2)

回答No.3

門外漢なのですが、おそらく30年前の見識と今とでも、大差は無いはずです。 10年前の教科書が使い物にならないという分野は、バイオ関係と天文学関係くらいではないでしょうか。

tahhzan
質問者

お礼

なるほど、確かに、電気の分解でも、電気理論なんかは、今でも30年前の教科書が使えますからね。ありがとうございました。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

大阪府にある古墳については、特に21世紀に入ってから、誰のものであるかについて改めて考察されなおして、時代の再考証とともに別の豪族や勢力・文化の流れが入っているのではないか、というさらに深い解釈がなされているかと思います。 堺 古墳 研究 OR 考証 OR 仮説 - Google 検索 http://www.google.co.jp/search?q=%E5%A0%BA+%E5%8F%A4%E5%A2%B3+%E7%A0%94%E7%A9%B6+OR+%E8%80%83%E8%A8%BC+OR+%E4%BB%AE%E8%AA%AC

tahhzan
質問者

お礼

そうですか。では、堺市の観光協会が出しているパンフレットも併用することにして、不明な部分を補いたいと思います。ありがとうございました。

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