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インセストないし《試し腹》で遺伝子異常が出ますか
- 朝鮮半島人の遺伝子異常の理由や韓国人の遺伝子の特徴について、真偽や詳細を教えてください。
- 朝鮮人の遺伝子は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列を持っており、これは過去の遺伝的なドリフトや近親相姦が関わっている可能性があります。
- 近親婚の禁止は人間の社会的な共生を促すためのものであり、生物学的な観点からはどうなのかについて知りたいです。
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> そうしますと 似通った遺伝子群へと片寄って行く血筋としての家系が成り立つためには 十世代や二十世代をも必要とするように考えられます。 そうですね。 数世代ではほとんど影響はないでしょう。もともと重大な遺伝病の遺伝子を元の親が保有していたとかでない限りは。 > ですから このファビョルという症状は 試し腹と因果関係があるか? これが知りたいところです。ちょっと虫がよすぎますか? たぶんないでしょう。少なくとも生物学的には全くの無関係かと思います。 >ミーム これはまだ学術的なきちんとした概念ではないので学術的にはなんとも言えません。 そもそも生物学とは全く無関係な話です。 人間は学習によって技術知識生活様式などを子孫に伝えていく性質があります。 これは情報の伝達の一種と言い換えることができます。 例えばお味噌汁の作り方は各家庭特有のものがある、なんて昔は言われてましたね。 これは味噌汁のレシピという情報が世代間で伝達されている訳です。 この、子孫に伝わる味噌汁のレシピのようなそういう情報を遺伝子情報のようなものだと例えたものがミームという概念です。 いわゆるファビョる、というものが具体的にどういう発祥があるのかは分かりませんが、大人たちの多くがファビョるのが当たり前の社会で生きる子供たちが成長の過程で自然とファビョるという行動パターンを学習し、さらにその次の世代にも伝わっていくということは考えられるかと思います。 ある幼稚園児を持つ日本人の家族が仕事の都合でアメリカに移住した時、両親は大人しい我が子がアメリカの幼稚園に馴染めるだろうかと悩んだが、子供はアメリカでは非常に活発に意見を言うようになりすぐにアメリカの子供たちに馴染んでしまって驚いたという話がありました。また、その子供は再び日本に戻るとまた大人しくなってしまったそうです。 なぜそうなったのか両親が子供に聞いてみると「周りに合わせただけ」ということでした。 子供は結構敏感にその国特有の空気(日本なら自己主張をあまりするな、アメリカなら自己主張をしろ、という同調圧力)を読み取っているようです。 であれば韓国で生まれ育った子供は成長する中で韓国人特有の気質を学習していくだろうと思います。 とはいえ私は心理学や発達科学については全くの素人ですし、韓国の社会についてもほとんど知識がないのでこれがどれだけ的を射ているのかは分かりません。全くの的外れかもしれません。 それはご了承ください。
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- raiden787
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> 〔§ 1 概説 : 原因としては家族間での諍いなどの個人や家庭に起因するもの、貧困や苦労などの社会経済的な問題に起因するものなどがあり、それらを解決しようにもうまくいかないことによる諦め、怒り、悲しみなどが挙げられる〕。 > 症状として は、不眠、疲労、パニック、切迫した死への恐怖、不快感情、消化不良、食欲不振、呼吸困難、動悸、全身の疼痛、心窩部に塊がある感覚などを呈する。 うーん、これだけ見ると精神的ストレスがかかってヒステリーやパニック症状が出てるだけのような気がしますが。症状や頻度は多いようですが。 日本人にもストレスが溜まってると部下を理不尽に怒鳴りつける中間管理職は珍しくないですし。 ただ韓国人の火病はその症状の度合いがかなり強いようですね。 > ・ 韓国で41歳から65歳までの女性2807人の調査結果では、火病の有病率は4.95% (* 調査年次は未詳のようです)。 どうやって調査したんでしょうか? >韓国系アメリカ人109人の調査では、「自分は火病にかかったことがある」と回答した者が12%いた。 これも科学的に不誠実な統計ですね。 精神状態について本人に直接アンケートを取る調査ほど不確実なものはありません。 貴方は鬱病ですか?と聞くと明らかに鬱とは言えない程度の軽微な気分の落ち込みを理由に自分は鬱病だと答える人が増加します。それと同様、火病はセンセーショナルなインパクトがありますから、それを意識してる人であれば、実際は火病といえる状態ではなくてもアンケートで質問されると「あ、俺も火病になったことがあったかも」と思い込む可能性があります。逆に「火病だなんてそんなみっともないものに俺がなったことがあるわけがない!」という思い込みから実際は経験があっても、ないと思い込むこともありえます。 > ・ 2012年現在、韓国の小・中・高校生648万人のうち105万人(16.2%)は、うつ病の兆候や暴力的な傾向を示す「要関心群」で、そのうち22万人は、すぐに専門家の診断や治療を受けるべき「要注意群」であることが分かっている ⇒ 金秀恵 (2013年2月17日). “韓国の小中高生、22万人は「精神科の受診が必要」” これは火病と関連するかは分かりませんね。精神的な問題があるのは確かなようですが。 ここから言えそうなことは韓国では小学生のころから強い精神的ストレスに晒されやすい環境なのかもしれませんね。もしかしたらそれが火病になりやすい精神を形成している可能性は言えるかもしれません。 ただしあくまでもこれは空想に近い推測であって科学的な根拠はないことは言っておきます。 これらのデータは曖昧なところが多くてこうだからこう、と言えるほどの根拠ではないと思います。 だからと言って火病のことを否定するつもりもありません。 あくまでも、これだけでは(根拠のない想像はできるが確かなことは)私にはなんとも言えない、ということです。 >それにしても STAP細胞事件とは何だったのでしょうね。理研としてのクウキだったのでしょうか。(いえ 分かりません)。 これは理研のチェック機構の杜撰さでしょうね。これだけ重要な内容の発表をするなら外部に発表する前に理研内部で数人程度でクロスチェックをしてSTAP細胞が実際に作り出せるかどうか確認をしていれば済んだ話でしたから。 件のO女史がなぜSTAP細胞があると発表したのかは分かりませんが。ないと分かってたけど誤魔化せると思ってたのか、精神や判断力に問題があったのか、何らかの実験のミスによって結果が狂ったのか。 STAP細胞を作りたければ物理的生物学的に正しい方法を行わなければできないのです。 人はクウキを読んでくれるかもしれませんが細胞は読んではくれません。 理研上層部なりなんなりが「STAP細胞よ現れろ!」というクウキを出したところでO女史の理論や方法が適切でなければSTAP細胞はできません。STAP細胞に限らずES細胞でも車の新型エンジンでもなんでもそうですけど
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ただしあくまでもこれは空想に近い推測であって科学的な根拠はないことは言っておきます。 これらのデータは曖昧なところが多くてこうだからこう、と言えるほどの根拠ではないと思います。 だからと言って火病のことを否定するつもりもありません。 あくまでも、これだけでは(根拠のない想像はできるが確かなことは)私にはなんとも言えない、ということです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 素人のわたしに言えることは――あなたは罹っているかというようなアンケートの場合は別として―― 何らかの症状が出ているという事実があり それを疾患とまで捉えようかという動きもある。そうして もしほかの病気に当てはまるなら わざわざ火病として分類する必要もない。ということ。 言いかえますが ほかの国の人びとに見られるような症状では捉えがたい病状がある。ということまでは 事実としてこれまで経過して来ている。ということだと思います。 火病と言って 対処して行き それが間違っていたなら そのとき考え直せばよい。そのようには捉えることが出来るのではないかとは思います。 ★ これは理研のチェック機構の杜撰さでしょうね。 ☆ ですか。 アメリカの研究者も どうなってるんでしょう。おかしなことが横行しているような感じです。
- raiden787
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> ☆ 当時と言いますか今でもでしょうか DNAの影響は大きいのだという主張を聞くと その影響というのは 学問・指導力・芸術ないしスポーツ等々いろんな分野に向いた能力が人それぞれに或る程度遺伝子によって決まっているのではないかというようなことだと見られます。 DNAがどの程度影響するかは内容によります。 血液型は100%完全にDNA由来ですね。A型遺伝子を2つもってる人やA型遺伝子とO型遺伝子の両方持ってる人は必ずA型になります。 目や髪の毛の色もほぼ100%DNAです。 体格や骨格や運動能力は100%ではないけどDNAの影響が大きい。 一方、精神(つまり脳)は後天的な影響も大きいのです。DNAの影響も小さくはないのですが胎児期の栄養状態や幼少期の環境などが大きな影響を与えます。 極端な例では脳の一部が幼少期に傷つくことで特定の方面にのみ超人的な才能を発揮することもあります。 DNAによって決まるのは初期状態の基礎的なものだけなのです。 一卵性の双子(どちらも全く同じDNAの持ち主)でも子供のころは同じような好みや才能を発揮しているけど成長するにしたがって好みも能力も大きく変わっていきますし、中には幼少期から性格や才能が大きく違うことも珍しい話ではありません。 親が理系の科学者なら子供も理系の学問に才能を示すことが多いということは言われますが、実際のところそれはDNAの影響ではなく理系の親が無意識に幼少期の子供に理系教育を施してしまう影響のほうが強いのです。 純粋に生まれ持った素質はDNAが同じなら(実際は各遺伝子の発現の度合いも変わってくるので全く同じではないですが)ほぼ同じと言えるでしょう。ただし脳機能に関しては成長過程での外部の刺激の影響が大きすぎてDNAだけでどういう人間になるとは非常に言いづらい。 日本人が日本語を話すのは日本人のDNAは全く無関係、100%後天的な学習に依存するという事実からも脳の後天的な刺激の影響の大きさを感じられるのではないでしょうか。 > 疾患にも関係しているのでしょうが そういった持ち前の能力というような問題では どうなんでしょうか? わたしは 横着にも調べようとして来ませんでした。 100%遺伝子に由来する疾患はいくつもあります。血友病もそうですし鎌状赤血球なんかもそうです。 火病についてはなんとも言えません。 そもそも火病とは具体的にどういう精神状態で、それが具体的に韓国人の何%に発現し、その際に脳内で本当に特殊と言える何かが起こっているのか、何をもって異常と言っているのか、器質的な異常なのか、それはどこまで明確になっているのでしょうか。 独特の文化の中で醸造された言動は時にその文化の外の人間からは非常に理解しづらい場合があります。 昔の日本人の腹切りや神風特攻なんて欧米人からしたら精神疾患か何かにしか見えなかったのではないでしょうか。 また、現代日本人が特定宗教を信仰してないのに道徳観念があったり、いろんな宗教儀式を遊び半分で行ったり実際は意外と迷信深いところがあるというのは欧米人には理解しづらい異常な光景です。 火病というのが一見外国人から見て理解しづらいものであっても韓国の文化の中で育った人間にとっては異常ではない単なるその文化特有の言動の可能性もあるわけです。 ENTERキーが実行キーとして働くパソコンしか見たことがない人が、CTRLキーが実行キーとして働くパソコンを見たら壊れていると思い込むかもしれません。 でもCTRLキーで実行するパソコンは壊れているのではなく、そういうシステムがインストールされているというだけの話なのです。 >火病は その中身の特殊性と発症の確率から言ってほかの国ではまづ見られないと考えます。韓国人におよそ特有の特殊な症候群だと見てマチガイないと思います。 韓国や火病自体については私は詳しくありませんのでこの考えが正しいか正しくないかは分かりません。 ですが今までの質問者さんの返事を読むに、質問者さんがこの結論に至った思考にどこまで科学的な客観性があるかは私には疑問です。DNAや脳に関する知識はないようでしたし、統計についても詳しくなさそうです。どうでしょうか?個人的な感覚的な理由だけではなく、統計などの客観的データは存在するのでしょうか? 正否については二択でしかないのですから適当でも偶然当たっている可能性はあります。 でもたまたま当たった答えに意味はありません。 大切なのは正否自体ではなくその答えに至った筋道が適切かどうかなのです。 >お上意識なる風潮のもとに 個々の職場などでも上からの――漠然とした何となくの――指示や命令を感知してそれにおのれの意志判断を抜きにして従うといった《伝統の行動様式》 個人的にはよく分かりません。私が就いてきた仕事は自分で論理的に仕事の内容を把握して客観的に判断しないとまともに遂行できないものでした。曖昧なことを言われたら「それは具体的にはどういうことでしょうか」と説明を求めますし、時には上司に対して論理的に「それは不可能です。なぜならば……」といった説明をして命令や指示を撤回させることも求められてきました。理系の技術系の仕事なので上司の命令だろうと神様のお告げだろうと論理と筋道が通っていなければ結果が出せない。人間はクウキを読みたくてもデータや製品は物質なのでクウキを読んでくれないのです。3日かかる検査を1日でやれと言われても物理的に検査結果はでませんし、結果をでっちあげろと言われても検査標本を外部の専門機関に提出しないといけませんので確実にばれるでしょう。徹夜残業していっぱい仕事をしろと言われても、繊細な技術も求められるのでパフォーマンスは低下して確実に失敗続きになります。それは上司がどんなクウキを振りまいたところでどうにもならないのです。太陽に西から登れというクウキを押し付けたところで無意味なように。 もしかしたらそういう仕事に就いたことはとても幸運なことなのかもしれませんね。 >韓国人の問題は――わたしは問題だと見ていますが―― そうしますと 人間と社会の理論といった哲学と国際関係論としてなどの政治学といった観点から迫って行くことになるでしょうか。と思います。 どういった観点であれ客観的かつ論理的な思考の筋道で迫っていくことを願います。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★★ 所詮DNAはごく基礎の設計図でしかないのです。人間の脳はその基礎をもとに色々な刺激を得て形成されていきます。 (あ) 基礎の設計図として ★ 体格や骨格や運動能力は100%ではないけどDNAの影響が大きい。 ★ DNAによって決まるのは初期状態の基礎的なものだけなのです。 ★ 純粋に生まれ持った素質はDNAが同じなら(実際は各遺伝子の発現の度合いも変わってくるので全く同じではないですが)ほぼ同じと言えるでしょう。 ・・・ (い) 基礎に刺激を受けて脳が形成されて行く ★ 一方、精神(つまり脳)は後天的な影響も大きいのです。DNAの影響も小さくはないのですが胎児期の栄養状態や幼少期の環境などが大きな影響を与えます。 ★ 脳機能に関しては成長過程での外部の刺激の影響が大きすぎてDNAだけでどういう人間になるとは非常に言いづらい。 ・・・ (う) 疾患の関係 ★ 100%遺伝子に由来する疾患はいくつもあります。血友病もそうですし鎌状赤血球なんかもそうです。 (え) 《火病》について いまごろ見てみたのですが: ▲ (ヰキぺ:火病) ~~~~~~~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%97%85 【定義】 § 5 『精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM-IV)』における記述 DSM-IVには、「付録I 文化に結びついた症候群の文化的定式化と用語集の概説」の中の一項目として、火病が取り上げられている。[・・・] hwa-byung 火病 (wool-hwa-byung 鬱火病 ): "憤怒(ふんぬ/恐怖)症候群" 韓国の民族的症候群で、英語には"anger syndrome"と文字通りに訳されており、《怒 り の 抑 制 に よ る》とされている。 〔§ 1 概説 : 原因としては家族間での諍いなどの個人や家庭に起因するもの、貧困や苦労などの社会経済的な問題に起因するものなどがあり、それらを解決しようにもうまくいかないことによる諦め、怒り、悲しみなどが挙げられる〕。 症状として は、不眠、疲労、パニック、切迫した死への恐怖、不快感情、消化不良、食欲不振、呼吸困難、動悸、全身の疼痛、心窩部に塊がある感覚などを呈する。 【発症率】 § 1 概説 ・ 韓国で41歳から65歳までの女性2807人の調査結果では、火病の有病率は4.95% (* 調査年次は未詳のようです)。 ・ 韓国系アメリカ人109人の調査では、「自分は火病にかかったことがある」と回答した者が12%いた。 ・ 2012年現在、韓国の小・中・高校生648万人のうち105万人(16.2%)は、うつ病の兆候や暴力的な傾向を示す「要関心群」で、そのうち22万人は、すぐに専門家の診断や治療を受けるべき「要注意群」であることが分かっている ⇒ 金秀恵 (2013年2月17日). “韓国の小中高生、22万人は「精神科の受診が必要」” ・ (* § まえがき) 2015年1月27日の就職ポータル「Career」の調査によると、韓国の会社員の90.18%が職場で火病の経験があると答えた。⇒ 中央日報日本語版 2015年1月28日 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (お) ☆☆ 火病は その中身の特殊性と発症の確率から言ってほかの国ではまづ見られないと考えます。韓国人におよそ特有の特殊な症候群だと見てマチガイないと思います。 ☆ 《この結論に至った思考》は 《反日》の思いと行動とが――北朝鮮の脅威に対して身構えるためこの国是のような思想によって国がまとまるという理由や あるいは同じく北朝鮮が 思想としてはかつての大日本帝国に対して《正統》なる対立の姿勢を保っていることについての後ろめたさからその思いが強まるという理由もあるようですが―― 史実にもとづく主張やつぐないの要求とは違って(それらもあるかとは見られますが すでに違って来ていて) けっきょく復讐に燃えているという要素がもっとも大きいと捉えたところからです。 主観的なものではありました。〔日本からのおわびと金銭的なつぐない(つまり アジア女性基金によるもの)を おもに挺身隊対策協議会という民間団体の主張が 政府をも巻き込んで 通ってしまって (日本のつぐないを)拒否したという思惟と行動などが 根拠となりました〕。 (か) ★ 昔の日本人の腹切りや神風特攻なんて欧米人からしたら精神疾患か何かにしか見えなかったのではないでしょうか。 ☆ 別の見方もあるかも知れないと思って〔のみ〕触れるのですが つまりおそらくそうなのですが(きちがいにしか見えなかったのだと思うのですが) これはただし 《意志による行為》だという一点は見逃せないとは思います。 国――つまり必ずしも人為的な権力体制としての国家ではなく 当時の日本人にはふつうに自然のものとして捉えられた国――には いわゆる悠久の大義があると・そしてその為めに命をささげるといった自由意志による行動だと見られます。 腹切りも 義や誇りを感じていたおのれの存在や職務が否定されたことからのひとつの意志行為だと見られます。 (き) ★ また、現代日本人が特定宗教を信仰してないのに道徳観念があったり、いろんな宗教儀式を遊び半分で行ったり実際は意外と迷信深いところがあるというのは欧米人には理解しづらい異常な光景です。 ☆ 前項での《自然の感覚とそれをとおしての世界観や そこに見られる人間存在についての義や誇りや大義》は 信仰であり信念としてはたらいていると思われます。 わたしは全面的には賛成しかねますが 国を挙げてのかたちとしても 大きく一般に《日本教》というナラハシがあって その総本山のもとに ブディズムやコンフシアニズムやクリスチアニズムやコミュニズムをそれぞれ支部として擁している。言いかえると この《クウキ教》という総合シュウキョウのもとに 仏教派や儒教派やキリスト教派やマルクス派などが――なにぶんクウキによる統合ですから 意識していないとは思われますが――それぞれその所を得ている。とは思われます。 《迷信深いところがある》のは 欧米人もいっしょだと思います。ハロウィーンをやったり神をそっちのけで聖母マリア信仰をえらんだり守護聖人がうじゃうじゃいたり(スペイン人など)。 また――この説は オソンファ(呉善花)が言っていたことですが―― このアニミズムなる原始心性は 単純に言って先ほどの《自然観》として息づいているのであって この非合理的な(前合理性としての)原始心性は単独で働くと言うよりは 産業革命を経たあとの合理性とおよそ一体であるとも見られるかも知れません。機械に対してもそれがあたかも生命体であるかのようになじむ心性としてのように。 (く) ★ ~~~~~~~~~~~~~ 太陽に西から登れというクウキを押し付けたところで無意味なように。 もしかしたらそういう仕事に就いたことはとても幸運なことなのかもしれませんね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 神風特攻隊は 優秀な人間が成ったのですからね。屑で要らん奴だからというのでその任務に就くようにさせたのではなく。 でも インパール作戦のように反対が多くてもその無謀な・月まで飛んで行けというような作戦が採用されたという事実もあります。 先ほどの日本クウキ教に全面的には賛成しかねる理由ですが ひとつにはけっきょくいろんなシュウキョウを寄せて束ねるところの《一神教》であって それは時には排他的に成り得たでしょうし そのように対外的に国がまとまるときと言うのは 少数意見をないがしろにするクセがつよいからです。平時にもそれが起こり得るとしたら? といった危惧もあります。 それにしても STAP細胞事件とは何だったのでしょうね。理研としてのクウキだったのでしょうか。(いえ 分かりません)。 (け) ★ どういった観点であれ客観的かつ論理的な思考の筋道で迫っていくことを願います。 ☆ その大道その王道のもとに 相手によっては非常識なウルトラCの受け答えを――脇のほうから――する場合もあり得るかも知れません。画策はしませんが 受け身の応答としては 度をはづれた言葉をも発するかも分かりません。(血の気の多いわたしにかぎってというものでしょうか)。 われに還るための方策としてです。特に相手がです。
- raiden787
- ベストアンサー率37% (179/473)
>☆ あぁ なるほど。らいでん氏は 理系なのですね。つまり わたしのクセとしましては 推奨しがたいナラハシについては まづそれを避ける・妨げるという志向性がはたらくのです。 > つまり 理系ですと 中立性に立って事実の認識と分析をおこなうというのが 科学行為なのだという前提があるようですね。 まあ私は一応理系です。ただ、文系だろうと哲学だろうとなんだろうと何かを考える時はまずは中立性に立って事実の認識と分析をおこなうのが出発点ではないでしょうか。 文学の研究だって歴史の研究だって研究者は可能な範囲で客観的な事実を読み取ろうとします。 たまたま徳川家康の顔はたぬきみたいだ、と書かれた戦国時代の書物が発見されたからと言って「徳川家康の顔はたぬきっぽかった!」と言い切ることはできないことは理解できるかと思います。 もしかしたらその書物の作者は目が悪かったかもしれません。あるいは当時たぬきと呼ばれていた動物は現代たぬきと呼ばれている動物とは別種かもしれません。意図的にウソを書いたかもしれません。 だからいろんな資料を集めて可能な限り客観的になるように矛盾がないか調べる訳です。 > ☆ ううーむ。一時期 DNAによる人間のそして個々の人間の身も心のこともに対する規定といった見方が普及したように思ったことがあります。 > いまでは 半々くらいの影響ではないかと思ってしまっていました。 > 後天的な影響のほうが大きいのですか。ううーむ ですね。 所詮DNAはごく基礎の設計図でしかないのです。人間の脳はその基礎をもとに色々な刺激を得て形成されていきます。日本語のデータも英語のデータも遺伝子には全く入っていません。それらは学習によって習得します。 コンピューターみたいなものです。基礎的な設計やOSは一応入ってるけど、実際にどんなソフトが入ってるかは使ってるユーザーの影響の方が大きいですよね。ある人はネットサーフィンばかりに使ってるかもしれない。 ある人はエクセルやパワーポイントで事務仕事に使ってるかもしれない。ある人は専門的な動画ソフトを使って映画を作ってるかもしれない。 エクセルやパワーポイントを使えるのはそのコンピューターにそれだけのポテンシャルを持って設計されてるからです。でもそのパソコンにエクセルがインストールされるかどうかはそのパソコンの基礎設計とは無関係ですよね。ユーザーの問題です。 例えば東芝ダイナブックというノートパソコンの製品があります。このパソコンにとってのDNAは東芝の製造工場にある設計図です。 この東芝ダイナブックのとある一台を購入したユーザーがそのパソコンに自分好みのソフトを入れたりカスタマイズしたりして家計簿管理に特化したパソコンにしてしまったとします。 じゃあそのパソコンが家計簿管理に特化された理由は東芝の設計図のせいだ!と言えるでしょうか? 違いますよね。もちろん東芝の設計がそれだけのポテンシャルを持っていたというのも理由の1つではありますが実際にそのパソコンをカスタマイズしたのはユーザーという後天的環境要因なわけで。 > つまり ファビョるのは 逆切れの状態をも超えているのではないかと見られるからです。逆キレの状態を順キレとして起こしますよね。自分では 《純粋なキレ方》だと思っているかも分かりません。その心の状態は 特殊なものではないか。と。 ある心の状態を明確に特殊と言えるかどうかは非常に曖昧です。 大抵の人間は拷問にかけられれば精神に異常をきたします。その状態は特殊な状態と言えると思いますが、じゃあそれはDNAのせいなのでしょうか。 ファビョるにしてもそれが何が原因で本当にどういう脳の状態なのか分かってないのに特殊だDNAだ近親婚だ、と言い出すのは妄想になってしまいます。 もしかしたら本当に何かDNAに問題があるのかもしれません。でもそれは、何が原因かよくわからないからゼロとは断言できない、という以上の意味はないのです。 > ただです ただもしほんとうに読めない・気がついていないという人びとが増えて来ているとすれば それは 何も無闇に反体制の旗をかかげて抵抗するのでも一揆を起こすのではないのですから 中立の心として むしろ歓迎してよいのではないでしょうか? 中立の心なら何も歓迎はしません。 中立の心とはただ事実をあるがままに認識するだけです。 それにクウキを全面的に読まないことが良いこととは思えません。他人を苦しめたらいけないよ、というクウキを読むことなく他人を平気で傷つけるような人が増えるという可能性もあるわけです。 夜中にクウキを読まずに大騒ぎする人が増えることは良いことでしょうか。ゴミを指定された日を無視してばら撒く人が増えることは良いことでしょうか。 読むべきクウキ、読まないべきクウキがあると私は思います。 > 抽象的に成らざるを得ないからと言って たとえば生物学の基礎知識をないがしろにしてよいとは成らない。ということをまなびました。 まさに生物学の基礎知識をないがしろにした思想がナチスの優生学ですね。 遺伝学の上っ面だけをもとに、遺伝子には優秀なものとそうではないものがあるのでそうではない遺伝子を受け継いだ人間は殺してしまえ、というような極端な思想です。 ちなみに優秀かどうかの区別はアーリア人かどうかとかユダヤ人かどうかという非常に適当なものでしたが。 当然、まともな知識のある人間ならあまりのあほらしさに唖然とするバカ思想です。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 文系だろうと哲学だろうとなんだろうと何かを考える時はまずは中立性に立って事実の認識と分析をおこなうのが出発点ではないでしょうか。 ☆ ええ。知っていて ではその前提的な手続きをおまえは飛ばしてしまったのか? と言われると 気が逸ったのだと答えなければならないと思います。 価値判断を中立の事実認識の段階を終えるか終えないかのところですでに及ぼそうとしました。 ★ 所詮DNAはごく基礎の設計図でしかないのです。人間の脳はその基礎をもとに色々な刺激を得て形成されていきます。 ☆ 当時と言いますか今でもでしょうか DNAの影響は大きいのだという主張を聞くと その影響というのは 学問・指導力・芸術ないしスポーツ等々いろんな分野に向いた能力が人それぞれに或る程度遺伝子によって決まっているのではないかというようなことだと見られます。 疾患にも関係しているのでしょうが そういった持ち前の能力というような問題では どうなんでしょうか? わたしは 横着にも調べようとして来ませんでした。 ★ 大抵の人間は拷問にかけられれば精神に異常をきたします。その状態は特殊な状態と言えると思いますが、じゃあそれはDNAのせいなのでしょうか。 ☆ (あ) この火病にかんしては おかげさまで必ずしも今は遺伝子の問題だと見ているわけではありません。もう決めてかかってはいません。 (い) ですけれども 火病は《拷問にかけられる》ですとか・とにかく抗いがたいチカラをこうむってその状態へみちびかれて行くこととは違うと思われます。 (う) せいぜい 国を挙げての《反日》としての《ヘイト・キャンペーン》というツナミの中に身をゆだねていざるを得ない情況が ある種の不可抗力なのでしょう。 (え) 火病は その中身の特殊性と発症の確率から言ってほかの国ではまづ見られないと考えます。韓国人におよそ特有の特殊な症候群だと見てマチガイないと思います。 クウキを読まない・読めないをめぐって: ★ 中立の心なら何も歓迎はしません。 / 中立の心とはただ事実をあるがままに認識するだけです。 ☆ ええ。これも 理系と文系の違いでしょうか。つまり 事実認識としては おっしゃるとおりの科学行為に成るとわたしも捉えます。 そのわたしが わざわざ歓迎すべきではないかと言うのは いまの情況と人びとの状態にかんがみていわゆるお上意識なる風潮のもとに 個々の職場などでも上からの――漠然とした何となくの――指示や命令を感知してそれにおのれの意志判断を抜きにして従うといった《伝統の行動様式》よりも一層われわれの人間性にはふさわしい。と考えるからです。――つまりそう考えるわたしは 事実認識に際して間髪を入れずに価値判断をおこなってしまっていることを白状します。 ★ それにクウキを全面的に読まないことが良いこととは思えません。他人を苦しめたらいけないよ、というクウキを読むことなく他人を平気で傷つけるような人が増えるという可能性もあるわけです。 ☆ ええっとですね。ものごとを言葉にせずにクウキによってみなに知らせそのことを徹底させたりあるいはさらにすでに行動を起こさせたりするというのは――つまり クウキだけによってコトを運ぼうとするというのは―― だいたいいささかヤバイ内容を持った場合ではないかと考えます。 どこか心にやましさを持つ場合にこそその指示を受け容れさせるには 言葉にはよらないクウキによる。のではないかと推測します。 《他人を苦しめたらいけないよ》という思いは 最初は言葉にせずに(つまり必ずしもクウキによってではなく ただ言挙げをしないというナラハシによってだと思うのですが)伝えようとしていたとしても 伝わらなかった場合には 自由にじゅうぶんに言葉によっても表現して伝えると思われます。そういう意味で 《クウキ》論というのは いささか複雑な様相を呈しているとは思うのです。 ★ 夜中にクウキを読まずに大騒ぎする人が増えることは良いことでしょうか。ゴミを指定された日を無視してばら撒く人が増えることは良いことでしょうか。 ☆ これらも クウキによってお互いよきナラハシをつくり秩序を守りましょうというよりは――そういう要素もあるかとは思いますが――むしろやはり一人ひとりの自覚に俟つようにしているのだと思います。子どもの場合には ですからクウキに拠ることなく 言葉で注意します。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ まさに生物学の基礎知識をないがしろにした思想がナチスの優生学ですね。 遺伝学の上っ面だけをもとに、遺伝子には優秀なものとそうではないものがあるのでそうではない遺伝子を受け継いだ人間は殺してしまえ、というような極端な思想です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ あぁ。えぇ。この点については触れておくべきでしたね。 韓国人の問題は――わたしは問題だと見ていますが―― そうしますと 人間と社会の理論といった哲学と国際関係論としてなどの政治学といった観点から迫って行くことになるでしょうか。と思います。
- raiden787
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>☆ ひとこと 持ち出したわけを述べますと ミームは遺伝子と並んで人の思惟や行動を規定するものだと捉えられているのではないかと思ったからです。 それは正しいと思います。 ただ、ミームという目新しい概念に飛びつくまでもなく後天的学習という昔からある概念で十分な気もします。 > だとすると 《社会生物学ないし文化生物学》といった拡大版があるのかなとです。 ないです。でもネタとしては面白い考えだとは思います。 > ☆ これは 起きて欲しくない振る舞いでしょうから その社会における集団的な傾向としても決して推奨されるような内容ではないのだろう。と思ったものですから。 日本でも自殺は社会に推奨されていませんけど、自殺する人は高確率で首つりとか練炭だとか樹海に行くとか、日本特有の自殺方法の物まねばかりしますよね。 >★ そもそも癇癪を起させる遺伝子というものが実在するのかすらまだ分かっていませんし。 > ☆ ここらあたりが 学術であるかどうかを問う分岐点なのでしょうか。 学術というより生物学で扱うことではない、ということですね。 人間の行動は後天的な影響が大きすぎて単純に遺伝子がこうだから、とは言えないです。 ファビョる、にしても遺伝的な問題なのか社会的にそういう行動を誘発する要因があるのかいろいろあるわけでして、韓国人以外でも突然怒り狂う人はいくらでもいるわけです。 日本人は勤勉とか大人しいとか同調圧力に弱いとかそういうイメージはいろいろありますが、じゃあそれは遺伝子の問題なのか、と問われると、もしかしたらそうかもしれないしそうじゃないかもしれないね、という非常に曖昧な答えしかできません。 そもそも高度成長期以前の日本人には勤勉というイメージは皆無だったし(むしろ仕事が雑で適当というイメージを持たれていた)、昔は大人しいどころかすぐに殺し合いをする血生臭い民族だったわけで、この手の民族のイメージなんて時代とともにころころ変わるわけで。 そんないくらでもころころ変わる曖昧な国際イメージを生物学でとらえようとするなんてあまりにナンセンスだと思います。 > クウキを読むことが 何が何でも社会的に健全で健常なことだとは言い切れない。のではないか。ときには 読まない・つまりクウキに逆らうことのほうが 健全でありうる。のではないか?――このような問題がありうると思ったわけです。 健全も何も、状況に応じてクウキに臨機応変に対処したほうがいい(クウキに従うことが正解な場面もあれば従わないほうが正解な場面もある)、というのは生きていれば誰でもわかっていることではないでしょうか? クウキを読むな、クウキを読まないほうが健全だ、という新しいクウキを産もうとしてるだけではないかという気もしますね。 どうでもいいですが、クウキに関しては「読む=従う」「読まない=読んだ上で従わない」という意味で使われてるのが個人的には違和感がありますね。「読めない」はそのまま「読めない」なのに。 > 心理学は その場の情況や人の性質・性格から 一つひとつの行動を分析しますが――あるいはつまり 人間をいくつかのタイプに分けて 行動全般についてもそのタイプ別の内容を分類整理しますが―― 一回性を扱う文学のように特定の《わたし》のその時その時《一回きり》の行動をめぐって言わばその人間を理解するというところまでは踏み込まない。 踏み込めない、というのが正解でしょうね。それをやるには一人の人間を徹底監視してあらゆる状況で分析し続けなければならないからです。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ ただ、ミームという目新しい概念に飛びつくまでもなく後天的学習という昔からある概念で十分な気もします。 ☆ なるほど。別の用語で整えてみたということですね。 社会生物学は ★ ないです。でもネタとしては面白い考えだとは思います。 ☆ たぶん 社会学者が生物学をまなんでその分野を切り拓くよりは 生物学から出発して社会学を採り入れるほうが よい成果を得る可能性は高いと考えられます。 ★ 日本でも自殺は社会に推奨されていませんけど、自殺する人は高確率で首つりとか練炭だとか樹海に行くとか、日本特有の自殺方法の物まねばかりしますよね。 ☆ あぁ なるほど。らいでん氏は 理系なのですね。つまり わたしのクセとしましては 推奨しがたいナラハシについては まづそれを避ける・妨げるという志向性がはたらくのです。 つまり 理系ですと 中立性に立って事実の認識と分析をおこなうというのが 科学行為なのだという前提があるようですね。 ★ 人間の行動は後天的な影響が大きすぎて単純に遺伝子がこうだから、とは言えないです。 ☆ ううーむ。一時期 DNAによる人間のそして個々の人間の身も心のこともに対する規定といった見方が普及したように思ったことがあります。 いまでは 半々くらいの影響ではないかと思ってしまっていました。 後天的な影響のほうが大きいのですか。ううーむ ですね。 ★ じゃあそれは遺伝子の問題なのか、と問われると、もしかしたらそうかもしれないしそうじゃないかもしれないね、という非常に曖昧な答えしかできません。 ☆ そうでしたか。疾患についての遺伝子の影響が分かって来たといったところなのでしょうか。 ★ そもそも高度成長期以前の日本人には勤勉というイメージは皆無だったし(むしろ仕事が雑で適当というイメージを持たれていた)、昔は大人しいどころかすぐに殺し合いをする血生臭い民族だったわけで、この手の民族のイメージなんて時代とともにころころ変わるわけで。 ☆ これはですね。ちょっと違った見方を持ちます。 すなわち 人口のうちのどのくらいの割り合いで そういったナラハシや人びとの傾向が現われているか。の問題ではないでしょうか。 いわゆるものづくりに長けているといった志向性や伝統が 一部ではしっかりと受け継がれて来ている。という見方なのだと思います。 戦国時代に下剋上の世の中になったとしても おおむね日本人の歴史をつうじてなら いわゆる和をとうとぶ思想(生活態度)は脈々と流れて来ているといった見方になるのではないでしょうか。どうでしょうか。 いわゆる中間層の問題ではないか。やはり 勤勉なのだと思いますよ。だいたいにおいて。 ご議論をさかのぼりますが: ★ ファビョる、にしても遺伝的な問題なのか社会的にそういう行動を誘発する要因があるのかいろいろあるわけでして、韓国人以外でも突然怒り狂う人はいくらでもいるわけです。 ☆ 原因・要因はいまや別として そういう心的現象としての傾向は 見られると言わねばならないかと思います。現代という一時期の特徴だとしても。 つまり ファビョるのは 逆切れの状態をも超えているのではないかと見られるからです。逆キレの状態を順キレとして起こしますよね。自分では 《純粋なキレ方》だと思っているかも分かりません。その心の状態は 特殊なものではないか。と。 ★ クウキを読むな、クウキを読まないほうが健全だ、という新しいクウキを産もうとしてるだけではないかという気もしますね。 ☆ これは きびしい。結果としてそのような社会の風潮がひょっとすると醸し出されることになるかも分かりません。ですが そう成る前には やはり読む・読まないつまり 読まないで当面にこうむる不利益に甘んじるという選択と決断は 《新しいクウキを産もうとしている》とは到底思われないのですが。つまり 体を張っていますから。 クウキを ★ 「読めない」はそのまま「読めない」なのに。 ☆ の問題は それとしてまたありますね。あるようですね。 ただです ただもしほんとうに読めない・気がついていないという人びとが増えて来ているとすれば それは 何も無闇に反体制の旗をかかげて抵抗するのでも一揆を起こすのではないのですから 中立の心として むしろ歓迎してよいのではないでしょうか? やや安易に過ぎますか? 社会のあり方・動かし方から見れば あまりにも能天気になりますか? (つまり 言葉でしっかりとそのクウキで伝えようとした内容を表現して伝達しまた互いに対話をすればよいと考えられます)。 読めないという鈍感は 健常であるかも分かりません。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ > 心理学は[・・・]一回性を扱う文学のように特定の《わたし》のその時その時《一回きり》の行動をめぐって言わばその人間を理解するというところまでは踏み込まない。 踏み込めない、というのが正解でしょうね。それをやるには一人の人間を徹底監視してあらゆる状況で分析し続けなければならないからです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 哲学は そのような文学による個々の人間としての人間理解を出来るだけ多く得て そこから全体としての人間論をみちびこうとする。 心理学も同じような作業をするのですが 人間のタイプや行動の要素要因ごとに分類して 取りあえずの情況や場面やそこにおける当事者にかんして分析する。出来るだけ具体的に捉えて見取り図をえがく。 そこのところを哲学は それでも局所性に落ち入らないようにして大きく全体としての理解を目指す。したがって きわめて抽象的な理論に成りがちである。 抽象的に成らざるを得ないからと言って たとえば生物学の基礎知識をないがしろにしてよいとは成らない。ということをまなびました。 前途多難と言わずに 前途洋洋ということにします。
- raiden787
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>☆ 確か生物学者が言い出したのではなかったですか? もしそうだとしても 生物学とは――生物学プロパーとは でしょうか――関係ないのだと。 生物学者が言ったからといって何でもかんでも生物学に含まれる訳ではありません。 もしもどこかの生物学者が「料理は発祥の地からいろいろな地に広まるにあたってその地域の食材や料理文化の影響を受けて変化していく。これを料理進化論と名付けよう」と言い出したら世界中で「料理進化論とは生物学者の何の某が提唱した概念だから生物学に含まれる分野だよね」と認めてくれるでしょうか。ありえないでしょう。たぶん提唱した生物学者さん自身も困惑するのではないでしょうか。 そもそもミームの概念自体、生物学の範囲で議論できるものではありませんし。これは明らかに文化や社会系統の学問、あるいは情報学関連の内容です。 あえて生物学的に論じるなら脳が何かを学習するときにどういう働きをしているか、というのを無理やり(ものすごく強引に)結びつけることもできなくもないといったところでしょうか。 >そう言えば むかしむかし マレーシャの話として 《アモック》という症状が現われるという問題を聞いたことがあります。ファビョるときのような怒りや心理的な状態とは関係なく或る日突然 くるったようになり家から外に出て町を走り去るとかどうとか。 > あるいは スラベシの方面で 人生の半ばあたりに成ると やはり突然 旅に出るようになるのだとか。 別にそれらも空気で説明はできます。自分たちのコミュニティでそういうことが起きるということを知っているのなら何かきっかけがあればその行動を取るようになるというだけの話です。 特にスラペシの話はもはや「人間は人生の半ばになれば旅に出るものだ」という人生観が広まっているように思います。別にテレパシーとかではなく。実際にそういうことをする人が一般にいたり、話に聞いているのなら意識に刷り込まれますよ。 日本人にだって他人からはよく分からない理由で樹海に消える人もいるじゃないですか。 もちろん実は本当は遺伝子にそういう特殊な行動をさせる何かがあるという可能性も否定はできませんが。否定できないからってじゃあ実在するんだ、と言われると、ゼロじゃないけどゼロじゃなければ1なのか、みたいな話になるわけでして。 >でも遺伝子や形質的な問題とは別だとなると 広い意味での哲学的な問い求めにもなる。・・・のでしょうか。 心理学や発達科学の問題ではないかと思います。 >この質問は――つまりは 韓国人における遺伝子調査の結果をめぐる問いは―― 例の韓国人における言わば《反日》症候群のような疾病が まさに遺伝子関係だとの回答をもらったものですから(その回答者さんも 真偽のほどは分からないと言っていましたが) 知りたかったのです。 今の段階では居酒屋でお酒でも飲みながら語り合う与太話レベルであって学術的に真偽を問うようなレベルには達していませんね。 そもそも癇癪を起させる遺伝子というものが実在するのかすらまだ分かっていませんし。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ そもそもミームの概念自体、生物学の範囲で議論できるものではありませんし。これは明らかに文化や社会系統の学問、あるいは情報学関連の内容です。 あえて生物学的に論じるなら脳が何かを学習するときにどういう働きをしているか、というのを無理やり(ものすごく強引に)結びつけることもできなくもないといったところでしょうか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ひとこと 持ち出したわけを述べますと ミームは遺伝子と並んで人の思惟や行動を規定するものだと捉えられているのではないかと思ったからです。 《 nature or nurture 》とかいうような観点が出来ているのかと。 だとすると 《社会生物学ないし文化生物学》といった拡大版があるのかなとです。 アモックや《とつぜん旅に出る症候群》も: ★ 別にそれらも空気で説明はできます。自分たちのコミュニティでそういうことが起きるということを知っているのなら何かきっかけがあればその行動を取るようになるというだけの話です。 ☆ これは 起きて欲しくない振る舞いでしょうから その社会における集団的な傾向としても決して推奨されるような内容ではないのだろう。と思ったものですから。 ★ 特にスラペシの話はもはや「人間は人生の半ばになれば旅に出るものだ」という人生観が広まっているように思います。別にテレパシーとかではなく。実際にそういうことをする人が一般にいたり、話に聞いているのなら意識に刷り込まれますよ。 ☆ いま上に述べましたが 《旅に・つまりどこへとも知らず計画のない割り合い長い旅にとつぜん出る》というのですから 一般にネガティヴに捉えられていると思いました。 つまり インドではその昔 人生の四つ目の段階では林住期と言って 隠退後の生活を森に入って暮らすといったナラハシがあった。そしてこれは 一般に肯定的に受け容れられている。としたら 特にアモックなる《くるい》などは 同じ取り扱いにはならないように思ったわけです。 つまりそうであっても 社会に出回っている情報があるのなら その内容は人びとの意識に刷り込まれるということですね。 ★ そもそも癇癪を起させる遺伝子というものが実在するのかすらまだ分かっていませんし。 ☆ ここらあたりが 学術であるかどうかを問う分岐点なのでしょうか。 あとですね。 ★ 心理学や発達科学の問題ではないかと思います。 ☆ に同意しながらも 《広く哲学の問題ではないか》と考えたのは こうでした。つまり 言わば遺伝子なるモノとしてではなく文化的な遺伝としてのごとく伝わるナラハシにかんして どこまでそれに従うか・どこからは従わないかという問題が起きてしかるべきではないかと思ったからです。 クウキを読むことが 何が何でも社会的に健全で健常なことだとは言い切れない。のではないか。ときには 読まない・つまりクウキに逆らうことのほうが 健全でありうる。のではないか?――このような問題がありうると思ったわけです。 《反日》症候群がちょうど国是としてのごとく施行されあまねく人びとの行動を実効支配していても たとえ《反日》へと変転するのでなくても 歴史事実の認定をめぐって必ずしも《クウキを読む》ことをしないという道は 採ってよいと考えられるからです。事実認識にかんしては クウキを読むということは 基本的にあり得ないと理論は言っていなければならないと思うからです。 心理学は その場の情況や人の性質・性格から 一つひとつの行動を分析しますが――あるいはつまり 人間をいくつかのタイプに分けて 行動全般についてもそのタイプ別の内容を分類整理しますが―― 一回性を扱う文学のように特定の《わたし》のその時その時《一回きり》の行動をめぐって言わばその人間を理解するというところまでは踏み込まない。 そして その時の一回性の行動をそれぞれ理解したそのあとさらに いろんな場合のいろんな可能性をもふくめて人間行動について考え 全般的な交通整理をしておくのが 哲学だと考えられます。言いかえると 心理学がそこまでの普遍的な分析をおこなうかどうか。おこなっているとすれば 哲学を推し出したわたしのあやまちです。 ちょっと主題が変わって来ましたが。
- raiden787
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>ということは 生殖細胞をつくるときに遺伝子の組み換えが起こるというのは 劣性の遺伝子をも万遍なく子孫に伝えて行けるように リセットするかたちなのでしょうか。 違います。いろんな遺伝子同士の組み合わせのバリエーションを増やすためです。 劣性か優性かは無関係です。あくまでも組み合わせの種類を増やしてるだけです。 あと、優性劣性は同じ働きを持つ遺伝子の組み合わせで初めて論じることができます。 例えば血液型のO型遺伝子は劣性遺伝子で二重目蓋の遺伝子は優性遺伝子です。では血液型遺伝子はO型だけを持ってる人が二重目蓋の遺伝子も一緒に持っていたとします。この人の血液型はどうなるでしょうか?O型遺伝子は劣性で二重目蓋の遺伝子は優性だから血液型は二重目蓋型になりました、なんてことはありえるでしょうか? ありえませんよね。あくまでもO型かつ二重目蓋の人間になるだけです。優性劣性の関係性は血液型の遺伝子同士、目蓋の遺伝子同士、同じ働きを持つ遺伝子同士のみで成り立つのです。 > そうすると そのことは近親婚からどういう遺伝子がそうだとしたら片寄ったかたちで伝えられるかとは あまり関係ないように思われます。 近親婚だからと言って特定の遺伝子が偏って伝わるというわけではないです。なぜ近親婚を繰り返すと遺伝子が偏るのか。 詳しくは1つ前の回答をご覧ください。 >ところで 試し腹によって生まれた子どもは 嫁ぎ先の家にとって余所者と見なされ 捨てられてしまうそうです。孤児院に預けられたり拾われたりして命を長らえて成人した場合には どうなんでしょう。その身内の者との婚姻から子どもを生むことがなければ 大した影響は出ない。――こういうことでよろしいのでしょうか? はい。影響は実質ゼロと言えるかと思います。 まあその社会的な風習への感情は別として、遺伝子的には。
お礼
ご回答をありがとうございます。 遺伝子の組み換えは ★ いろんな遺伝子同士の組み合わせのバリエーションを増やすためです。 ☆ かぁ。多様性は多様性なのでありそれを志向しているように見られます。 ★ なぜ近親婚を繰り返すと遺伝子が偏るのか。 / 詳しくは1つ前の回答をご覧ください。 ☆ 遺伝子の種類が固定されその中からも出現の可能性を失くして行くものが出て来る。片寄りが固まる。 試し腹による遺伝子への影響について: ★ はい。影響は実質ゼロと言えるかと思います。 / まあその社会的な風習への感情は別として、遺伝子的には。 ☆ 直前のお礼欄に書いたのですが ミームはどうなりましょうか。かかわって来るのでしょうか?
- raiden787
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ちょっと先程の答えでは近親婚の繰り返しでなぜ似てくるか分かりづらいように思いましたので、 なぜ近親婚の繰り返しで遺伝子の組み合わせが似てくるのかを解説します。 まず非近親の鈴木さんと佐藤さんが結婚し、子供をいっぱい作ったとします。 そしてその子供同士や子孫同士でずっと近親婚を繰り返したとします。 鈴木さんは「A型、二重目蓋、黒目、黒髪」と「B型、一重目蓋、黒目、黒髪」の染色体を持ち 佐藤さんは「O型、二重目蓋、黒目、黒髪」と「O型、二重目蓋、青目、金髪」の染色体を持つとします。 もし組み換えが起きなければこの2人の子供の染色体の組み合わせは 1:「A型、二重目蓋、黒目、黒髪(鈴木)」「O型、二重目蓋、黒目、黒髪(佐藤)」 2:「A型、二重目蓋、黒目、黒髪(鈴木)」「O型、二重目蓋、青目、金髪(佐藤)」 3:「B型、一重目蓋、黒目、黒髪(鈴木)」「O型、二重目蓋、黒目、黒髪(佐藤)」 4:「B型、一重目蓋、黒目、黒髪(鈴木)」「O型、二重目蓋、青目、金髪(佐藤)」 の4種類であることは分かります。 さらにその子供たちが近親婚をすると孫世代は 1:「A型、二重目蓋、黒目、黒髪(鈴木)」「O型、二重目蓋、黒目、黒髪(佐藤)」 2:「A型、二重目蓋、黒目、黒髪(鈴木)」「O型、二重目蓋、青目、金髪(佐藤)」 3:「B型、一重目蓋、黒目、黒髪(鈴木)」「O型、二重目蓋、黒目、黒髪(佐藤)」 4:「B型、一重目蓋、黒目、黒髪(鈴木)」「O型、二重目蓋、青目、金髪(佐藤)」 5:「A型、二重目蓋、黒目、黒髪(鈴木)」「B型、一重目蓋、黒目、黒髪(鈴木)」 6:「O型、二重目蓋、黒目、黒髪(佐藤)」「O型、二重目蓋、青目、金髪(佐藤)」 の6種類になります。以降はこの6種類だけです。 この組み合わせは近親婚を繰り返す限り増えることはありません。だってもともと佐藤さんと鈴木さんの遺伝子しかないんですから、突然O型遺伝子や銀髪遺伝子が現れることはないのです。突然変異でも起きない限り。 そして突然変異が起きる確率は非常に低いので実質無視できます。 そしてさらに遺伝子組み換えによってこれらの要素がごちゃまぜになってきます。 つまり 「A型(鈴木)、二重目蓋(鈴木)、青目(佐藤)、金髪(佐藤)」「B型(佐藤)、二重目蓋(鈴木)、黒目(鈴木)、黒髪(鈴木)」のような染色体をもつ子孫とかが現れたりします。 でも所詮は最初の鈴木と佐藤の遺伝子の組み合わせをあれこれ入れ替えたりしてるだけです。 現実問題としてこれらの組み合わせの全ての子供が生まれるとは限りません。ある世代では子供は10人産んだけど、ある世代では3人しか生まないかもしれません。いっぱい産んだとしてもみんなたまたま同じ組み合わせの子供ばかりの可能性もあります。子供を作らないまま死んでしまう人もいることでしょう。 すると長い時間がたつと、この中のある遺伝子を受け継いだ子供がいなくなることも十分ありえます。 数学的な問題です。 たとえばある時、佐藤さん由来の金髪の遺伝子を受け継いだ子孫がたまたま産まれなかったとします。するとそれ以降、金髪の遺伝子は復活することは二度とありません。1つバリエーションが消えました。 また、ある世代では鈴木さん由来のA型を受け継いだ子供が産まれませんでした。それ以降はA型、あるいはAB型の子孫は二度と現れません。また1つバリエーションが消えました。 そして、いつかはたった一つのバリエーションの遺伝子の組み合わせの子孫だけになってしまうのです。 それがどんな組み合わせになるかは偶然によりますので分かりませんが。 まあ現実問題としては人間の遺伝子は膨大ですのですべての遺伝子が一種類になってしまう可能性は非常に低いと思いますけどね。 かなり単純化したたとえ話ですがご理解いただけたでしょうか。 これはあくまでも分かりやすく説明するために現実の遺伝子の話を非常に単純化しています。 なので実際にこのまんま同じことが起きる訳ではありませんのでご了承ください。 遺伝の知識のある人にこのままの話をしたらたぶん笑われます。
お礼
ご説明をありがとうございます。 そうしますと 似通った遺伝子群へと片寄って行く血筋としての家系が成り立つためには 十世代や二十世代をも必要とするように考えられます。 試し腹による遺伝子への影響そしてその遺伝子による身や心への影響は それほどいちじるしく現われるとはあまり思えませんね。 ひょっとして 例のミームとか言う環境の要因なんかが関係しているのでしょうか? そんなわけないですかね。 つまり 例の《〔欝〕火病》とか呼ばれる癇癪のような症状の問題ですね。これは アメリカの医学上の症状としても取り上げられているとか。 ですから このファビョルという症状は 試し腹と因果関係があるか? これが知りたいところです。ちょっと虫がよすぎますか?
- raiden787
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○ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (え)≒(い) 遺伝子間の距離が遠いものほど互いに組み換えが起こりやすい。 (お) ということは 言ってみれば自然の摂理として 遺伝子群が互いに混ぜ合わさるときそれでもなるべく似通っていないものどうしの組み換えが起こるようになっている。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 残念ながらだいぶ的外れです。 遺伝子間の距離と似てる似てないは全く別の話です。 遺伝子間の距離はただの物理的な距離なんです。物差しで測れます(顕微鏡でみないと見えないくらい小さいですけど)。 同じ種類の染色体は一人の人間には必ず2つあるというのは前述の回答で言いましたが覚えていらっしゃるでしょうか。 すなわち、例えばある染色体に血液型を決める遺伝子と目蓋の一重か二重かを決める遺伝子が載っているとします。 すると必ずもう一本、血液型を決める遺伝子と目蓋の一重か二重かを決める遺伝子が載った染色体があります。 それぞれが片方が父親由来でもう片方が母親由来です。 仮にブラゲロさんの父親由来のその染色体にはA型の遺伝子と二重目蓋の遺伝子が載っており、母親由来のその染色体にはO型の遺伝子と一重目蓋の遺伝子が載っているとします。 するとブラゲロさんは血液型はA型で目蓋は二重となります(一重目蓋遺伝子より二重目蓋遺伝子のほうが優性なので)。あくまでも例え話です。 染色体の組み換えがなかった場合、ブラゲロさんの生殖細胞(男なら精子、女なら卵子)には「A型と二重目蓋の遺伝子の組の染色体」をもった生殖細胞と、「O型と一重目蓋の遺伝子の組の染色体」を持った生殖細胞の2種類が出来上がります。 もし染色体の組み換えが起こらなければブラゲロさんの子孫はブラゲロさんの「A型と二重目蓋の遺伝子の組の染色体」か、「O型と一重目蓋の遺伝子の組の染色体」のどちらか片方を受け継ぐことになり、「A型と一重目蓋の遺伝子の組の染色体」とか「B型と二重目蓋の組の染色体」のような別の組み合わせの染色体はブラゲロさん以外の人から受け継ぐことになります。 ところが染色体の組み換えが起こると、染色体のうち血液型の遺伝子が載っている部分と目蓋の遺伝子が載っている部分が切り離され、父親のものと母親のものが入れ替わってくっついてしまい、「父親由来のA型遺伝子と母親由来の一重目蓋の遺伝子が載った染色体」や「母親由来のO型遺伝子と父親由来の二重目蓋の遺伝子が載った染色体」を持った新しい種類の生殖細胞ができあがるのです。 そのためにブラゲロさんの子孫にブラゲロさんから「A型と一重目蓋の遺伝子の組の染色体」や「O型と二重目蓋の遺伝子の組の染色体」を受け継ぐことがありえるのです。 組み換え自体はよく起こりますが、染色体のどこで切れて入れ替わるかはランダムなので、血液型の遺伝子と目蓋の遺伝子が染色体上の遠いところにあるとこの二つが組み換え入れ替わりやすくなり、染色体上でこの二つの遺伝子がすぐそばにあるとこの二つが組み換えで別々になる可能性が非常に低くなります。 また、当然ですが組み換えはあくまでもブラゲロさんが両親から受け継いだ遺伝子同士の混合でしかないのでブラゲロさんが持っていないB型の遺伝子とかが突然出てくることはありません。 (あくまでも例え話です。本物のブラゲロさんの血液型や目蓋や遺伝子とは無関係の話であることはご了承ください) この場合、血液型の遺伝子と目蓋の遺伝子が染色体上で遠かろうと近かろうと似てる似てないの問題とは無関係であることはわかるかと思います。 例え染色体のどこに乗っていようと血液型の遺伝子は血液型を決めるだけですし、目蓋の遺伝子は目蓋の形を決めるだけですから。
お礼
ははぁ なるほど。そうだったのですか。――まづは ご回答をありがとうございます。 ということは 生殖細胞をつくるときに遺伝子の組み換えが起こるというのは 劣性の遺伝子をも万遍なく子孫に伝えて行けるように リセットするかたちなのでしょうか。 そうすると そのことは近親婚からどういう遺伝子がそうだとしたら片寄ったかたちで伝えられるかとは あまり関係ないように思われます。 ちなみにわたしは O型で一重です。子はいません。 ところで 試し腹によって生まれた子どもは 嫁ぎ先の家にとって余所者と見なされ 捨てられてしまうそうです。孤児院に預けられたり拾われたりして命を長らえて成人した場合には どうなんでしょう。その身内の者との婚姻から子どもを生むことがなければ 大した影響は出ない。――こういうことでよろしいのでしょうか?
- raiden787
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> 次がまとまったひとつの見解ですよね。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 人間の近親相姦の繰り返しの場合、動物の品種改良のように明確に形質を選択して選抜はしないだろうと思いますのでそこまで急激ではありませんが、それでも少しずつ遺伝子型は似てくるのです。最初の非近親の両親が持っていた遺伝子だけを混合してるだけですから。 これは数学的な問題ですね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ > ☆ 基礎的な知識として大事にします。 これに関する補足ですが、この内容には染色体の組換えという現象が関わっています。 説明が煩雑になるので前回では略しましたが、参考までに。 遺伝子は我々の細胞内では染色体という容器に乗っかっています。この染色体というのは細長い紐みたいな構造で、父親から受け継いだ遺伝子を載せた染色体と母親から受け継いだ遺伝子を載せた染色体は別々になっています。 つまり我々の細胞内では父親の遺伝子と母親の遺伝子は明確に区別されているのです。 ところが、我々の体の中で生殖細胞(精子、あるいは卵子)が作られる際に、父親由来の染色体と母親由来の染色体の一部が切れて、両者が入れ替わって再結合することがあるのです。 すなわち、この時に父親由来の染色体と母親由来の染色体の一部が混ざり合うのですね。 染色体のどこが切れるかはランダムで、染色体のどこが切れるかで染色体の混ざり方は全然変わってきます。 このために同じ親から生まれる子供でも親から受け継いだ遺伝子の組み合わせのバリエーションがとても増えるのです。 言葉での説明では非常に分かりづらいと思いますので 図解のある参考ページを紹介しておきます。 http://www.nig.ac.jp/museum/history/06_d.html(ネットで見つけてきたサイトで私個人とのかかわりはありません) この現象が近親婚の繰り返しの際に子孫の遺伝子型が似てくる理由の1つでもあります。 この現象により本来別々のグループだった遺伝子群がどんどんミックスされていくのです。 これは疑問への答えではなく、あくまでも現象の理由の説明ですので参考程度に考えてくださればと思います。
お礼
ふーむ。なるほど 複雑ですね(わたしにとっては)。 ご回答をありがとうございます。 ▲ (染色体とその組換え ~ 染色体の組換え) ~~~~~ (第二パラグラフ) (あ) 一つの染色体上にある二つの遺伝子の間に組換えの起る頻度は、二つの遺伝子間の距離に比例し、 (い) 両遺伝子間の距離が長いほど、組換えの頻度は高くなり、 (う) 逆に距離が短いほど遺伝子間の組換え頻度は低い。 このような遺伝子間の組換え頻度を調べることにより、遺伝子間の相対的な距離を推定することができる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ つまり ここで (い)の内容が気にかかりました。 すなわち: ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ この現象(=組み換え)が近親婚の繰り返しの際に子孫の遺伝子型が似てくる理由の1つでもあります。 この現象により本来別々のグループだった遺伝子群がどんどんミックスされていくのです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ というとき 次のように捉えてよろしいのでしょうか? ○ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (え)≒(い) 遺伝子間の距離が遠いものほど互いに組み換えが起こりやすい。 (お) ということは 言ってみれば自然の摂理として 遺伝子群が互いに混ぜ合わさるときそれでもなるべく似通っていないものどうしの組み換えが起こるようになっている。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
- 雪中庵(@psytex)
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前提となる認識として、「近親婚によって遺伝子異常が 生じる」事はない。 ただ、細胞中の核内には、遺伝子が母親由来と父親由来の 2セットあり、一方に遺伝的欠陥があっても、もう一方の 遺伝子によって補完されて、異常は表面化しないところ、 近親婚によって同じ遺伝子に欠陥がある2セットが揃うと、 補完されないだけだ。 遺伝子異常の量自体は、日本人も変わらない。多様性の 違いだけだ。 当然、遺伝子異常が形質的に表面化すると淘汰の対象に なるので、近親婚を忌避する本能や文化が醸成される。
お礼
ご回答をありがとうごさいます。 ★ 遺伝子異常の量自体は、日本人も変わらない。多様性の違いだけだ。 ☆ どうもそのようであるようですね。似通った遺伝子・近しい遺伝子が集まり過ぎてしまうという。 ★ 近親婚によって同じ遺伝子に欠陥がある2セットが揃うと、補完されないだけだ。 ☆ というふうなのですね。《異常》の中身をしっかりと捉えないといけないのですね。 ★ 当然、遺伝子異常が形質的に表面化すると淘汰の対象になるので、近親婚を忌避する本能や文化が醸成される。 ☆ タブー(禁忌)は 人為的・文化的なおこないになりますが 《本能》がはたらくという自然の要素もあるのでしょうか。 《遺伝子異常が形質として表面化した》場合 ヒトは意識せずにこれを感知して 本能として・またそれを補強するためでしょうか 文化的なナラハシとして 近親を配偶者とすることを避けるようになる。――でしょうか。 近親婚の積み重ねによって現われた同質の遺伝子の集中にかんしては むしろ婚姻(生殖)の相手として選ばれなくなるのだそうですね。回答No.1~3にておそわりました。形質的にまで遺伝子異常がかたちづくられた場合 その人は嫌われてしまい 近親婚が――或る程度自然のかたちで――避けられるのだと。 ありがとうございます。 なお このお話をうかがって思うことは 要するに韓国人の場合 《ふつう》よりは同質の遺伝子の集中度が高いという事例が多い可能性がないとは言い切れない。こんな見方がちらっと出て来たかも知れません。No.3を承けて 一たん認識を白紙にもどしたのではありますが。
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お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ >ミーム これはまだ学術的なきちんとした概念ではないので学術的にはなんとも言えません。 そもそも生物学とは全く無関係な話です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 確か生物学者が言い出したのではなかったですか? もしそうだとしても 生物学とは――生物学プロパーとは でしょうか――関係ないのだと。 そう言えば むかしむかし マレーシャの話として 《アモック》という症状が現われるという問題を聞いたことがあります。ファビョるときのような怒りや心理的な状態とは関係なく或る日突然 くるったようになり家から外に出て町を走り去るとかどうとか。 あるいは スラベシの方面で 人生の半ばあたりに成ると やはり突然 旅に出るようになるのだとか。 そうなると 周りのクウキを読むといったコトとも違って来ているようですし さては遺伝子かとも言われるかも知れない。 でも遺伝子や形質的な問題とは別だとなると 広い意味での哲学的な問い求めにもなる。・・・のでしょうか。 子どもが柔軟に周りの人びとやその振る舞い方としての環境に対して適応する能力を持つというお話がありましたが そうしますと言ってみれば その朱にまじわってどこまで朱に染まらないでいられるか? といった問題にもなるかと考えられて来ました。そういう意味での信念だとか思想の問題としてですね。 この質問は――つまりは 韓国人における遺伝子調査の結果をめぐる問いは―― 例の韓国人における言わば《反日》症候群のような疾病が まさに遺伝子関係だとの回答をもらったものですから(その回答者さんも 真偽のほどは分からないと言っていましたが) 知りたかったのです。 いづれにしましても基礎として幅広い素養が必要だと知らされました。ありがとうございます。 さらにご自由に書き込みをなさっておいてみてください。回答し足りないということのないように。