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コンピュータの能力が現在の100万倍になったら
少し考えてみました。 量的変化はある段階に至ると質的変化を生み出すという。 仮にコンピュータの能力が現在の1000倍になったら、あるいは100万倍になったら、あるいは10億倍になったとしたら、今のデジタル社会はどのように変貌するであろうか。 また人類文明に根本的な変化が生まれるであろうか。
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コンピュータと一言で言っても単純に分けてもハードとソフト、 ハードはCPUとメインメモリ、HDDなどの外部記憶装置の能力。 使われ方もスタンドアロンとクライアント&サーバー、更には クラウド&端末の並列化などなど、何が「百万倍」なのかが そもそも前提とされていないようです。 くっきりしたピントが合っていないので、漠然とした回答ですが ほんの30年前、「データベースの検索」というのはデータの容量が 多くなればなるほど凄まじい処理時間がかかってしまい、実用的な 稼働の為にはインデックス(検索用の見出し)のデータベースを 造り、更にデータが巨大化すればインデックスのインデックスを 作り上げて高速化を図ってきました。 今や、世界中に張り巡らせたインターネットのサイバー空間にある 数千億のホームページやデータ集合体から、コンマ何秒で数十もの リンクがたちどころに表示されるようになりました。 容量的にも速度的にも、稼働率やユーザー数、どれをとっても 百万倍と言っても過言ではありませんが、社会的には効率よく頭脳と 肉体と組織を使うことが出来る知的セレブリティにはより広大で肥沃な 知の大地を与えたと言えるでしょう。 次次に生み出される様々な表現や作品は、ネット普及の前後で明らかに 異なる様相を呈しています。 しかし、だからと言って、旧来からある図書館や本屋の膨大な書籍などの ペーパーメディアが廃れたかといえばむしろ、より多くの人に様々な本が 認知され、アマゾンや楽天などの画期的な流通のおかげと相まって、販売も 増加し、作家も増えた。 でも、反面、新聞をはじめとして売り上げが大きく減少している媒体も あるのも事実。 人間は、賢くシステムを操って儲けたり、成功したり出来る者が増えた半面、 ネット漬けになって時間を無為に過ごすようになり、廃人化するものも増加した。 つまり、生産者であれ消費者であれ、創造的に社会に価値を還元出来る者と マスに流され操られ、底辺の生活に身を浸しながらせっせと金を吸い取られて いくひたすら消費しか出来ない者との二極分化を加速させたとも言える。 進化と退行。拡張と萎縮。躁と鬱。セレブリティと凡人の群集。 なるほど、デジタルというだけあって、アナログに並んでいたものを次から次へと 白黒に区分けしていく、という機能があるわけだ。 さて、この先。 当たり前のように、人間の脳とコンピュータ・ネットワークの接続の時代に入る。 信じるとか信じないではなくて、すでにかなりの技術的な実現が、最前線では 行われている。 必ずしも外科手術を伴うわけではないが、ダイレクトに人間の 五感や運動神経への信号をデバイス経由で遠隔地のカメラやアクチュエータに 伝えることは、すでにかなり実用化している。 あと数十年で、脳にデバイスをインプラントすることと、脳にアクセスするための オペレーションシステムの普及と統一規格化などについて世界的議論が始まるだろう。 つまり、脳OSを寡占化させる危険性について、超国家的な・・・商業ベースでも 政治、或は軍事的なプラットフォームとしても侃々諤々の争いが起きる。 よく言う、「電脳化」だ。 まともに書くと長くなるのでこの辺にしておくが、その先にどうなるかというと。 意識を拡張した人間、一種の「超人」と、意識が溶解した「自らロボットに堕ちた者」が 生まれて来る。 だが、たとえ電脳化しても大半の民衆は「民衆のまま」である。 結局、コンピュータによらず、それが世紀の大発明であれ黄金であれ、 それらは民衆から「貴族」「魔法使い」「王」を一割、「狂人」「奴隷」「廃人」を 一割生み出して世の中の様相を変えるが、残りの八割は平々凡々たる普通の人間として それほど変わらずに生きていく。 最後に、量的変化が根本的な質的変化を生み出すだろう事の一つを挙げて KBから指を話す。 ネットに存在する無数のJAVAスクリプトやデータベースそれ自体が AIとして自律思考するという発想は前時代的な視点に過ぎない。 それらの無数のプログラムやデータはそれぞれ製作者や更新者が沢山 後ろに連なっており、何らかの形でどこかの人間の意志や価値観を 表明し、具現化し、伝達する機能を持つ。 それらに群集の脳が制御されないまま参加し、それを操ろうとする 者が飽きもせずに手を加え続けると、いずれは「瞬時に千人単位、 何万人、何百万人単位の意志・価値尺度の収斂」という「現象」を産む。 個々の人間が単独で思考している状態であり、同時にそれらが群れなして 一つの有機体のように時に対話し、時に並列化する。 思考、というのは現在では数を数えられる。 何人、という数え方が出来る、というわけだが、このような特殊な繋がり方で 個でありながら群でもある、という状態になると、一つ、二つという デジットな数え方はできなくなってくる。 水を一個二個と数えられないように、である。 液体のようでも固体のようでもある、特殊な流体のように、である。 同じような考え方をする者は統率されワンユニットになり、思考の 要所要所ではほかの考えのユニットに溶け込んだり分離したして、 全体ではある瞬間の様相しか把握できない状態になる。 数えられない者、あまねく在る者、まさしく神か悪魔だ。 そうして一つの問題に都度、総意が生み出される。 つまり、神のご託宣が下るようになる、というわけだ。 哲学的な意味での「神」ではなく、実存的かつ機能としての「神」が 出現するだろう、という予想論の話をしている。 長いこと、人類は組織というものを構築することで「神」の機能、 民衆が夢想してきた超越的な庇護者、指導者の存在、を肩代わりしてきた。 組織に組み込まれ、組織に従属し、強者に支配されることを堪えて 受け入れることで社会を成り立たせてきた。 コンピュータネットワークに人間の意識を直接繋げられるように なっても直ぐには根本的な変化は起きないだろうが、百年、或は 千年の時間を経て、「組織」という疑似神ではなく、自らがその 途方もない巨大な意識の海の一部として個性も人格も融解して 取り込まれてしまう、神に近い神、民衆の集合意識と呼べるような ものがサイバー空間と現実の世界にまたがって発生してくるだろう。 大半の民衆は変わらない。 だが、人類の上澄みと底に澱む滓の二者が、最新科学のマトリックス上に 神と悪魔を具現化させるだろう。 もしかしたら、その片鱗は後わずか100年足らずで実現するかも 知れない。 途方もない情報量の中から、質的な「超人」が生まれて来るのだ。 実に自然なことだ。
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- Tefu_Tefu
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こんばんは さすがhitonomichi34様 いい質問ですね。 >量的変化はある段階に至ると質的変化を生み出す 資本主義では、1円はあまり役に立たないけれども、10億円では、それはそれは金利0.3%で年間300万円と成るということですね。 10億が減らなければ、お金という意味が違って来ます。お金がお金を生んだ。 同じように、 コンピュータ、10億倍では人工知能が可能になるとして、人間の脳に人口知能のチップを組み込めば、人間は何にも考えなくていいので脳が退化します。 退化とは、進化したということなので、新人類の誕生です。無限に全知全能まで進化すれば神となります。(すごいですね、自分で考えなくても全てが分かるのですから)
- maiko0318
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コンピュータを作っているのはコンピュータではないのです。 コンピュータを1000倍にしたければ人間も1000倍にならなくてはなりません。 それか、人工知能を持たせて自分で能力のより高いコンピュータを作らせるか。 でも、人口知能を作るのは人間です。 コンピュータは所詮、人間が作ったもの。人間を超える発展はできないのです。
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お礼
>コンピュータを作っているのはコンピュータではないのです。 人間はコンピュータを使ってコンピュータを作っています。 コンピュータなしではコンピュータを作ることは出来ません。 >それか、人工知能を持たせて自分で能力のより高いコンピュータを作らせるか。 でも、人口知能を作るのは人間です。 人工知能を作るのは人工頭脳と人間の共同作業ですが、最近は人工頭脳のウェイトが大きくなりつつあります。 >人間を超える発展はできないのです。 チェスも将棋ももはやコンピュータには勝てません。 ここで考えてもらいたいのは、プロ棋士を打ち破る将棋ソフトの開発者自身は将棋が強いわけではないってことです。