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トマスの自然法の観念

いま政治思想について学んでいるのですが ロックホッブズルソーらへんは抑えることができました。 私が質問したいのはトマスにおけるその考え方はどういうものだったのかということです。 アリストテレス的だったとまでは分かるのですがもうすこし詳しく教えていただけないでしょうか。

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  • Nakay702
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回答No.1

>トマスにおけるその考え方はどういうものだったのか ⇒以下のとおりお答えします。(だいぶ昔に学んだことを思い出すよい機会になりました。) トマスは、中世の自然法思想(自然や人間の本性に基づく法則・規範で、永久的・普遍的であり、歴史的制度に対して原理的・理想的意義を持つ)を完成し、ローマ・カトリックの正統として一大学派の始祖となった人ですね。 彼は、神の世界支配の下部として道徳の基礎や制度の基準を自然法に求めました。これを逆に見れば、道徳的人間としての営為の根源部分に自然法を置いて、神による世界支配の構図を理論付けた、と言えるでしょう。その経緯をごく大雑把に見ると、次のようにまとめられます。 (1)神学の真理は「恩寵の光」に、哲学のそれは「自然(理性)の光」にそれぞれ立脚するがゆえに、その2つの領域は厳密に区別されるべきであり、なおかつ両者は対立することなく相補い合う関係でなければならない、とした。 (2)それまで「哲学は神学の侍女(はしため)」として、主人たる神学に対して哲学は一段貶められていたが、この両者を(明確に区分するとともに)、神学だけでなく哲学においても、真理探究の自由を認めた。 (3)トマス以前の合理主義(知性によって啓示を計ろうとする)と反合理主義(人間の知性など無きに等しいと見る)との対立抗争を、いわば「止揚」し、統合した。なお、「神の存在証明」に関しては、アンセルムスの「本体論的証明」を否定して、ア・ポステリオルな「宇宙論的証明」の方法をとった。 (4)ただし、もちろん、それら2つを完全に対等に扱うということではない。哲学・知性・自然の系列は、それぞれ、神学・啓示・恩寵の先駆であり、前者は後者へいたるための過程に過ぎない、とする。 (5)ともかく、こうして「トマス説」が一大派閥となり、ローマ・カトリックの正統としての座を占めるに至った。ところがこのこと自体によって、つまり、主流の座にあるものの常としてそれは保守的傾向を帯びることとなって、いわゆる守勢に転じることとなる。 (6)その後、アヴェロエスの「二重真理説」(神学的に偽である命題も哲学的に真である場合がある)の流れを汲むドゥンス・スコトゥスの所説が優勢になっていく。それは、自然理性の立場と信仰のそれとを対等の関係に置くもので、哲学的真理を神学的真理から分離独立させる考え方である。 ここで大事なことは、「二重真理説」の台頭により、トマスの属するドミニクス会派が独占していたローマ・カトリックの主流の地位にドゥンス・スコトゥスの属するフランチェスコ会派が名乗りをあげた、ということを示すのみならず、その潮流が1つのうねりを生んで、ルネサンスの流れへとつながっていったことでしょう。 以上、ご回答まで。

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