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世界の平和・調和の為に哲学に何が出来るか?
我々は日本で一応平和に暮らしていますが 世界はまだまだ平和ではありません。 調和してもいません。 我々の哲学で世界の平和・調和の為に何か出来る事はないでしょうか? 大真面目 真剣に聞いています。可能性はないでしょうか? 出来れば端的にお願いします。
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>我々の哲学で世界の平和・調和の為に何か出来る事はないでしょうか? 私の目下の最大の悩みである問題提起をします。それは、なぜ平和を是としているイスラム教が関係する世界が、目下最も暴力的なのか?その最もたやすいの解決法は?ということです。これを哲学的見地から解けば世界の平和に大いなる貢献をして、ノーベル平和賞受賞もゆめではないでしょう。挑戦してください。
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- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
哲学はソクラテスの時代から2500年の歴史があります。 人類の混沌も2500年以上の歴史があります。 これだけの長期にわたって哲学と人類の混沌が併存したということは、双方に有効打は無いと判断しなければなりません。
お礼
成る程 それは残念。ガックリ来ますねえ。 どうもありがとうございます。
- a_hona
- ベストアンサー率21% (95/444)
繰り返しになるが、人々の習性というものを理解し、人間自らが、自身を制御できるようにならなければならない。哲学や考えの違いまでもが火種になるという現実を鑑みれば、解決の糸口を哲学に求めるのはナンセンスであるだろう。 むしろ、人間が哲学というものを持ち、それをどのように使うのかにライトを当てた方が、質問者の動機に敵う結果を導き出せると思われる。
お礼
誤解を生んだのでしたら申し訳ありませんが 私も仰ることに同意見です。何らかの哲学を持つことが必要ですし それをどう使うかを問うているつもりです。 どうもありがとうございます。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
やあ。 誰とでも仲良くしようとするだけで、君は上出来だよ。 闘争状態では、殺したいやつも出てくるんだろうなー。 そういう場合は、実は殺したいほど憎いあいつになら、むしろ殺されてもいいと認めるほどの博愛で和平が成立する。 そんな君達への教育がV字開脚要求だ。 実に平和なニッポンだー。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
★ (No.8お礼欄) 人が怖いと思いませんか? ☆ 思いません。
お礼
そうですか 殺戮や詐欺を見聞きしてもですか? どうもありがとうございます。
- stmim
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この場合の目的は世界平和なんでしょうか?それとも哲学をすること? もし世界平和が目的なら、哲学は手段であり、哲学にこだわる必要はないのではないでしょうか? 哲学と世界平和は関係性が希薄な気がします。 世界平和を目的とするなら、今の段階で有効な活動手段は、平和活動団体にできる範囲で寄付金を送ることだと思います。 そのほうが哲学で何か考えるよりよほど効率的で役に立つと思います。
お礼
そんなものさと思っていなけりゃ泣けてきます。 哲学は無力でしょうか?言葉の力はないのでしょうか? どうおありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
「日本は平和だ」という事が、「日本人は幸せだ」という事を意味しない事が、現代社会の最大の問題であり、世界の戦争の原因でもあるのです。 人が生きる目的が、「心の豊かさ=精神的充足感の追求」であるか、「物の豊かさ=即物的・経済的利益の追求」であるかの違い。 我々を形づくる物体に、本質的な目的(価値性)はありませんが、それゆえエントロピー増大=淘汰として、常に生物の目的を「生きること」に収斂させます。 それは、個人の意識において「意志の達成=充足の追及」となります。 つまり、「人生を通算した精神的充足量の最大化」のみが、本質的目的です。 そう聞くと、短絡的な快楽主義と思われがちで、実際それは肉体に付属した感覚器官に基づくものゆえ、即物的・自己中心的に陥りがちですが、3つの点で、そうではありません; 1.「人生を通算した充足量」を構成する関数は、欲求の強さや達成率だけでなく、それを感受する上で「認識の深さ」が大きな要因であり、麻薬的な感覚的快感とは反対の方向性を持つ。(意味的深さ) 2.「人生を通算した充足量」を目指す上においても、「認識の深さ」によって人生全体を見通し、短絡的衝動をコントロールする必要がある。(時間的長さ) 3.分業化や組織化において人が社会性をもつにつれ、自己の生存の成立に、社会全体の活動が必須となり、真に「利己的」であるには、社会全体の自己の肉体と同等の自覚化(他我化=愛)が必要となる。(空間的広がり) こうした「自己の肉体の外における『人生を通算した充足量の最大化』の要因=社会行動」を自覚的に行なわずに、政治(法規)や経済(お金)、宗教(善悪)、慣習(正義)、などにより他律的に行なう時、そこに争いや苦痛が生じるのです。 社会性の発達において、他律的方法論をとったという事は、自発的な意思によって生きていない=「精神的充足量の最大化」という真の目的において人類は退化している、と言えるのです。
お礼
分かるには分かるのですが・・・僕の考えと決定的に違うので そうかな? と思います。 その 意味の深さ 時間的長さ 空間的広さって 精神的充足量を表すのでしょう? 何でそう立体的に捉えなければならないのかも?ですねえ しかし分かるには分かります。そういう考えもありだと思います。 どうもありがとうございます。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
横川槍之進です。尊敬する先生に対してですが楯突きます。 ドストエフスキーは ダメです。神学についてなあーーんも知りません。 ▼ (創世記 1:27) ~~~~~~~~~~~~ 神は自分のかたちに人を創造された。 すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 ▼ (コリント前書 6:12-20) ~~~~~~~~~ すべてのことは、わたしに許されている。 しかし、すべてのことが益になるわけではない。 すべてのことは、わたしに許されている。 しかし、わたしは何ものにも支配されることはない。 食物は腹のため、腹は食物のためである。 しかし神は、それもこれも滅ぼすであろう。 からだは不品行のためではなく、主のためであり、主はからだのためである。 そして、神は主をよみがえらせたが、その力で、わたしたちをもよみがえらせて下さるであろう。 [・・・] あなたがたは知らないのか。 自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、 あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。 それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ■ 「神がなくなれば全てのことは許される」(ドストエフスキー) ☆ ちがいます。《神のもとでこそ ずべてはゆるされている》のです。ドストくんは なあ~~んも知らない。個人の信仰をヒエラルキア組織宗教の中に置き シュウキョウをただの政治権力と見做し みづからは〔小説の中でとしても〕政治運動にいそしむという思想でしかありません。
お礼
天知る地知る人が知る 神の許しが必要な時代と 人の許しが必要な世界と 罪の文化と恥の文化。色々あるでしょうね。 先生は人を愛していらっしゃるのでしょうか? 人が怖いと思いませんか? 世界で殺し合いが起こっていますが。 どう思いますか? 私はドストエフスキーにもかぶれました 救いはあるでしょうか? どうもありがとうございます。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10004/12513)
>我々の哲学で世界の平和・調和の為に何か出来る事はないでしょうか? ⇒このご質問に感謝します。かつて「共生」をキーワードとしてこの種の問題を考え、共著のコラムに寄稿した経験がありますので、それを要約して掲げます。 「神がなくなれば全てのことは許される」(ドストエフスキー)と言うが、全てのことが許された世界とは何か。それは、例えば無法者の跋扈する地帯、奸計・略奪・殺人などの横行する世界だろう。神が消えるなら、その神もろとも当該行為を裁定すべき方法、すなわち規範も消滅するからである。現代はまさにそれである。「究極的存在者がいて始めて世界は秩序を得られる」(小滝透『神の世界史』)。共存と規範の共有とは切り離し難くついて回るもののようである。共存する者の遵守すべきことの一つは、「共通の規範に服すること」である。 「神が人間を通して事物を見る・人間は神の視覚器官である」とオルテガ『現代の課題』が言う時、その「神」は祀る神や拝む神ではない。それは絶対的真理の統覚者とでもいうべき「哲学神」である。つまりそれは、「人知の及ばぬことを司る者」を表象する語で、主体はあくまでも人間である。フォイエルバッハ『キリスト教の本質』が繰り返し語るように、「神は人間自身の本質である」。そして、「歴史の転期は、人間の崇めている神が、結局は人間自身の姿に他ならぬことを自覚する時に始まる」とも言っている。「神が人間自身である」ということは、神はいかなる問題にも対処し得る能力と機能を有する人間の自己写像である、ということでもあろう。ゆえにその神的機能は、信奉する宗教や神の如何にかかわらず、人間という共通項に基づいてあらゆる人間同士で契約することができるはずであり、その契約可能な中身は、「共存のための倫理的規範」というべきものである。現段階では、科学的方法によって立証したり推進したりすることはほぼ不可能で、科学の範疇を越える命題とも言えようが、かといって放置しておくわけにもいかないので、「暫定的に合意する」ことを模索すべき性質の事柄である。 ここでいう規範とは、国連憲章などと違い、あくまでも個を基本として、しかも普遍的な人類共通の知恵を結集し、共有する作業とも言える。国家・民族・宗教などを単位として交渉がなされる限り、相互理解に限界があることは明白である。共通規範を模索する作業の中で、人類共存のためには民族や宗教を越えた「個の普遍化」を基軸に据えた相互理解が必要なのである。そもそも、理想的な規範などは最初から存在するものではなく、求め続け、状況に応じて協定するほかないものだろう。それは「地球という共同体の成員が共有すべき共生パラダイム」の探求であり、求め続けるという過程にこそ意味があると言える。不可知論者のように、実証性の切れたところで「不可知の雲」(=神に象徴されるような「人知を越えたもの」と観想者との間に介在して、直接的な認識を妨げるもの)の向こうの探求を放棄する時、人間は、例えば異民族・異教徒というだけで互いに反目し合って殴り合い、結局は自らを「文明社会における文化的野蛮人」でしかないことを露呈することになる。そしてその行く末は、全人類の自滅へ向って疾走せしめること必定である。 かつて「絶対性」を仮託していた神を人間が殺したのだから、絶対的な倫理的要請を出せる存在に代って人間一般に普遍的に妥当する倫理的規範を考案し、それについての合意形成を人為的に図ることが、今ぜひとも必要である。啓示の主を殺し、人間が事実上の神になってしまった現代にあっては、もはや誰も指針を与えてくれない。地球の運命が自分の手中にあることに対する責任の自覚あるのみで、巨視的・鳥瞰的な判断や行動が求められる。仮に絶対性に関する合意形成が不可能でも、少なくともそこへ志向するための研究は必要である。かかる目的の遂行において、民族や宗教や権力や、さらには経済的利害のみに拘泥することが、いかほどに無意味かつ有害であるかはあまりに明白である。考えるに、人間は「契約」を覚えたからこそ、辛うじてこれまで存続し得たのである。そして、この現代においては、約束し遵守することの重要性は倍旧している。この精神を忘れるなら、今後の地球は、拳骨でなく原子力などを駆使した「最後の理性」(=超暴力)の支配する星になってしまうことだろう。今や抜けがけは、地球規模の自爆テロと同値になってしまった。互いに一触即発状態の中に住む、しかも必然的に他を巻き込む人類にとって、もはや共通規範の探求を抜きにして、楽園はおろか、単なる生存の継続さえ語れなくなったのである。 以上から、地球市民としての人間関係のあり方を集約すれば、「異分子を排除するのでなくその存在を相互に承認し合い、互いの論理を受容し、相互関係を考慮して合意形成を図り、個の普遍性という基盤上に共存の姿勢を恒常的に求める」ということになるだろう。「他者を自己の中に住まわせる姿勢」・「遠近法主義(=異なる視点から見たものを接合することによって「神の視点」に近づけるとする主張)の立場に立つ態度」・「排除の論理から包摂の論理への転換」とも言い換えることができる。こういう互恵互助的な個の確立こそ、まさに「世界の平和・調和」の基盤を形成する土壌となり得るに違いない。今ほど、「真の」科学発展を促す一方で、かけがえのない人間存在の価値を互いが自覚し、互恵互助の理念によって支えられるような包摂型地球社会の実現に向けての努力が求められる時はない。現下、このような問題意識が喫緊の論点・課題となるのは、危機に瀕する人類(いや地球生命)全体をこよなく愛しみ、健全で永続的な地球市民の共存を希求するからに他ならない。 以上、あまり端的でなかったかも知れませんが、ご回答まで。
お礼
嗚呼 苦しかった。 神と人間ですか 神を愛せ 隣人を愛せ 敵をも愛せとありますからねえ 怖しくても愛すれば理解出来るかもしれません 共通規範が持てるかもしれませんね 人を愛くしむのですか 成る程 どうも大変ありがとうございます。
補足
ベストアンサーにしようかと思いましたが またこんなに書かれると 僕の病状が悪化するので 敬して遠ざけさせて頂きます。すみません。
- pigunosuke
- ベストアンサー率19% (1063/5529)
端的にお願いしますとか それでは端的すぎるとか 注文が多いですね 哲学には「学」の字が付いていますが 自ずから答えを出せるようになる為に学ぶのですよね? 私が与えるのはヒントだけです 自ずから答えを導き出してみましょう
- hhasegawa
- ベストアンサー率14% (56/385)
日本国憲法を海外に広めることで 世界が平和になります。 もっとも受け入れる国はなさそうですが。。。
お礼
期待した途端にガッカリで賞 どうもありがとうございます。
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お礼
それは 大いに平和的であるはずのキリスト教が最も暴力的に強いせいだと思います。 方法はキリスト教国が暴力、戦争を外交の手段として放棄して 敵をも愛して話し合いをすべきと思います。あんなにイラク人を殺さなければ IS(イスラム国)もあれほど成長は出来なかったと思います。 どうも大変ありがとうございます。