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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ベートヴェーン第九「合唱付き」って傑作なの?)

ベートヴェーン第九「合唱付き」の傑作とは?

このQ&Aのポイント
  • ベートーヴェンの9つの交響曲で最も傑作とされているのは、第九交響曲「合唱付き」です。
  • しかし、一部の人々はこの曲を失敗作と考えており、ベストではないと主張しています。
  • 演奏によっては第九の素晴らしさが理解できる可能性がありますので、おすすめの演奏を教えていただければ嬉しいです。

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回答No.3

こんばんは。 一難去ってまた一難、なんでこの質問なんですか(笑)。 ちょっと問い返します。  1 「傑作」の定義は?  2 1の答えによりますが?  3 一つの作品に、その魅力を伝える唯一無二の演奏はあるでしょうか? いつも話題になることですが、12月に第9が頻繁に演奏されるのは、日本特有の事情です。しかし、だから日本だけで名曲とされている、というのは飛躍し過ぎ。たしか私の記憶では、ウィーンでも12月に演奏されていたような気がします。12月にたくさん演奏されない曲は名曲でない、というわけでもないし。また、日本では12月以外はあまり演奏されませんが、ヨーロッパでは一年を通じて演奏されるわけですから。 「傑作」の定義もさることながら、それが定まらない状態で「最高傑作」は決められません。ただ、私の答えは単純で、第9は傑作であり、ベートーヴェンの交響曲の中の最高傑作だと思います。あまりにも世俗の評価と同じで、がっかりなさるかもしれませんが、この評価はヨーロッパでも大方同じでしょう。 ではなぜそう思うかと申しますと、まず、数百年生き延びて後世に残った作品は一応「傑作」候補です。それから、「傑作」とは、必ずしも欠点のない作品ということではありません。もちろん、この世に「完璧」などというものはないのですが、それとは違う意味で、「様式的に統一されていて、破綻がなく、全体的にまとまりがあり、完成度が高い」という作品だけが傑作ではないということです。多少おかしなところがあっても、一度聞けば記憶に残るもの、感動させられるものがあれば、「傑作」ですね。しかし、「傑作」の定義が、「様式的統一と全体の完成度」か、「心に残り感動する」かで、議論が分かれます。もちろん、このほかにも、「新しい道を切り開くきっかけになった」とか、いろいろ「傑作」とする理由はあります。第9の場合は、「心に残り感動する」、「新しい道を切り開くきっかけになった」、「ベートーヴェンが一生かけて到達した作曲技法の集大成になっている」というのが、傑作とする理由です。ここで、「様式的統一と全体の完成度」を第一に考えるのであれば、私の見解では第7番が最高傑作になります。しかし、第7と第9では、曲の規模も重さもあまりに違いすぎるので、どうしても第9になるでしょうね。 ここまでで、一応質問1と2にお答えしたことになりますが、少し補足します。第9の第4楽章が、前の三つの楽章に対して様式的に異質である、という批判は古くからあります。こういう意見は、学者的な見方であって、馬鹿げています。作曲家ならそういう見方はしません。一方、質的に言うと、私は第2楽章にやや疑問ありです。楽想がやや平凡だからです。平凡なのに、曲の身振りがやや大げさなんですね。同じような印象を持つのが、第5の終楽章です。その点、第7番は整っているし、コンパクトですが充実しています。そういう意味では第3もよいと思います。ベートーヴェンと言えば、一番有名なのは第5でしょうね。これは、第1楽章で、出だしのあの短いモティーフを全曲通して使いつづけ、有機的に展開した、高度で徹底した作曲法ゆえに有名になったと思います。 >ベートーヴェン自身は、この曲を失敗作と考えていたんじゃないか、そんな風に思えてならないんですよ。 この点ですが、これは作曲家にとって一生の問題です。どうするのが最良の解決法か、何年かかってもわからない場合があるのです。そして、まずいと思って書き直せばよりよくなるかといえば、かえってダメになる場合もあります。ですから、作曲を学ぶとき、一つの作品にあまり長くかかりすぎないように、手を入れ過ぎないように、ということは言われます。ベートーヴェンが、第4楽章を器楽のみの作品にしようと考えていたというような話もあるようですが、どうでしょうか。やはり、合唱が入っていたから、その歌詞の内容とともにこれだけ有名になったのでしょう。ベートーヴェン自身、迷いはあったかもしれませんが、第4楽章そのものが失敗作だと考えたとは思いません。この話でちょっと思いだすのが、弦楽四重奏曲第13番です。当初最終楽章に置かれていたのは、今日「大フーガ」という独立した作品として知られる曲です。あとで書きますが、この、対位法的に複雑な曲が、前の楽章に合わないと考えたのか、割と軽いフィナーレを新たに書いて置き換えました。しかし、どちらが良かったのか。ときどき、あえて「大フーガ」を終楽章に用いて演奏することもありますが、何とも言えません。「大フーガ」が最後に来た方が、壮大な感じはします。 作曲技法の集大成という意味で重要なのは、「変奏」と「対位法」の技法です。この二つは、ベートーヴェンの作品において、晩年に向うにつれ、どんどん重要になり、成熟していきます。その成熟が顕著にあらわれるのが第3,4楽章。ですから、 >前半の2楽章は素晴らしいと思うのですが・・・。 これは逆ですね。確かに、後の2楽章は、それまでの交響曲の伝統的な形式から見ると、明らかな逸脱と言えるでしょう。しかし、これがロマン主義の扉を開けることになり、その後の作曲家の方向を大きく変えました。そういう、「新境地」としての評価もあるわけです。 ベートーヴェンの交響曲というのは、クラシック音楽の正当であり、疑う余地がない、と単純に信じている人も多いと思うのですが、そんなに簡単なものではありません。実を言えば、私も、ベートーヴェンの交響曲をどう聞くべきかということは、今日までずっと考え続けてきました。付き合いは長く、すでに高校時代から、オーケストラの中で弾いたり、指揮をしたりして、直接長い期間かかわったものは、1,3,5,7,8の5曲です。にもかかわらず、どこかなじみきれないものを感じていました。第9についても長いこと同様な感覚を持っていて、把握しきれない部分があったことはたしかです。そういう意味では、ねこさんの疑問は理解できないわけではありません。ただ、先ほど申し上げたように、この曲で技法的にも内容的にも充実しているのは、後の2楽章です。もし、ねこさんが後の2楽章に抵抗があるとすれば、たぶんその原因は、「変奏」と「対位法」にあると思います。そもそも、「変奏曲」とか「フーガ」などというものは、クラシック入門者にとっては退屈に聞こえるものです。ねこさんは入門者ではありませんが、やはり、この形式で書かれたものの良さをわかるためには、聞く人の耳にもそれなりの鍛錬がないとダメではないかと思います。そういう意味で、この曲の良さがわかる演奏を探すより、ベートーヴェンの作品を時系列的に聞いてみること、そして、交響曲以外の晩年の作品、ピアノ・ソナタなら第28番から32番、弦楽四重奏曲なら第12番から15番(16番はあまりできがよくないと思うので除外します)、そして、荘厳ミサ曲などに触れることをお勧めします。こういうサイトで、曲の良さがわかる演奏を、と質問すれば、皆が皆、いろいろな演奏を挙げてくるに決まっています。私は、とりあえず最近のものや個性的なものは抜きにして、フルトヴェングラー、カラヤン、バーンスタインなどの代表的な録音を聴いて(もちろん、ベームでも構わないと思います。私はあまり聞いていないので、どういう演奏かわかりません)、それでいいと感じられなければ、原因は演奏にはないと思いますよ。いずれにしても、ベートーヴェンは、偉大であるがゆえにまた、一筋縄ではいかない作曲家なのです。  あとは、コメントの内容次第で、追加回答します。

NemurinekoNya
質問者

お礼

こんにちは。 ☆1 「傑作」の定義は? ◇ここでは、 「様式的に統一されていて、破綻がなく、全体的にまとまりがあり、完成度が高い」 ですね。 楽章の長さなどがアンバランスで、かなり下半身肥大、下ぶくれにできている。 しかも、第4楽章は、聴衆をかなり意識した、受けを狙った作りになっているのではないか。 何となく演出過剰であざとく感じられてしまう。 大音量とパワーで押し切る、聴衆を興奮へと誘うヘビメタ、デスメタルなんじゃないか♪♪ ベートーヴェンが目指していた音楽とは違うんじゃないか・・・。大きな逸脱があるんじゃないか。 このような印象を持ってしまう・・・。 ☆「心に残り感動する」 ◇という点では、この曲の第4楽章は圧倒的だと思います。 ですが、ちょっと(ウィーンの人への)怨念や(ロッシーニに)対する嫉妬のようなものを感じてしまう。 ベートーヴェンは、彼の憧れの人であるモールアルトのようにオペラの分野でも成功したかった。でも、フィデリオは、鳴かず飛ばず・・・。しかも、ロッシーニのオペラが・・・。 もっとも、交響曲の中では抑えていた彼のパトス、ディオニュソス的要素が一気に噴出したのかもしれない。 アポロン的要素である(古典的)形式・様式をぶっ壊す、型破りのことを自然としてしまったのかもしれない。 であるから、この曲は大傑作なのかもしれない。 ☆この点ですが、これは作曲家にとって一生の問題です。どうするのが最良の解決法か、何年かかってもわからない場合があるのです。そして、まずいと思って書き直せばよりよくなるかといえば、かえってダメになる場合もあります。 ◇ブルックナー♪ 手を入れれば入れるほど、完成度は高くなる(?)けれど、作り物めいてきて、つまらないものになってゆく。 ブルックナーの第3番、第4番はノヴァーク版などの決定稿よりも、第一稿の方が断然おもしろい。 「このままでは演奏不可能」といわれ、突き返されたのだから、仕方ないのだけれど♪♪ ☆もし、ねこさんが後の2楽章に抵抗があるとすれば、たぶんその原因は、「変奏」と「対位法」にあると思います。そもそも、「変奏曲」とか「フーガ」などというものは、クラシック入門者にとっては退屈に聞こえるものです。 ◇バッハの『ゴールドベルク変奏曲』や『音楽の捧げ物』などは好きなんで、「変奏」や「対位法」音楽が嫌いというわけではないでしょう。 『マタイ』も好きだし。 でも、フーガ・フーガした曲は退屈しちゃうのは事実ですね。 オーマンディー編曲の『トッカータとフーガ』、『小フーガ』でもないと、すぐに退屈してしまう(ポリポリ)。 ☆交響曲以外の晩年の作品、ピアノ・ソナタなら第28番から32番、弦楽四重奏曲なら第12番から15番(16番はあまりできがよくないと思うので除外します)、そして、荘厳ミサ曲などに触れることをお勧めします。 ◇弦楽四重奏曲は好きなのでよく聞くのですが、ピアノ・ソナタは、どうも、体がつけつけない(ポリポリ)。 ピアノだけの演奏は、どういうわけか、昔から苦手なんですよ。 たぶん、ピアノの音が嫌いなんですね。 ハープシコードやチェンバロは好きなんですが。 ☆いずれにしても、ベートーヴェンは、偉大であるがゆえにまた、一筋縄ではいかない作曲家なのです。 ◇なるほど、なるほど。 plapotaさんが、第8番の解説を求めておりますので、解説のほどをよろしくお願いします。 回答、ありがとうございました。

その他の回答 (16)

回答No.7

こんにちは。 お礼有難うございます。 ねこさんの曲や演奏の好みを伺ってきて、だんだんわかってきました。日本人によくみられるケースなのですが、派手なもの、型破りで個性的なものに対する警戒感をお持ちかもしれません。作為を好まないのでしょうか。また、理系の方でいらっしゃることもひょっとすると関係があるかもしれません。整然とした美に惹かれるのではないでしょうか。 >ここでは、 >「様式的に統一されていて、破綻がなく、全体的にまとまりがあり、完成度が高い」 >ですね。 つまり、狭義での「古典主義的」ということですね。しかし、古典主義は数ある美学の一つに過ぎませんので、これを判断基準に据えると、多くの曲が傑作リストから外されることになります。日本人にとって、自己主張の強いロマン主義的なものは、時としてやりきれないのかもしれませんが、これでは多様な芸術作品を捉えられません。 >しかも、第4楽章は、聴衆をかなり意識した、受けを狙った作りになっているのではないか。 何となく演出過剰であざとく感じられてしまう。 これについては、哲学カテでよくお名前を拝見するamaguappaさんがよいことをおっしゃっています。「内容が形式を呑み込んでいる」、言い換えれば、形式が先にあって内容をはめ込むのではなく、内容にふさわしい形式を開発するということです。ベートーヴェンの作品は、大体1815年頃を境に後期に入り、形式は中期までの作品と比べると、圧倒的に自由、かつ大胆になっていきます。先の回答で挙げた、後期のピアノ・ソナタにしろ、弦楽四重奏曲にしろ、皆そうです。その追求心には凄まじいものがあります。作家にはいろいろなタイプがいますが、道を究めた結果、枯淡の境地に達する人もいれば、より自由、大胆にふるまえるようになる人もいます。ベートーヴェンは明らかに後者です。第一、ベートーヴェンが、聴衆を意識したり受けを狙ったりするような性格だと思いますか。 なお、形式の問題は非常に難しいです。作品が批判されるとき、多くの場合、形式的な不備を突かれることが多いです。第9以外の曲でも、それが問題になることは多いです。例えば、ロシアの作曲家は構成が弱い、といつも言われます。私などは、それがどうした、と言いたいところなんですが。リストのピアノ・ソナタのことも思い浮かべます。この曲は、通常の3つの楽章を、一つの楽章の中に融合しようと試みたもので、敵対者たちから失敗作だと激しく非難されましたが、結局、リストの作品の中では、音楽性においてずば抜けており、今日でも、ピアニストの主要レパートリーです。弾いていても非常に充実感のある曲です。偉大なる失敗作=傑作の例。 >ベートーヴェンは、彼の憧れの人であるモーツァルトのようにオペラの分野でも成功したかった。でも、フィデリオは、鳴かず飛ばず・・・。しかも、ロッシーニのオペラが・・・。 今では、「フィデリオ」一曲でロッシーニに対抗できるのですから、いいではありませんか。それに、ベートーヴェンが尊敬していたのはケルビーニで、自分の作曲について助言を求めているほどですからね。声の技巧を前面に出したロッシーニとは資質が全く違います。全然気にしなかったとは言い切れないにしても、目指すところが最初から違いますから。 >わたしには、どうしても、この曲が第8番よりすぐれているとは思えない。 >わたしは、 >Tastenkastenさんが「第8番こそ最高傑作です」と断言することをひそかに期待しております(ポリポリ)。 言わずもがな、と書こうと思いましたが、そこまでは言えませんかね。plapotaさんの疑問にもお答えしなければならないでしょうか。実は私は、若いころこの曲を暗譜で指揮したことがあるので、隅から隅まで知っております。ですから、個人的な愛着もあるといえばあります。しかし当時、なぜ、よりによってこんな地味な曲が当たったのかと不満でした。その後も、あまり自分から聞くことはありませんでした。もちろん、作曲の時期から言っても、技術的には熟練の境地ですけれど、過渡期の作品であり、息抜きのような作品でもあります。第1番がハイドン的であるとすれば、第8はモーツァルト的と言えなくもありません。この曲は、初演の時、7番との比較であまり評判がよくなかったのですが、弟子のツェルニーの伝えるところでは、不評の原因についてベートーヴェン自身は、「7番よりずっといいからだ」と答えたとか。確かにこの曲は、古典的なまとまりは完成していてすきがなく、凝縮されています。完成度が高いことはたしかです。ただ、ここでまた問題になるのは、「様式的に統一されていて、破綻がなく、全体的にまとまりがあり、完成度が高い」曲が、必ずしも大衆受けするわけではないということです。どうしても、エロイカや第7の方が、聞いた後の充実感は大きいですから、仕方ないでしょう。第9の人気の理由も、一つはそういうことにあると思います。しかし、「最高傑作」とする理由は、やはり、8番までの交響曲と第9の間に、大きな作曲様式上の進化があるということです。後期の作品は、とにかく緻密な音符の書き込み方が尋常ではありません。以前ちょっと調べたことがあるのですが、この後期の始まりは、ベートーヴェンが聴覚をほぼ完全に失い、あきらめざるを得なくなった時期とほぼ重なるようです。ここから、「求道者」のごとき集中と革新が始まります。とことん、自己の内面を追求した結果でしょう。そのように聞いていただけたらいいと思います。 演奏についてなのですが、まず、アゴーギクについてのウィキペディアの説明は素人によるもので、これでは何のことかわからないので、参照しないでください。アゴーギクは、定義がはっきりしない部分もありますが、われわれは通常、曲のテンポそのものを変えるのはテンポ・ルバート、テンポを変えずに、一音符ごとの長さを微妙に変えていくことをアゴーギクと考えています。ウィキの説明は、ほぼすべて、アゴーギクの本質とは大きく外れた説明です。アゴーギクは、作曲者がテンポの変化について一切指示を書いていない場所で、音楽文法にのっとって行います。ハンガリー舞曲は、ブラームス自身のテンポ表示があり、テンポ・ルバートの方になります。 今日、フルトヴェングラー、カラヤン、ベーム、バーンスタインなどを少し聞き比べました。長いので、ポイントになる箇所だけです。フルトヴェングラーですが、テンポの変化は少しありますが、当時の演奏様式からすれば、むしろ控えめかと思います。バイロイトの演奏は、1951年と1954年のものがYoutubeにあったので聞いてみました。できは、1951年の方がよいようです。いずれにしても、理想的な解釈の一つとして残っていくものだとは思いますが、今の時代から見れば、ロマンティックな解釈といえます。演奏様式には、時代の流れもあります。最近のはやりは、ピリオド奏法というもので、なるべく聞くようにはしているのですが、いまだに違和感があります。ベームは、申し訳ないのですが、私には少し優等生的、教科書的に響きました。それで、カラヤンかバーンスタインかと考えてみたのですが、私はどうしてもバーンスタインになります。異論はあると思うのですが、理由は、まずテンポの設定にあります。例えば、第4楽章の例のテーマは、素朴かつ民謡的で、注意しないと俗っぽく聞こえます。特に早いテンポだと、軽薄に聞こえ、コラール的でなくなります。カラヤンは早すぎます。特に、最初にチェロとコントラバスがこのテーマを提示するところでは、テーマに対する副次的な旋律が絡み合って立体的になっているのですが、このテンポではその構造が明白になりませんし、対旋律の魅力も伝わりません。もう一か所、テンポで気になるところは、第3楽章です。ここでは、ベートーヴェン自身が、テンポをしょっちゅう変えているのですが、各部分の性格の違いの対照をはっきりさせることと、全体のまとまりを両立させられるテンポの設定が難しいと思います。その点、バーンスタインのテンポの変え方は、新しい部分の始まりが新鮮で、性格付け、表現も明快、前後のテンポの関係もうまくいっていると思います。そして、やはり全曲にわたって、楽譜の読みが緻密です。指揮法とも関係するのですが、バーンスタインの場合、一音一音に意味があることがわかるような振り方をしており、細かいところまでくっきり描かれます。もちろんこれも、解釈の一つの在り方ということで、好きではないという人がいても当然ですけれど。ですから、この曲が少しでも退屈に感じられるのなら、バーンスタインの録音を一度通して聴いてみてください。歌手も、ギネス・ジョーンズやルネ・コロなど、ぜいたくなキャスティングです。 https://www.youtube.com/watch?v=yoH_h6yxgiI では、また様子を拝見します。

NemurinekoNya
質問者

お礼

こんばんは。 ☆最近のはやりは、ピリオド奏法というもので、なるべく聞くようにはしているのですが、いまだに違和感があります。 ◇「聞いて面白いな。いつもと違うな、何か新鮮だな♪」とは思いますが、 CDを買って、繰り返し聞きたいとはまったく思いません。 「古楽器、オリジナル楽器による演奏は、BGMにピッタリだな」と思ってしまう不心得者です。 回答、ありがとうございました。 p.s. 一昨日あたりから、 フランツ・シュミットの交響曲なんて、また、変なものを聴き始めています。 学生のころ、『ノートルダム』の間奏曲を聞いて、あの音色に強い衝撃を受けた。 youtubeで偶然交響曲を見つけたので、聴き始めました♪

回答No.6

音楽好きのシニア男性です。 若いころアマオケで第九もやりました。 シニアになり声楽をやり、市民オペラの合唱団でオペラにも 出ました(ヴェルディ、プッチーニ、ビゼー他)。 第九合唱に誘われることはあるのですが、出たことが あるので参加することはありません。 参加するとしたらワグナーかベルディ「レクイエム」です。 (ワグナーの楽劇は市民オペラではやるところがない、または  極小のようです。レクイエムはオペラではありません。) 皆さん常連でしょうか。 面白そうなのでお邪魔します(すぐ出て行きますが)。 ベートーヴェンの交響曲、1,3~9、全て素晴らしいです。 傑作です。 最後の、最期の、また楽曲付きということで、9を最高傑作と してもよいと思います(なお2番は違うと言っている訳では ありません。) ベートーヴェンはオペラを1曲しか書きませんでした。 エロイカの頃の「フィデリオ」です。 シンフォニー(器楽)、オペラ(声楽)とも成功した人は ごく一部ですね。 12月年末。ウイーンではシュトラウスの「こおもり」が 演奏されます。 明けるとニューイヤーコンサートです。毎年NHKで放映 されていますね。 こちらも楽しい、面白いですね。 エッ、お呼びでない? それでは失礼いたします。

NemurinekoNya
質問者

お礼

はじめまして。 私の質問は、基本的におしゃべりの場ですから、好きなことをおしゃべりしてください。 ということで、  藤澤ノリマサ  希望の歌  「交響曲第9番」 https://www.youtube.com/watch?v=EDB8OVRDdyY この曲を聞くと、なぜかウルッとしてしまいます。 理屈を抜きに、この曲(第九の第四楽章)はスゴいのかもしれない、と思ってしまいます(ポリポリ)。 私にとっては、これが最高の第九演奏なのかもしれないです♪ 回答、ありがとうございましt。

noname#214841
noname#214841
回答No.5

「お礼」ありがたうございました。ほぼ予想どほりでした。 >>Tastenkastenさんが「第8番こそ最高傑作です」と断言することを >>ひそかに期待しております(ポリポリ)。 第7番や第9番はどうでもいい。第8番について知りたいと、つねづね思つてゐます。知人(複数)と話をすると「おまへのベートーヴェンの好みは第8番だろ。」と勝手に決めつけられてしまひます。私としては、いちばん聴く気にならないのが第8番です。 素人にわかるやうに教へてください。ペコリ。

NemurinekoNya
質問者

お礼

☆第8番について知りたいと、つねづね思つてゐます。 ◇たぶん、第8番は凄い曲なんだと思います。 おそらく、 TastenKastenさんがこの名曲の素晴らしさを解説なさってくださるのであろう、解き明かしてくださるのだろう、 と期待しております。 回答、ありがとうございました。

  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.4

3の方の回答の的確さに舌を巻きました。プロフェッショナルなのかな。そのあとで書き込むのは気の引けるところもありますが、まあいいや。 > ベートーヴェン自身は、この曲を失敗作と考えていたんじゃないか、そんな風に思えてならないんですよ。 なぜそう思われるのですか? 3、4楽章はとてつもなく構成的で複雑かつ緻密、まるで音楽そのものが自身に厳しい疑いを持ってみずからを生み出すようです。その筋道は、やはり、1つのその筋道にしかまとまり進み得ない、という伸び進みようです。 形式と内容、といういくぶん古い言葉でいえば、内容が形式を呑み込んでいると思います。逆ではないのです。形式を壊し、作りながら、時間的構成を押し拡げていくとともに、それが目指すべき前提的であったかのような霊感的な落としどころを、ぐらぐらと踏み越えて、内容としてのマッスを彫塑して充実しています。五里霧中に気配ありし麗しき堅牢な城といったところが持ち味だと思いますよ。 わたしは幼いころ音楽と楽器しか友だちがいなかったので(笑)、スコアを見ながら頭の中で音楽を楽しめる人間ですが、他人がどんな表現を付けるのかも興味がありますしそんなふうに演奏を聴いてしまうのです。そして、はじめて聴く曲でも、超能力的に全体と細部を照らし合うような分析的な聴き方になるのです。ありていにいえば集中力をもって聴いているのだと思います。 > この演奏を聴けば、第九の素晴らしさが理解できる、という演奏がありましたら、 そういえば昔々、サンソン・フランソワを聴いて感銘を受けてドビュッシーを弾き始めたとき「曲にがっかりした」。音符っていうか和声が違ってて。それは今でも残っていて、実直で緻密な演奏を聴くとなんか物足りないなと。最初にあの演奏を聴かなければ、曲の素晴らしさが理解できたのになあ。。。  

NemurinekoNya
質問者

お礼

☆3の方の回答の的確さに舌を巻きました。プロフェッショナルなのかな。 ◇クラシックの作曲家の先生でございます。 ☆そのあとで書き込むのは気の引けるところもありますが、まあいいや。 ◇私のようなズブの素人にも非常に優しいですよ。 ☆形式と内容、といういくぶん古い言葉でいえば、内容が形式を呑み込んでいると思います。逆ではないのです。 ◇なるほど、なるほど。 ☆わたしは幼いころ音楽と楽器しか友だちがいなかったので(笑)、スコアを見ながら頭の中で音楽を楽しめる人間ですが、他人がどんな表現を付けるのかも興味がありますしそんなふうに演奏を聴いてしまうのです。 ◇楽器を満足に弾くことができない私からしますと、羨ましい限りです。 私が子供のころ、我が家にはハーモニカくらいしか楽器がなかったからな~。  ───私の父親は、なぜかハーモニカを吹くのであった─── 楽譜は少し読めるのですが、スコアを見ても音はまったく聞こえてこないので、羨ましい限りです。 こうした能力の欠如は決定的だな~♪ 回答、ありがとうございました。

noname#214841
noname#214841
回答No.2

たすてん先生の回答がつく前に、素人が投稿しておきます。 私の個人的好みを抜きにして、第三者として最高傑作を選ぶなら、やはり第9番でいいと思ひます。 第4楽章の合唱規模は日本が最高だときいたことがありますが、いくらか小振りになつたとしても、あの圧倒的な音の津波には、心を動かされます。それ以上に感動的なのは第1楽章です。これぞベートーヴェンといひたくなります。第5番を超越した運命のやうに感じられます。 >>第九の素晴らしさが理解できる、という演奏 はわかりません。第9番のCDはすべて姪(めい)に譲りました。姪は大学のグリークラブ在籍中に、CDがほしいと言つてきたので、全部渡しました。ですから1枚もありません。第9番は何年も聴いてゐません。 NemurinekoNyaさんは、フルトヴェングラーのバイロイトは駄目だと私の質問ページで書いてゐましたね。サイモン・ラトルとか佐渡裕などはどうなのでせうか。NemurinekoNyaさんの好みではなささうです。 フルトヴェングラーのことがでてきましたので、自分のいちばん好きなベートーヴェン交響曲を取り上げます。 1943年の第7番、ベルリンフィルの演奏です。 地の底から湧きおこり、ずつしりとのしかかる怪物、そんなイメージの音です。特に第2楽章。録音が悪いせいなのかもしれませんが、不気味な印象がいかにもベートーヴェンらしさを感じます。 第7番は『のだめカンタービレ』で取り上げられて、一気に有名になりました。第7番のファンの中には、かういふ現象を嫌ふ人もゐますが、私は素直に喜んでゐます。内田光子のグラミー賞も同様です。

NemurinekoNya
質問者

お礼

こんばんは。 ☆NemurinekoNyaさんは、フルトヴェングラーのバイロイトは駄目だと私の質問ページで書いてゐましたね。 ◇アゴーギクが著しい演奏は、どうも体が受け付けない(ポリポリ)。 アゴーギク http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%82%AF ☆サイモン・ラトルとか佐渡裕などはどうなのでせうか。NemurinekoNyaさんの好みではなささうです。 ◇ピンポン!! これはという演奏に触れたことがありません。 であるから、演奏者がダメなのではなく、曲に何か欠陥があるのではないかと、 天にツバを吐くような真似をしています。 わたしには、どうしても、この曲が第8番よりすぐれているとは思えない。 わたしは、 Tastenkastenさんが「第8番こそ最高傑作です」と断言することをひそかに期待しております(ポリポリ)。 ☆フルトヴェングラーのことがでてきましたので、自分のいちばん好きなベートーヴェン交響曲を取り上げます。 1943年の第7番、ベルリンフィルの演奏です。 ◇フルトヴェングラーは、どうやら、第7番が一番お気に入りだったみたいですよ。 私は、エロイカでしょうかね。 回答、ありがとうございました。

回答No.1

これを読めれると良いと思います。 http://webronza.asahi.com/global/articles/2913121600002.html 簡単に言えば日本だけで名曲だと言っているだけです。 「そんな第9交響曲を年末に演奏するようになったきっかけだが、どうやら「第9をやるとお客が入ってオーケストラの経営が安定するから」らしい。第9には合唱が付く。すると合唱団メンバーの知人友人がみなチケットを買って聴きに来てくれる。結果、客席が一杯になって収益が上がるというわけだ。」だから素晴らしいのでしょう。 http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20131206/1053947/?ST=life&P=2

NemurinekoNya
質問者

お礼

こんばんは。 ヨーロッパでは、お祭りの祝典曲として演奏されることはあるけれど、日本のように頻繁に演奏されることはない。  ───合唱団やソリストを集めるのが大変だから・・・─── 第九好きは日本のみの現象と噂されている。 ☆結果、客席が一杯になって収益が上がるというわけだ。 だから素晴らしいのでしょう。 ◇この話は聞いたことがあります。 第九は客入りがいい。日本のオケは、何かと懐事情がさびしいので、とりあえず第九をやって、資金集めをする(笑い)。 回答、ありがとうございました。

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