まあ、漫談ですが、いくらかは本当のことです。
偽装退却、は、けっこう難しい戦術でして、指揮官の企図するところがキチンと部下に伝わっていないと、本当の潰走、壊滅的退却になってしまうことがありがちです。企図を伝達する手段のとぼしかったモンゴル帝国の時代には、なおさら難しいことでした。
モンゴル兵の主力は族を単位にした騎兵なので、その辺の指揮官の企図が一族という単位につたわりやすかった、という点があります。もちろん騎兵ですから、機動力もあるので、いわば、
指揮官の企図 (この場合は偽装退却) をよく理解した一族単位の部隊が、騎馬の機動力をいかして退却する、
ということができたのです。
モンゴルに敗北した西欧諸国とオスマン・トルコの軍隊は、一度負けたら皆殺し、状態です。
つまり、モンゴルの戦術を次のだれかに伝えて対策を練ることができません。このため、モンゴル自身のイキオイが衰えるまで、くい止めることができなかったわけです。
この事実が 「モンゴルは恐ろしい」 という風聞となり、モンゴル側も意図的に尾ひれはひれをつけてひろめたので、士気の面でも戦う前から敵がなえてしまう状況を演出していました。
さらに、モンゴル軍は敵地の情報収集を重視しており、とくに騎兵が不得手な地形は回避するという健全な戦術をとっていました。
また、敵より多くの兵力を集中するということも、常道としています。兵力そのものは多くなくても、必要なところに騎兵ですばやく兵を集中すれば優勢となり、そこから敵がくずれます。
ルーシ制服もモンゴル兵そのものは多くありません。
また、中国・イスラムの先進的兵器、とくに城攻めに重宝するカタパルト(石を飛ばす投石機)も運用しており、騎兵集団が苦手な城攻めも得意、という点も、西欧軍には困ったものでした。
なので、西欧の抵抗で有名なリーグニッツの戦いでも、モンゴル軍は西欧軍より若干すくないですが、私がつらつら書いてきた戦術を最大限活用したので、後々この戦いは「ワールシュタットの戦」と言われるようになりました。ワールシュタットという単語は、「死体の山」という意味です。
それほどのことがおきたわけです。
ただ、モンゴルは、武器をよく使いこなす遊牧民、でしかなかった部分もあるので、武器をよく使いこなし騎兵化されたプロの軍隊、エジプトのマムルク朝の軍隊にはコッパミジンに負けています。
海を無理やりわたったらどうなったかは、元寇でおわかりでしょう。