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出征見送りの人は「露営の歌」を歌ったのですか?
昭和19年。出征の方を駅まで、町の人たちがお見送りした場面を、映画「少年H」で見ました。 「露営の歌」で、ぞろぞろ歩いていました。 この歌は、戦場で、国のために、死んでいくつもりだという内容だったと思います。 見送りの人は歌ったら変な気がしてならないのです。 実際に、出征見送りについてご記憶の方、どうだったのかお教え願います。
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「少年H」は妹尾氏の少年時代の記憶に基づいて書かれたとされています。 しかし、時代考証的には当時は国民の知りえなかった事実や、生活の 描写も当時にそぐわず、後でつじつまを合わせたといわれています。 それをテーマにした本が有り、大きな話題に成ったくらいです。 http://www.hico.jp/sakuhinn/7ma/matigai.htm 年配の方々からの貴重なご意見も有るでしょうが、「露営の歌」の 件もその一つと考えられます。 「露営の歌」は昭和12年に作曲されました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B2%E5%96%B6%E3%81%AE%E6%AD%8C 初めの内は出征兵士を送る歌としても使われていましたが、内容がそぐわない と云う事で昭和14年作曲の「出征兵士を送る歌」に置き換えられました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E5%BE%81%E5%85%B5%E5%A3%AB%E3%82%92%E9%80%81%E3%82%8B%E6%AD%8C したがって、昭和19年の出征に「露営の歌」が使われる事は有りませんでした。 ただ、物悲しい「露営の歌」が庶民や兵士の感情に合っていた為、公式の「出征兵士を 送る歌」の空疎さから、妹尾氏の記憶には「露営の歌」が残ったのでしょう。 映画化の際に「少年H」の時代考証を検討して大幅に修正されましたが、この歌の件は 修正から漏れたのかも知れません。 次のWeb記事にこの点が書かれています。 http://plaza.rakuten.co.jp/kamakoto/ <「露営の歌」(勝ってくるぞと 勇ましく~)は、メロディーは寂しく、二番以下の 歌詞は悲愴感ただよい、禁歌に指定はされませんでしたが、のちに軍部に否定されて、 「出征兵士を送る歌」が推奨されました。映画で、第二次大戦に出征する兵隊を送る シーンで、町内会の人々が、判で押したように「大日本国防婦人会」のたすきをかけて、 日の丸の小旗を振って、「露営の歌」を歌いながら行進していますが、 実際に「露営の歌」が歌われた期間は短いようです。> 「少年H」は興味を持って読みました。クリスチャンの方々から当時の様子等を 聞いて居り、本にも映画にも多少の違和感を感じましたが、面白い本だと思いました。
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- SPS700
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#1です。今こちらは朝で、起きてみるとご質問に答えて居なかったことに気づきましたので補足です。 >>出征見送りの人は「露営の歌」を歌ったのですか? はい、歌いました。とまではお答えしましたが、実は昭和X年にはYの歌一つを歌った、という前提があるように思います。 僕の居た所では、出征の日に先ず神社に参り、配給になっていましたがこう言うときは祝い酒が出、町内の人は出征兵士の名の入った幟を立てて駅まで歩きます。 列車が出る1時間ぐらい前から駅での歓送会みたいなことがあり、歌は取っ替え引き換え場繋ぎにいくつも歌われます。ですから「露営の歌」だろうが何だろうが沢山歌わされました。
お礼
ありがとうございます。貴重な証言をいただきました。重ねて感謝致します。
- SPS700
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#1です。どうも忘れ物が多くて済みません。 『出征兵士を送る歌』(下記)もよく歌われました。もうこちらは夜中で、寝ますんで追加はいたしません。 https://www.youtube.com/watch?v=S9apBvse0PU
お礼
ありがとうございます。 ご協力感謝します。
- SPS700
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#1です。ご質問に答えるのを忘れていました。 >>出征見送りの人は「露営の歌」を歌ったのですか? はい。『露営の歌』ってどんなのかど忘れしていましたが下記なら「勝って来るぞ」で始まる歌ですね。これも定番でした。 https://www.youtube.com/watch?v=6hceNfhDFWY 見送りの人は歌ったら変な気がしてならないのです。 いえ、戦場に行くと言うことは死ににいくわけですから、別に変ではありません。歌いました。
お礼
ようやくわかってきました。 もしかしたら、昭和16年ごろと19年ごろで、 見送る歌に変化はあったかどうかも知りたくなりました。 ありがとうございます。
- SPS700
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『出征兵士を送る歌』(下記)が多かったですね。 https://www.youtube.com/watch?v=UZ6aHqaQd4s それから「天に代わりて不義を撃つ」ではじまる歌(下記)、とちゅうに「歓呼の声に送られて今ず出で立つ父母の国」という文句がありますので、、、 https://www.youtube.com/watch?v=Wg22RhgsFa0 まあこの二つが定番でしょう。行く先で『若鷲の歌』(下記)なども使われました。 https://www.youtube.com/watch?v=sSp_BrnJ7rY
お礼
ありがとうございます。「露営の歌」「戦友」など、涙をこらえて歌う歌のように思っていました。
お礼
感激です。こんなにご丁寧にお答えいただきありがとうございます。 もう、この頃のことも 「考現学」よりは「極近世考古学」や「庶民学」といった感じなのでしょうか。 激しく言い争っている「慰安所」にしても、当時の方が記憶されているうちでないと、いけませんね。 ありがとうございます。