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「ね」の識別

上田秋成の紀行の「去年の枝折」の中の文について質問です。 実や、かの翁といふ者、湖上の茅檐、深川の蕉窓、所さだめず住みなして、西行宗祇の昔をとなへ、檜の木笠竹の杖に世をうかれあるきし人也とや、いとも心得ね。 という文の一番最後の「ね」の識別がどのようにすればいいかわかりません。学校が休みで、早めに答えがわかると嬉しいと思い質問させてもらいました。どなたかわかる方いらっしゃいましたらお願いします。

みんなの回答

  • fumkum
  • ベストアンサー率66% (504/763)
回答No.4

古語の識別、特に助動詞の識別については、いく種類かの方法がありますが、一般的な方法は文法的な方法、次が意味・口語訳による方法、さらにその他の方法ということになります。 では、文法的に考えると次のようになります。 「ね」の識別に関して、候補は次の三語があります。 1、ナ変命令形活用語尾。ただし、これは、「死ね(ぬ)」・「往ね(「去ね」とも書き、読みは「うね」、終止形語尾は「ぬ」)」の二語ですから、この場合は候補から外れます(「ね」の上が「心得」ですから)。 2、打消の助動詞「ず」の未然形の「ね」。未然形に付く。 3、完了の助動詞「ぬ」の命令形の「ね」。連用形に付く。 打消、完了のどちらになるかは、接続(「ね」の上の活用語の活用形)で考えることが、普通です。 そうすると、「心得(終止形は「こころう」)」の活用形が問題になります。「心得」は、「心」という名詞に、「得(「う」)」というア行下二段動詞がついて、一語の動詞になった単語ですが、活用は「得」のア行下二段型です。ですから、次のようになります。 こころえ/こころえ/こころう/こころうる/こころうれ/こころえよ 漢字に直すと、次のようになります。 心得/心得/心得/心得る/心得れ/心得よ つまり、漢字表記の「心得」では、未然形・連用形・終止形が区別がつかないことになります。ということは、未然形に付く打消、連用形に付く完了のどちらとも識別できないことになります。 次に、訳・意味による方法です。それに入る前に、この「去年の枝折」の文は、途中に挿入句(他の人の意見)があります。それを、『 』で示すと、次のようになります。 実や、『かの翁といふ者、湖上の茅檐、深川の蕉窓、所さだめず住みなして、西行宗祇の昔をとなへ、檜の木笠竹の杖に世をうかれあるきし人也』とや、いとも心得ね。 ここで、「実や」の読み方がヒントとなります。これは、「まことや」と読みます。読み方が分かると意味もだいたいわかることだと思いますが、「本当だろうか」となります。『 』の意見に疑問を持っていることが分かると思います(「や」は、疑問・反語を表す係助詞です)。 次は、「とや」です。 1、文中にある場合で、「といふや」の略で、疑問の意味を表し、「~というのか」の意味になります。*文中はセンテンスの途中のことです。 2、文末にある場合で、「とやいふ」の略で、伝聞・不確かな話を確かめる意味を表し、「~というのか」の意味になります。 例文の「とや」は、文中にあるので、1の意味になり、他人の意見である『 』の話し(挿入句)に疑問を持っている気持ちを表します。 つまり、この短い文の中で、「実や」「とや」と、「かの翁といふ者」以下の意見について疑問を持っている表現が二つもあることになります。となると、「いとも心得ね。」の部分も、疑問に近い表現になることが考えられます。ともかく、単語の意味は次のようになります。 「いとも」=副詞の「いと」と、係助詞「も」が結びついて一語の副詞になった単語。1、まったく。ほんとうに。非常に。2、(下に打消しの表現を伴って)まったく。たいして。あまり。 「心得」=1、理解する。2、精通する。3、承知する。 そうすると、完了に訳すると、「ほうんとうに理解した。」、打消に訳すと、「あまり理解しない。」となります。このように、訳・意味で考えると、「ね」は打消の意味の方が適切であることになります。 *原文を見ていないのではっきりしませんが、「かの翁といふ者」は「松尾芭蕉」のことだと思うのですが、その人物を、「西行宗祇の昔をとなへ(主張し)」「世をうかれあるきし人也(あてもなくさまよう・ふらふらと出歩く人である)」と評価している考えに対して、疑問を持ち、理解できないとしているのだと思います。 なお、「ね」が已然形でありながら文末表現になっているのは、「ね」の後の文が無いのではっきりしませんが、一般的には「ね」の後に省略が存在するからだと思われます。已然形に続く言葉は、一般に接続助詞の「ば」「ど」「ども」で、確定条件を作ります。ただし、「ば」は順接の確定条件で、「~だから。~ので」となり、「ど」「ども」は逆接の確定条件を作り、「~だけれど」の意味になります。ここでは、打消しの「ね」の後なので、逆接ではなく順接の確定条件を作る「ば」が省略されていると思いますが、その後の省略については、後の文が無いので分かりません。(この文全体が倒置表現になっていて、元が「いとも心得ねば実や」である可能性もありますが) なお、難しい内容になりますが、「いとも」については一語でなく、副詞の「いと」と係助詞の「も」との独立の二単語であるとの考えもあります。「いとも」が一語でも、二語でも、「も」の部分が係助詞もしくは係助詞の性格を残していて、二つの働きをしています。その一つは、強意の意味を持っていることです。もう一つは、文末は終止形で結ぶということです。係り結びについては、「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」が有名ですが、同じ係助詞の「は」「も」も結びを指定するとされています(だから係-かかり-助詞なのだと。文末にかかる・呼応する)。その結びは終止形なので、一般の文末と同じなので実質的な意味はないのですが、このような省略部分を考える時には省略された文末が終止形になるということです。付け加えれば「とや」の「や」の結びは流れたことになります。「ぞ」「なむ」「や」「か」の結びは連体形で、「こそ」の文末は已然形で結ぶの原則は結びの省略、流れ以外の例外はありません。中学の古典文法の例外としているのは、連体形の語尾は普通はウ段、已然形はエ段であるが、それ以外の例外の段があると言っているのです。連体形の語尾はウ段、已然形はエ段については動詞・形容動詞では適合するのですが、形容詞正活用では適合しませんし、助動詞でも例外が多いので、高校受験のテクニックではありますが、覚えない方が良いと思います。 以上、参考まで。説明が難しい箇所もあると思います。分からない部分があれば、補足等で追加してください。分かる範囲で答えたいと思います。

kla_luneks74
質問者

お礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません。 とても丁寧に教えてくださりありがとうございます。 知らなかったこともありとても勉強になりました。 本当にありがとうございました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.3

 #1です。捕足です。  おそらく、「係り結び」らしきものはあるが、古典通りには使えていない、という古典から少し離れているが古典の様相を持たせたいからではないでしょうか。  https://kotobank.jp/word/%E6%93%AC%E5%8F%A4%E6%96%87-50290  小林秀雄が、「本居宣長とは育ちも気質もまるで違う人間であり、秋成は一種の文人で、学者ではない」、と言ってるのはこう言う一面かも知れません。  この当たりは間違いとみるか、過渡期の文体として当然として認めるべきか、先生によって説明が異なるところでしょうから、よく聞いておいてください。

kla_luneks74
質問者

お礼

なるほど、勉強になりました。 何度も丁寧に解説してくださり本当にありがとうございました。 また学校が始まった日に先生にも聞いてみようと思います。 ありがとうございました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

 #1です。捕足です。  規則が変わってうまく表示できないかも知れませんが、下記の「係り結びの法則」にある、文中に「や」があるため、結びが已然形になる例ではないかと思います。  http://www.geocities.jp/nm3032nakatsu/koten/kt02.html

kla_luneks74
質問者

お礼

サイトまで紹介してくださり本当にありがとうございます。 目を通させていただいたのですが、係助詞が「や」の場合、語尾は連体形になるとのことなのですが、 本文では已然形になるのはどういった理由なのでしょうか… しつこいようで本当に申し訳ありません。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.1

 打ち消しの助動詞「ず」の已然形ではないでしょうか。

kla_luneks74
質問者

お礼

ありがとうございます。 よろしければなぜ打ち消しの已然形になるのか解説していただけると嬉しいです。勉強不足で申し訳ありません…

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