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フライのパン粉の歴史
以下の参考URLのページ 【参考URL】 ようこそポルトガル > ブログ > 食べ物・飲み物 > 元祖天ぷら http://yokoso-portugal.com/blog/22151/ の情報に拠りますと、トンカツ等の揚げ物料理は、16世紀頃、天麩羅などと共にポルトガルから日本に伝来したとされている様です。 又、1860年に出版された福沢諭吉の著書「華英通語」にも、カツレツとみられる言葉が掲載されていたそうです。 【参考URL】 食の研究所 > 2011.06.10 揚げ物ではなかった「とんかつ」誕生秘話 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/10686 そこで質問なのですが、幕末の開国以前の日本において、衣に使うパン粉はどうしていたのでしょうか? 1842年に幕臣の江川英龍が兵糧とするためにパンを試作したのが日本のパン作りの始まりと言われており、その話に従いますと江戸時代でも僅かながらパンが作られた事があるとはいえ、これは明治維新の僅か25年前の事に過ぎませんし、また例え他にもパンを焼いた例があったとしましても何れも少数の例に過ぎず、一般的にパンが製造されていたとは思えませんので、わざわざ希少なパンを使ってパン粉を作っていたとも思えません。 トンカツは獣肉を使いますから、獣肉食があまり一般的ではなかった明治維新以前には、トンカツもまた一般的に作られる事は無かったかも知れませんが、トンカツ以外にもチキンカツや魚のフライにもパン粉は使われています。 もしかしますと、殆どを海外からの輸入に頼っていたのでしょうか?
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- nijjin
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>と書きましたが、元々「華英通語」は清国(中国)人の子卿原なる人物が書いた同名の著作物を、福沢諭吉が日本語訳文を追加して出版したものだったそうですので、日本国内の事を書いた書物ではない様です。 そうですね。 書物や口伝などを通じ翻訳としたのか実際に現物が伝わって翻訳されたのかが今一つはっきりしません。 しかし、水戸光圀や将軍家、出島周辺の商人や大名のように先んじて食した可能性は否定できません。 とはいえ、確固たる資料が見つからない以上は推測(創造)の域を超えません・・・ すっきりはしませんが専門家でもない一個人が短期間で調べられる範囲ではそこまではわからなかった(わからない)というのが現状かもしれません。
- nijjin
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たしかのその可能性は十分あると思います。 「てんぷら×魚フライ」で誕生したエビフライ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36896?page=3 によると、江戸時代で一般的に使われていた衣は小麦粉を溶いた衣だったようです。 しかし、江戸末期にカツレツが入ってきたという話もあり ごく一部では食されたのかもしれませんが庶民が気軽に口にすることは無かったのでは?と思います。 カツレツのお話 http://japandaisuki.web.fc2.com/Food/Cutlet.html
お礼
何度となく御回答頂き誠に有難う御座います。 >江戸末期にカツレツが入ってきたという話もあり 正にそこなのです。 パン食が一般的ではなかった時代にどの様にしてカツレツを作ったのかという事が知りたいのです。 もし仰る様に「麩」、「あられ」、「ごま」の様な代用品を使ったという事であれば、実際にはそれらの内のどれが使われていたのか(或いは、料理人毎に代用品が異なり、どれもが使われていたのか)という具体的な事を知りたいのです。 尤も、幕末という事であれば質問文で触れております江川英龍のによるパンの試作よりも後の時代であった可能性も少ないとは言えず、江川英龍は兵糧にするためにパンを作った訳で、その後量産もされた様ですし、加えて江川英龍の真似をして諸藩が兵糧としてのパンを量産したという話もありますので、幕末期であれば日本国内にも結構な量のパンが存在していたのではないかと思います。 兵糧である以上、常に一定の量を確保・備蓄しておかねばならず、古くなったものは順次消費しなければならなかったという可能性も考えられますから、一般庶民に出回るほどではなくとも、それなりの量のパン粉を作る事も困難な話ではなかったという可能性もあるかも知れません。 ですから、幕末の頃になって初めて国内でカツレツが作られたという事であれば、江戸時代の大半はフライも存在していなかったという可能性もあるかと思います。 只、「ようこそポルトガル > ブログ > 食べ物・飲み物 > 元祖天ぷら」の話は江戸時代が始まる前の話ですので、この >16世紀にポルトガルより伝わった、ポルトガル料理のPeixinhos da hortaが天ぷらの元祖と云われています。また同時にパン粉もポルトガルより伝わり、トンカツなどの揚げ物の食文化が始まったとされています。 という話がもし本当であるとしたならば、疑問は解決しない事になりますので、どちらが本当の話なのか(トンカツが初めて作られたのは幕末なのか16世紀なのか)気になる所です。 それから後になって知った事なのですが、質問文では >1860年に出版された福沢諭吉の著書「華英通語」にも、カツレツとみられる言葉が掲載されていたそうです。 と書きましたが、元々「華英通語」は清国(中国)人の子卿原なる人物が書いた同名の著作物を、福沢諭吉が日本語訳文を追加して出版したものだったそうですので、日本国内の事を書いた書物ではない様です。
- nijjin
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衣はパン粉が無くても「麩」「砕いたあられ」「ごま」などが使えますから必ずしもパン粉が必要というわけではありません。 あるいはそのまま溶いた小麦粉かも? また、串カツは江戸時代からあったようです。 wikiより串カツ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B2%E3%82%AB%E3%83%84 しかし、江戸時代の串カツの衣は不明です。 庶民の食べ物(屋台)ということですから少なくともパン粉ではないと思います。
お礼
三度の御回答有難う御座います。 >必ずしもパン粉が必要というわけではありません。 成程!「麩」、「あられ」、「ごま」がパン粉の代わりになるとは知りませんでした。 そうしますと、江戸時代に何を使って衣にしていたのかははっきりとは判らないものの、フライが存在していた可能性は皆無では無いという事なのですね。 >また、串カツは江戸時代からあったようです。 >しかし、江戸時代の串カツの衣は不明です。 との御回答を頂き、早速、私もネット上に何か情報が無いか調べてみたのですが、江戸時代のものは串カツの原型になっただけで、カツレツではなく、天麩羅を串に刺した物であったという可能性もあるかも知れません。 【参考URL】 ロイヤルクイーン料理教室 > 食育のページ > mini特集 > 『行事 食べ物・しきたり』はこちらから > 9月4日は「串」の日 http://www.royalqueen.jp/shokuiku/minitokushu/gyouji/20140903.htm 一般社団法人 日本植物油協会 > 植物油INFORMATION > 第29号 日本の食文化と植物油 ~ 奈良時代のピラフから江戸の天ぷらまで! ~ > 3 天ぷらは庶民の文化 ~江戸時代 http://www.oil.or.jp/info/29/29_3.html
- nijjin
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パンの歴史 http://www.oishii-pan.net/knowledge/history_japan.html wikiよりパン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3 江戸時代にはパン粉どころかパンそのものが無かったようですのでパン粉を使ったフライは無いのかもしれません。 粉モノ歴史館 http://www.okonomiyaki.to/history.html うどん・そば・そうめんの話 http://www.uraken.net/zatsugaku/zatsugaku_47.html このことから江戸時代にはすでに小麦粉があったようです。 江戸時代に大ブームとなった天ぷら http://www.jidaigeki.com/original/201302_ryouri/recipe/No06_01.html wikiより天ぷら http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E3%81%B7%E3%82%89 再現レシピでも小麦粉が使われていることから江戸時代においても小麦粉が衣として使われたと思われます。 天ぷらのルーツ http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20140303 wikiよりから揚げ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%89%E6%8F%9A%E3%81%92 から揚げは衣をつける天ぷらより先にあったようです。 また、日本ではフリッターも天ぷらより先に入ってきたみだいです。 調べられたのはこれぐらいです。
お礼
再度の御回答有難う御座います。 又、色々と調べて下さった事に感謝致します。 >江戸時代にはパン粉どころかパンそのものが無かったようですのでパン粉を使ったフライは無いのかもしれません。 はい、私もその様に思っていたところに、質問文で挙げております幕末以前におけるトンカツの存在を示す二つの記述を見つけたため、疑問に思ってここでこの様に質問致した次第です。 只、質問文で挙げている二つの例は、単にトンカツという料理が日本の記録にあるというだけの事で、外国人が調理したものを一部の日本人が知っていたというだけの事なのか、それとも日本人の手によってトンカツが作られる様になっていたという事を示すものなのかがはっきりとしません。 パン食自体は一般的ではなかったとしましても、パン粉を輸入するなり、何らかの別の食材をパン粉の代用品として使用するなりなどと言った方法で、フライが作られていたという可能性も捨てきれないのではないかとも考えまして、何か御存知の方に御教え頂きたいと考えた次第なのです。 nijjin様の仰る様に、私も日本にフライがあったとは思えないのですが、「南蛮から渡来はしたものの日本では作られる事が無かった」とか「渡来直後に少数作られただけで直ぐに廃れてしまった」などと言った類の事を示す情報を見つける事も出来なかったため、今一つスッキリしない気分を抱えたままになっております。
- nijjin
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パン粉の歴史 http://panko.jp/panko-ohanashi002.html 戦前ではパンをほぐして干していたようです。 日本初パン粉の商品化 http://www.lion-foods.co.jp/tishiki04.html 1916年には国産のパン粉があったようです。 ちなみに江戸時代でも意外と肉は食べられていたようです。 wikiより日本の獣肉食の歴史 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%8D%A3%E8%82%89%E9%A3%9F%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 牛肉の歴史 History of Beef http://homepage3.nifty.com/onion/labo/beef.htm
お礼
御回答頂き有難う御座います。 日本においての獣肉食文化は、平安時代辺りから貴族社会で良くない事とされる様になり始めたものの、その頃はまだ庶民の間では獣肉食が行われていた事や、その後、一般庶民の間でも獣肉食があまり一般的な習慣ではなくなった後も、江戸時代などには薬(という名目)として獣肉が食べられていたという事は存じておりましたが、貼って頂いた参考URLのページは大変興味深く拝見させて頂きました。 ただ残念ながら、私が知りたかった >幕末の開国以前の日本において、衣に使うパン粉はどうしていたのでしょうか? という事に関する情報は書かれていない様です。 宜しければ、幕末の開国以前というパン食が一般的ではなかった時代の日本において、フライ等のパン粉を使う料理を作る際には、パン粉をどうやって調達していたのか、或いは、パン粉の代用品としてどの様な物をどの様に使っていたのかという事を御教え頂けたら幸いに思います。
もっと 簡素に考えると 食に凝ってては時間が無かった時代だったとしか思えないが・・!? 朝日が射してから日没までに家事諸々をしないと現代の様に電気等無いのだから・・・ 有る物で腹を満たせば それで良かったのでは!?
お礼
それでその様な当時に、フライの類に使うためのパン粉はどうやって用意したのでしょうか? 実際には、天麩羅やカステラといった南蛮渡来の食べ物や、麺の蕎麦や握り寿司などといった新しい食べ物が作られるようになっていた訳ですから、有る物で腹を満たすだけでは良くなかったという事になります。 その他にも、江戸時代には「料理献立集」、「料理物語」、「合用日用料理抄」、「羹学要道記」、「当流節用料理大全」、「料理山海郷」、「八僊卓燕式記」、「古今名物御前菓子秘伝抄」、「豆腐百珍」、「豆腐百珍続編」、「海鰻百珍」、「いも百珍」、「諸國名産大根料理秘伝抄」、「大根一式料理秘密箱」、「万宝料理秘密箱前篇」、「鯛料理百珍秘密箱」、「新著柚珍秘密箱」、「名飯部類」、「素人包丁」、「新撰庖丁梯」、「鯨肉調味方」、「日用助食竈の賑わい」、「年中番菜録」、「西洋料理通」などといった数々の料理レピシ本・グルメ本の類が出版され、そのいくつかはベストセラーとなった事から考えて、江戸時代の人々は相当、食に凝っていたとしか思えません。
お礼
御回答頂き有難う御座います。 >書物や口伝などを通じ翻訳としたのか実際に現物が伝わって翻訳されたのかが今一つはっきりしません。 福沢諭吉が幕府の遣米使節団に随行した際に、サンフランシスコ在住の清の商人の一人から子卿原の「華英通語」を譲り受けたそうです。 本の題名から考えて、中国人向けに書かれた「良く使う英会話」、「日常英会話」などと言った類の例文集ではないかと思われます。 その中に「トンカツ」を意味する言葉が書かれていたという事は、少なくとも中国国外で働くような中国人にとっては、「トンカツ」は日常会話で口にしてもおかしくは無い言葉だったという事になるのではないかと思います。(最初は、中国版日常英会話が元となっている事を知らなかったため、日本のにおける日常会話に「トンカツ」という言葉が登場してもおかしくは無いものと勘違いしておりました) >確固たる資料が見つからない以上は推測(創造)の域を超えません・・・ >すっきりはしませんが専門家でもない一個人が短期間で調べられる範囲ではそこまではわからなかった(わからない)というのが現状かもしれません。 そうですか、残念ですが仕方が御座いません。 ここまで色々と調べて情報を御教え頂き感謝致します。