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戦時中の陸軍船舶練習部(宇品)について

父の軍歴を調べています。 以下の点についてお答えください。 (1)宇品にあった「陸軍船舶練習部」について   ア 元大和紡績広島人絹工場の跡地(現マツダ宇品工場)にあったことは確認し     ていますが、当時の練習部の具体的な部隊配置を示す資料はあるか。   イ 被爆後、練習部に置かれた「広島第一陸軍病院宇品分院」の具体的な場所     (位置)のわかる資料はあるか。 (2)宇品に戦後設置された「宇品引揚援護局」について   ア これも「練習部」の施設を利用した旨の資料は確認していますが、具体的     にどのあたりにあったのか、その場所を特定できるか。   イ 「陸軍船舶司令部(元凱旋館)」に援護局があったという資料もありますが、     実際はその東側にある建物も利用していたのではないか。   ウ 父が帰還してから検疫のために引揚援護局の宿舎(元紡績工場の寄宿舎)     に入ったとの記述が遺されています。その具体的な場所は特定できるか。  なお当時の米軍撮影の空中写真(電子国土Web)は入手し、建造物のおよその  位置関係はわかりますが、上記施設の具体的位置関係が不明です。  以上、ご教示お願いいたします。

みんなの回答

  • mm058114
  • ベストアンサー率30% (102/337)
回答No.2

答えになってないけど、 全国の軍都に関する本があります。 各師団周辺施設を地図入りで解説しています。 題名は忘れてしまい申し訳ないけど、A6サイズの薄い本でした。 『~と軍都』だったと思います。 kanレポートが全国の旧軍施設を訪問しています。 問い合わせしてみては、いかがでしょうか? 宇品検疫所は、私の持っている資料では、似島に開設されています。 以上、拙い情報でスミマセン。

Sigli
質問者

お礼

回答ありがとうございます 解決に近づくための有益な情報に感謝します。 なお、この質問をしたあと、次のような史料の中に 私の疑問としていた内容についての回答になるよう な史料・地図・詳細図面等を見つけることができま した。もちろん全ての疑問が解決したわけではあり ませんが。 ・『新修広島市史』第2巻 [ 広島市内部隊配置図 P713 ] ・『広島原爆戦災誌』第1巻    [ 広島陸軍船舶練習部(旧大和紡績工場)被爆者収容要図 P248 ] ・『海外引揚関係史料集成(国内編)第6巻 局史(宇品引揚援護局)』    [ 記述(公的記録なれど詩的表現多し)並びに施設関連の複数図面 ] 旧軍施設に関するサイト等も参考にして、今後も調査を続けます。 お礼が遅れ申し訳ありませんでした。 ご助力ありがとうございました。

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