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日本刀・大包平について

国宝・日本刀「大包平」について刀に詳しい方にお聞きしたいことがあります。大包平って切れ味はどのくらいだったのでしょうか?切れ味についてはよく分ってないみたいな事しか聞かないので気になります。憶測でいいのでこういう形状で軽さがこれぐらいだから多分このぐらいの切れ味だろうみたいな感じでいいので参考を聞かせて下さい。

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  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.3

大包平については、池田輝政の手に渡るまでの経緯が 全く分からないなど、情報がきわめてすくないのです。 僅かな情報からの推察ですが、刃渡り約3尺という (ふつうは長くても2尺6寸)大太刀で、このような 大業物は切るというより、叩く、叩き斬るという 使い方をします。 大包平はこのような他の大太刀に比べ、刀身が薄く 軽量です。 つまり叩くのに向いていない、即実戦的でないという ことです。 又包平作の他の太刀の銘は包平とだけのものが多いのに これの銘は備前国包平とあります。 恐らく神社、仏閣に奉納か又は貴人に贈るものとして 作刀したのではないでしょうか。 とすると全身全霊を傾けての作刀であり、切れ味も かねとかの堅いもの切るのでなければ、並み以上で 最上級とも思われます。 もともと包平作の刀は薄身で切れ味重視といわれます。

noname#210532
質問者

お礼

回答ありがとうございます。大太刀でも重さや造りで使い勝手が違うのですね。人を斬るだけなら軽い方が使いやすそうです。参考になりました。またお願いします。

その他の回答 (2)

  • fumkum
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回答No.2

「大包平」ほどの大名物ともなると、伝説の1つや2つ、試し斬りの話なども収録されるものですが、備前池田家以前の伝来を含めて記載されたものがなく、不思議な刀です。 刃長約89,1cm、元幅約3,7cm、反り約3,5cm、重量約1,36kg、表裏に刀樋があります。地鉄は小板目つまり。刃文は五の目丁子。中心はうぶ、目釘は孔二つ、一つは包平の「平」の字の下部をうがっています。中心尻近くに大きな欠けがあり、その3cm程上に、今一つの孔があります。銘は「備前国(図の字のような感じです)包平作」 記録によると、以前は横手より一寸ほど下に刃の上に切り込みがあったとされています(現在は無し)。ということになると、実際に使われた可能性がありますが、そのような記録もありません。 刃長約89,1cm、元幅約3,7cm、反り約3,5cm、重量約1,36kgについては、これだけの長寸の刀では、一般に2kgを越えるのが、1,35kgは非常に軽量であるとされています。 ところで、伝来ですが、備前池田家の祖である姫路藩主池田輝政の佩刀であり、正月の具足始めに甲冑と共に飾る習わしがあったとされます。備前池田家は、輝政の後、その子姫路藩主二代目の忠継、忠継の子で姫路藩主から鳥取藩主そして備前岡山藩主に移った池田光政と続きます。 「大包平」と光政に関する話としては、相反する話が伝えられています。一つは、光政が藩主となった時は三歳だったので、叔父の池田忠雄(鍵屋の辻の仇討の原因を作った大名)が後見、家老日置豊前が執政、幕府より国目付として加藤甲斐守納泰が派遣される体制の時のこととして、次のような話があります。日置が忠雄と加藤に呼び出され、糾弾された時に、忠雄が「このような糾弾をされるのは加藤殿の「大包平」を借用の希望に副わないからだ」という。しかし、日置は「光政が成人の後ならともかく、それ以前は貸すことはできない」と、切腹覚悟で断固として断ったという話です。(ただし、この話は登場人物の時代が合わないとのことですので、史実ではないようです) 二つ目は、光政がその子の備後守(正確には伊予守綱政か?)に訓戒して、「伝来の大包平が何になる。藩中の刀を総動員すれば恐れる敵はいないのに、大名の身分で、刀一本に頼るとは情けない」と、話していたとのことです。 三つ目は、今までと逆で、光政は大の刀好きで、どうしても「大包平」を手に入れたいと願っていたが、藩政の顧問格の熊沢蕃山(閑谷学校創設)に購入を相談したところ、蕃山は、「太平の世に名刀でも無用の長物。それより名臣を雇うべき」と、意見されます。それでも、この「大包平」だけはと振り切って、購入したという話です。「大包平」を、光政が購入したことになりますが、輝政の佩刀とする所伝と矛盾することになります。 「大包平」について一応調べたのですが、以上のような話ぐらいしか出ていませんでした。 ところで、「大包平」の実物を御覧になったことはありますか。実は、私は何度か見ていて、銘と、中心尻近くに大きな欠けと、二つの孔を実見しています。見たのは上野の東京国立博物館で、現在「大包平」は同館の所蔵品ですので、展示され、ガラス越しですが普通に見ることができます。常時ではなく、入れ替えで展示されますが、HPでも展示品が広報されるので、確認ができます。国立博物館は「大包平」以外にも、童子切り、三日月宗近、大般若なども所蔵していて、展示されます。蛇足でですが。 最後に、上記しましたが、「大包平」は刃長の割に軽いことが特徴ですが、これは両刃の刃で、使い方が悪いと折れたり欠けたりする危険性が強いのではないかと思います。 以上、直接の答えにはなりませんが、参考まで。

noname#210532
質問者

お礼

回答ありがとうございます。池田輝政がどうしても欲しがったという話は聞いたことがありますが残りの二つは聞いたことありませんでした。非常に詳しく考察ありがとうございます。参考になりました。またお願いします。

  • tarohkaja
  • ベストアンサー率29% (66/221)
回答No.1

刀の切れ味は、その刀のよしあしだけでなく、砥ぎのよしあし、そして一番大切な切る人の腕の良しあしによって違います。 大名物(おおめいぶつ)の、宝刀とでも言いたくなるような名刀は、実際の人きりに使われたりはしません。 足利義輝が松永久秀らに襲われたときに、足利家伝来の名刀をふるって応戦したとされますが、そんな時でもないと、「伝家の名刀」は人きりには使われないのです。 「ためし切り」が試みられたことがあるのではないか、とは想像できます。 ところが「名家の所持品」のためし切りの結果は極秘で、世間に知られることはありませんから、伝説の名刀は伝説のままに、二つ胴だとか三つ胴だとかの評価が公表されることなく、 例えば「童子切安綱」ならば酒呑童子を切った、というふうに伝説だけが伝わり、 大包平ならば、その姿の剛刀ぶりと、名高さが伝わるのみです。 実際に切り合いに使われた名刀、またナカゴに金象嵌で三つ胴とか四つ胴とかきざまれている、あるいはまた信長のへしきり長部のように切った実際が伝わっていないと、わかりはしないのです。

noname#210532
質問者

お礼

回答ありがとうございます。現存してる日本刀も実際はそんなに使われてなくて切れ味なんてわからないようなのものが殆どかもしれませんね。どんな武器も持つ人の腕で変わるのは今も昔も変わらないですね。名人は筆を選ばずと言いますから。参考になりました。またお願いします。

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