新書という形態の書籍はどのような目的で出版されているか御存知でしょうか
下記のサイトをご参照ください
「文庫本や新書本の刊行の言葉集 平成16年2月27日」というタイトルのページが開くかと思います
講談社現代新書」の刊行にあたって 1964年 野間省一 - nifty
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どこの出版社も教養云々とは書いても学術資料を目的として出版したとは書いていません。
大学の先生もおそらくこの点に基づいて言われておられるのでしょう。
課題レポートや卒論などを書く際に、新書だけを頼りに書いたものは認めないというご方針なのでしょう。
学術論文まで読めとは言わないが、キチンと専門書を読んでくれということを伝えたいのではありませんかね
新書は出版目的からして一般人向けですので、いちいち論拠となる出典が掲載されないケースがあります。
また学会のそれぞれの専門部会で認められていない主張が書かれていることもあります。
このような根拠が曖昧な書籍に頼って書いたレポートを提出してくれるなというお気持ちでしょう。
過去にそのようなレポートが多々あったのでしょう。
まぁ~相当にやかましい先生のようです。気を付けて下さい。
大学の先生というのは、高等学校までの先生とは違います。
指導要綱だのなんだのというものはありません。
ご自分の主義主張を話されます。
それをどのように受け取るかは生徒側の問題です。
反論するのは相当に厄介です。
大学の先生に向かって「・・・あるはず・・・」などということは受け付けてもらえません。
「これこれこのようなものもあるではないか」ときちんとこちらの主張を裏付ける論拠が必要です。
大学の先生の主張に対して「偏見だ」と断定するのは非常に難しいです。
天動説の時代に地動説を唱えれば一般社会では偏見となりますが、学問の世界では新説、異説とされるだけです。
学問の世界では一般の社会常識とかけ離れていても偏見とはされません。
むしろ社会常識なるものに引き摺られて自分の学説をコロコロ変えるようでは、大学人としては失格とされてしまいます。
つまり、だれも「どうか」とは思いません。
大学と言いますか学者さんの世界は一般人とは違うということをご理解ください。
蛇足
新書も民俗学や社会学、文化史などの学問分野では、本そのものが学術資料として扱われることがあります。
お書きの文章だけであれば、学問に使うこともできるではないか、という反論は成り立ちます。
言葉遣いは難しいですね。
お礼
学者は世間知らずでプライドが高いですからね。おおむね理解できる回答ありがとうございます。