ANo.6, 9, 11, 14,17です。
こちらこそ何度もすみません。
> しかし自然科学の立場に立てば、「物理法則のみをメカニズムの原理として認める」ということと「物理的に存在しないに等しい表象に意義を認める」ということは、明確にダブルスタンダードだと思います。
「すぎない」とか「……ないに等しい」のような修辞表現は、混乱を招くだけなので、あまり使用してほしくはないのですが……。表象は物理法則から外れたものと考えているわけではないので、いかなる意味でもダブルスタンダードではありません。心理学でいう生物学的制約です。物理法則を裏切るような表象についての理論は、基本的に支持されません。
> 認知科学っていうのは、自然科学と人文科学の融合ですよね。
そうともいえますが、質問者さんのイメージでいえば、完全に自然科学です。意識や表象といったものが自然科学として扱えるという点が大事なところだと思います(後述)。
> つまり認知科学は、表象と物理的変化を等値概念として包括することで、両者の関係性への考察をひとまず棚上げすることで成り立っているのではないでしょうか?
どこかで棚上げしているのは確かでしょうね。
> それゆえ、認知科学において表象と物理的変化は同義(一体)であり、「表象に意義がある」ということが命題化しているのではないでしょうか?
命題化とはどのような意味でしょう。大前提という意味なら、これは論理の飛躍です。どこかで棚上げが起きているからといって、表象に意義があるということをあらかじめ前提しているわけではありません。そこで棚上げが起こっているわけではありません。表象にどのような意義があるのかを経験的な問いとして、研究対象にすることができます。
> また表象に対して「意義がない」とか「付随的」というのはあくまで自然科学の立場を尊重するなら、ということです。
これは、何十年か前の自然科学なら正しかったと思いますが、そこまで強固な物理主義ないし(心理学なら)行動主義は、自然科学しても現在では受けいれられません。というより、そのような考え方の変化が認知科学の発展と関係があるのでしょう。表象を自然科学として扱うための考え方や、厳密な行動の実験統制、認知や脳を経験的に調べる方法が発達してきたということです。
しかし、質問者さんと私の立場は、実際のところ、対立してはいないだろうと思います。ポイントは、次の点。
「表象の意義」という言葉が非常に怪しいのだと思います。これは、表象の実在にかんする論理的な問題と、表象の意義の経験的な問題(実際のところ、どのような意義があって表象というものは進化なり発達なりしているのか)とに、さしあたり分かれるのだろうと思います(私の最初の回答ANo.6の最後で指摘したことです)。
後者は、自然科学的に(この場合は認知科学的と言い換えてもOK)意義を探っていくことのできる問題です。他方、前者は簡単に解決できるものではなく(テューリングテストなどに感じる違和感を考えてみてください)、後者のなかで棚上げされているところで、哲学の研究対象でしょう。
質問者さんの主張するように、表象に「意義がない」といえるのは、前者の問題を考えているときだろうと思います。反対に、自然科学では、私たちが実際に表象をもっている以上、その哲学的な難点はとりあえず棚上げしつつ、その意義を探っていけます(そして、現在はその準備がわりと整っています)。これは前提することとは異なります。どのような意義があるのか、または意義はないのかということを仮説にするということであり、前提とするわけではありません。
「また表象に対して「意義がない」とか「付随的」というのはあくまで自然科学の立場を尊重するなら、ということです」を言い換えるなら、「自然科学が規範とする物理主義をつきつめると、心の哲学的には「表象」という捉え方そのものが意味をなさなくなってくる」とはいえるかもしれません(ただ、こういえるかもしれないということであって、私はここでこれにたいして何の論理的な裏づけもしていません)。しかし、まさしく現在の自然科学の営みのなかで、自然科学の立場において表象に意味がないということであれば、それは現実の自然科学にそぐわないことです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね、「意義」という言葉がかなり怪しいですね。 それでも今回の一連のご説明、だいたい理解したと思います。 棚上げの部分、回答者さん言うところの「表象の実在にかんする論理的な問題」も、認知科学の趣旨からすれば大きな問題ではなく、研究の障害にはならないことも理解できます。 ただ、実在にかんして論理的な問題をもつ表象が、それでも自然科学に受け入れられる背景には、表象が物理的変化との関係性において、強固な経験的裏づけを持つ、ということがあるのは事実だと思います。 逆に言えば、この関係性について、一切ほころびが無いことが認知科学成立の前提ですよね。 >表象は物理法則から外れたものと考えているわけではない >物理法則を裏切るような表象についての理論は、基本的に支持されません。 つまり、認知科学において、物理法則は表象に対して全責任を持つ(表現はむちゃくちゃですが)ということですよね? そうであれば、理論的には、すべての表象は物理的作用に還元して分析できるということになりますよね。 その関係性が、生物の物理的作用側として細胞単位までなのか、分子、原子まで及ぶのか分かりませんが、いずれにしてもそれは心をシステムとして捉えることができるということですよね?(勿論、理論的には、ですが) そうなれば、本当に心も自然科学の対象になりますね。 物理法則にしたって、突き詰めれば最後の部分は棚上げなんでしょうから。