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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ご飯に行く、ご飯する、)

「ご飯に行く」「ご飯する」一般化のいつ頃から?きっかけはあった?

このQ&Aのポイント
  • いつの間にか「ご飯に行く」「ご飯する」という表現が一般化しているが、いつ頃からであるか、きっかけは何かあったのだろうか?この記事ではその由来について考察する。
  • 「ご飯に行く」「ご飯する」という表現は、親しい者同士だけでなく公の場でも使用されている。ただし、この表現の一般化は比較的新しく、「食事に行く」の方が古い表現であるとされている。
  • 「食事に行く」という表現が一般的だった頃、友人や恋人との食事の際には「何か食べに行く?」という表現がよく使われていた。一方で、「ご飯する?」や「ご飯に行こうか?」という表現はあまり使われていなかったと思われる。

質問者が選んだベストアンサー

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  • staratras
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回答No.7

No.4です。少し補足させてください。「ごはんする」という言葉は、昭和の終わりごろ(80年代末)にはすでに若い女性の間で使われていたと考えられます。理由は以下の通りです。 「ごはんする」は「日本俗語大辞典」(東京堂出版・平成15年初版)に「(動)食事する。御飯にする。」という意味と、「そりゃ、ホントは一流のシーフードレストランなんかでゴハンして」という用例(「10月のパイナップル」(花井愛子))が合わせて掲載されていました。 この「10月のパイナップル」という作品は「講談社X文庫 ティーンズハート」から昭和62年(1987年)10月に出版された女の子向けのいわゆるジュニア小説で、作者の花井愛子氏は、この作品などを執筆した当時のことを以下のように回顧しています。「ときめきイチゴ時代〈ティーンズハートの1987-1997〉」(花井愛子著 講談社文庫 2005年)(以下引用) 「マンガのセリフに慣れている女の子たちは、マンガのキャラクターたちがそうであるように『ふだんの。自分たちのコトバ』が書かれていないと、感情移入できないだろう」 「なんといっても、少女マンガ原作を書きはじめて以降にできた現役少女マンガ家の友人たちが、最高の“教師”だった。少女マンガ家さんは、10代後半からハタチそこそこ。…新しい若者言葉を耳にすることが多くなっていた。」 「10代少女たちは、短い言葉を弾丸のように口元で弾けさせる。それをできるだけ、『まんま』書いたら、『ページの下が、まっ白』になった。でも。それでいいのだ、と自分で決めた」(引用終わり) 回答者を含む成人男性のほとんどはこうした小説を読む機会がなかったと思いますが、こうした小説は当時若い女性が仲間うちで使っていた(男性が知らない)日本語表現の宝庫でもあるようです。

Ghionea_329
質問者

お礼

女性が仲間内で使っている言葉というのはけっこうあるでしょうね。 確かに「ご飯に行く(~する)」は(私にとって)男性から聞きたいセリフではありませんね。。 補足いただきましてありがとうございます。

Ghionea_329
質問者

補足

「日本俗語大辞典」(東京堂出版・平成15年初版)に「(動)食事する。御飯にする。」という意味と、「そりゃ、ホントは一流のシーフードレストランなんかでゴハンして」という用例(「10月のパイナップル」(花井愛子))が合わせて掲載されていました。 など、詳しいご説明たいへんありがたく思っています。 全くの余談ですが、日本語の「かわいい!」という表現ですが、 英語でも kawaii(彼らは”カゥワーイィ”と発音しますが)はティーンの 一部で使われ始めているのです。 もちろん日本の漫画やコミックが海外で 有名になっているせいで、「かわいい!」という表現も同時輸入されたようです。 そういう少女マンガの背景、というのは”日本語の文化”には重要な位置を 占めていると感じました。 ※「カワイイ」という表現は英語の cuteとは厳密には違っていて、 小さくて未熟な感じといった外見だけでなく、純粋で擦れていない大人に 対しても使うと思うので。 

その他の回答 (7)

  • Postizos
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回答No.8

6です。 正直に言うと私は90年代にもあったと思っています。(「だとしたら」にはちょっと逆説的な気持ちがあったようです)。 設問で禁止されている“理由についての推測”になってしまうのですが、“恥ずかしい言葉”には循環もあるようにも思います。  →「ごはん」が恥ずかしい↓ ↑「メシ」が恥ずかしい  ←

Ghionea_329
質問者

お礼

了解しました! 再びご回答いただきありがとうございます。

  • Postizos
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回答No.6

ANo.5です。 出典と言うか、調査したわけではないし、そういう調査をした資料もないので確たることは言えませんが、少なくとも60年代の東京で「御飯に行こうか」という言い方はあったと記憶します。 もし90年代には聞かなかったとしたら、おそらく一度衰退してまた復活しているのではないでしょうか。 「御飯にしよう」がどちらかというと家庭内の言葉だという説には賛成です。(女言葉説にも矛盾していないと思います) ともかくテレビ番組のヒット作であるとか人気の役者さんが劇中で使っているのが始まりという事実も無いように思います。

Ghionea_329
質問者

お礼

おそらく一度衰退してまた復活しているのではないか、 とのこと。 何故でしょうね。。。 再度回答どうもありがとうございます。

  • Postizos
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回答No.5

午飯と書いてごはんと読む読み方があるとしても今「ごはんに行こうか」と使っている人は「午飯」のつもりではなく、もちろん「ご飯」のつもりで使っているのですからこの語をほじくり返すのはこの質問では不適当だと思います。 「メシ行こうか」のような言い方は(東京では)以前からあったのでそれの女言葉バージョンであると思われます。 TVや印刷物には関係ないですね。(テレビなどで使われているとしたらテレビの脚本の方が民間の実例の採集・後追いでしょう) 少なくとも「ご飯に行く」は60年代にはすでに使われていると思われます。 ただし「ごはんする」は「お茶する」「ラインする」などと同じ語法で80,90年代以降ではないかと思いますが、古文にも似たような語法(名詞+する)はあります。 職場といっても「食事に行って参ります」などと言ってる職場ばっかりではない、と言うか私はそういうところで働いたことはないです。男は(女でもいますが)「ヒルメシ行ってきます」の方が多いのではないでしょうか。 広辞苑第四版に ごはん【御飯】 飯・食事の丁寧な言い方。 伎、五大力恋鍼(歌舞伎、ごだいりきこいのふうじこめ1794年初演)「然らば身共は御飯頂戴仕りませうの」 と用例があります。斬り殺した片思いの女郎の首を前にして飯を食うシーンらしい。 耳慣れない原因は本来砕けた言い方(メシ行こう)をそこ(メシの部分)だけ丁寧(なつもりの女言葉)にしているからでしょう。それと外国生活をしていて外から日本語を見ているから気付くのでしょう。 なおちなみに「メシ・飯」は岩波古語辞典では めし【召し・見し】の二の○3 《召し上がる物の意》から来た としてもとは丁寧語としています。 もちろん今はメシ(飯)が丁寧語だと思って使っている人などいません。 私見としては「ごはんする」は女の人が使っているなら気にしませんがいいおっさんが使ってたらちょっと笑いを誘われるかもしれません。

Ghionea_329
質問者

お礼

午飯や飯のご説明、興味深く思いました。 「ご飯に行く」が古くから(質問中のリンクでは「江戸時代」という意見も)存在する ということ。 それはそれでいいのですが、先の方にコメントしましたように 私がまだ日本(東京)の職場にいた ’90年後半には女性が公で 「ご飯に行こう(~しよう)」というのは聞いたことがなかったと思いますし、 プライベートでも然りです。  それが一般的になってきたのはここ数年 という気がするのです。 おっしゃるように、言葉に限らず、我々のような海外在留邦人が たまに日本に 帰省すると それが 日本に住んでいれば 何でもない ごく自然に受け入れられたか、 また 移行されたものに過ぎない現象でも、あれ!?と感じてしまうのですね。。  この度のご回答どうもありがとうございます。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.4

回答者は昭和50年代前半に就職しましたが、当時職場では食事に行くことや食事をすることは、「飯(めし)に行く」「飯(めし)にする」ということが一般的で、「ご飯に行く」「ご飯にする」とはほとんど言わなかったように記憶しています。 助詞の「に」を省略して「飯、行くか?」「飯、するか?」と言うこともありました。当時は男女雇用機会均等法ができる以前で、職場に女性がわずかしかおらず、正規の職員はほとんど男性だったことが最大の理由でしょう。 その後、昭和61年に均等法が施行され、職場に女性が増えると、女性職員達はさすがに「飯に行く」とは言わずに「食事に行く」「ご飯に行く」と言っていました。そうなると男性も女性を含む部下や同僚に「飯、行くか?」とは言わなくなり、「ご飯(に)行こうか?」と丁寧な言い方をする「紳士」が増えていきました。 「ご飯に行く」という言い方が広まっていった背景には、こうした職場環境の変化もあるように思います。

Ghionea_329
質問者

お礼

「ご飯に行く」という言い方が広まっていった背景には、女性が増えたという 職場環境の変化もあるのではないか、というご意見ですが、 ’90年後半には自身も日本(東京)の職場におりまして、確かにまわりで 「飯行こうか」 「飯にするか」という男性の声を聞いていましたが、女性が 「ご飯に行こう(~しよう)」というのは聞いていないと思うのです。 それは質問に書きましたように、プライベートでも然りで それが一般的に なってきたのはここ数年という気がしますが。。。 (タレントの発言で「おや?」と思ったのは2年前(4年前の帰省中には なかったような気がします)、最近は FacebookなどのSNSでも多く見られます。 言葉に限らず、我々のような海外在留邦人は たまに日本に帰省すると そこに何らかの変化を感じざるをえないのですが、それが 日本に住んでいれば 何でもない ごく自然に受け入れられたか、また 移行されたものに過ぎない 現象と強く感じます。  この度のご回答どうもありがとうございます。

  • kine-ore
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回答No.3

「ごはん」といえば先ずは「午飯」でしょうと呟きながら、でもMS-IMEが変換してくれません。 そこで辞書にあたったのですが、驚きました。 辞書の大小や出版社の違いもあるでしょうが、昭和後期には「午飯」が<失われた日本語>と化してしまったようです。 今では「ごはん」といえば「ご飯」だと思い込んでいる人ばかりになってしまっているとはイヤハヤです。 おかげで「午飯に行く」「午飯にする」は消え失せ、今日日は「ご飯に行く」「ご飯する」なのだと! 「 明日丸山通一といふ獨乙語の先生の所へ午飯に呼ばれた。 」(夏目漱石「鈴木三重吉宛書簡」) 「食堂の午飯も今日は旨く食べられた。」(岡本綺堂「はなしの話」) 「午飯 ( ごはん ) をしまつて少し過ぎると、」(若松賤子「黄金機会」) 読み方は「 午飯 ( ひるめし ) 」「午飯(ひる)」「 午飯 ( おひる ) 」「 午飯 ( ひるはん )」などとも。              午飯  御飯 言海(1889)       ○   ○ 大日本国語辞典(1928)  ○   ○ 広辞苑(1973)      ○   ○ 新明解国語辞典(1984)  ×   ○ 現代国語例解辞典(1985) ×   ○ 日本語大辞典(1990)   ×   ○ ベネッセ国語辞典(2005) ×   ○

Ghionea_329
質問者

お礼

この度の回答どうもありがとうございます。 夏目漱石の小説にもある「午飯」が昭和後期には<失われた日本語>と化して しまった、とのこと。 何故でしょうね。。? また、いつから復帰したのでしょうか?  何かきっかけらしいものがあったのだろうか、、と思い、この質問を投稿しております。

noname#224207
noname#224207
回答No.2

いつ頃からかは定かではありませんが、有名雑誌がどうの芸能人がどうのという次元の問題ではないでしょう。 おそらく女子高生発でしょう。 女子高生というのは新語といいますか、新しい表現方法を考えだす天才です。 「○○する」であらゆる言葉を動詞化してしまうというのは日本語の特性です。 日本人は古来から、この「する」という言葉であらゆる国の言葉を受け入れてきました。 プレイする、ダウンする。エンジョイする、電話する、FAXする、体操する、とまぁ~なんでもござれです。 電話する、FAXするに違和感がないのであれば「ご飯する」にもいずれ慣れるでしょう。 誰もが慣れなけれ自然淘汰されて消滅するだけです。 日本語にはこの他に「る」でも同じ働きをさせます。 ヤジる、ネグる、デモる、etc 「な」「の」をつければ何語でもたちまち形容詞に早変わりします。 女性向けのファッション雑誌にはいくらでもあります。 カジュアルなセンスのブルゾン、etc 要は、日本語と言いますのは、あらゆる国の言葉を動詞がどうの名詞がどうのなどという品詞などおかまいなく自国語へ取り入れるおそろしく懐の深い言語です。 自国の言葉なんぞ当たり前のことです。 外国語である漢文に返り点などというものを付けて翻訳することなく、日本語として読み飛ばしてしまうという芸当をやってのける民族です。 この本領を発揮するためには、固定観念など無用の何ものでもありません。 常識だの固定観念などに囚われない女子高生が言葉の天才であることも頷けます。 有名雑誌か芸能人かTVかなどという発想そのものが、古い昭和の時代の社会現象が平成時代にも通用する常識と思いこんでいる証拠です。 このように固定観念に拘るようでは、漢文の読み下しなどという技法は到底生まれてこないでしょう。 かな文字を作りだせないでしょう。 そもそも漢字に音だの訓だのあること自体不思議だと思われませんか。 漢字が持つ意味など無視して音だけ借用して簡略化したのがかな文字です。 絵文字を発明したのも女子高生です。 いまや留学生が本国へ持ち帰って世界中の若者が使い始めています。 詳しくは下記の書籍をご覧下さい 好奇心と日本人 多重構造社会の理論 鶴見和子 講談社現代新書

Ghionea_329
質問者

お礼

女子校生発の新語、というご意見 たいへん興味深く なるほど、と思います。 ただ、雑誌・広告のコピー、TV(CMやタレント)の用いた言葉が流行る、 と言う現象は なにも昭和(まで)に限られるとは思いませんが・・・?? この度の回答どうもありがとうございます。

Ghionea_329
質問者

補足

「○○+する」のご説明ありがとうございます。 また日本語が外来語を自由自在に”国語”にしてしまう点に焦点をあてておいでですが、 私はどちらかというと「ご飯」という言葉を公で使うようになったのは、いつからか、 という質問をしているつもりなのですが。。。

  • dogs_cats
  • ベストアンサー率38% (278/717)
回答No.1

私も「ご飯」を成人が使用する事に違和感を覚えます。 何時頃からは不明ですが、現在日本のTV番組はバラエティー番組と言われる番組が大半を占めています。その司会の多くは「お笑いタレント」が行っている事が多く、彼らが番組で「ご飯」と言ってるのが日常化したのではないかと思っています。 タレントさんも、公共の場では「食事」という言葉を使用して欲しいものです。 「食事会」という言葉はありますが「ご飯会」があるとは思わないのですが。(最近では、全て「飲み会」と言うのかもしれませんが) 言葉事態、変遷するでしょうから、普段使用しなくなる言葉はあっても不思議ではないのですが。「目線」という言葉がその例で、以前は「視線」と言っていましたが最近では殆どの方は「目線」を使用していますね。

Ghionea_329
質問者

お礼

帰省したときにみたTVで若い女性タレントがインタビューに答えていたのですが 「ご飯に行ったりぃ~」と発言しているのをみて 幼い感じにみえました。 「お笑いタレント」が番組内で「ご飯」と言ってるのが日常化したのではないか、 というご意見、なるほど、と思います。 「目線」はどうでしょうね。。。 自身 洋舞をしていましたが「目線はこっちに」など よく使う言葉でした。 また「~(の)目線で」というときは「~の立場・側 になって」という意味で、 「視線」とは違うと思うのですが。。。 回答どうもありがとうございました。

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