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アメーバに知性や感情はあるのか
- アメーバやゾウリムシなどの単細胞生物に、知性(とおぼしきもの)や感情(とおぼしきもの)はない。
- 粘菌には知性や感情はないが、アリなどの昆虫や魚、鳥、哺乳動物などでは知性や感情が存在する可能性がある。
- アメーバやゾウリムシには心や魂・霊魂が存在するとは考えられていない。
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某brさんとも何度か話した事があるのですが、多少思弁的に言うと「人間は自分で自分を即時的に自己モニターする存在」だと思っています。この自己モニター無限ループのシステムとしての挙動が、意識じゃないのか?、と(無意識や勘も含めて)。 しかしアメーバやゾウリムシなども、ある種の自己モニターは行ってるはずだ。そうでなければ、外界のからの刺激に対して反応しない。それを言ったら植物も。 という事は、意識,知性,感情とは自己モニターシステムの完成度の高さを指す言葉なのかも知れない。そうだとしてそれを定量化できるかどうかなんて、現在のところ全然わからないが、したみたらそれがキルリアン放射だったりして(←冗談です(^^;))。 ※ネコさんにだったら、キルリアン放射なんて言っても「漫画の読み過ぎ、アニメの見過ぎ」とは言われないだろう(^^;)。 という訳で、自己モニターシステムの存在という意味では、動植物を問わず生物全般に意識はあるという事になるが(←なるのか?)、たぶん人間はコミュニケーション可能な範囲しか相手にしないだろう。 キルリアン放射の物理的閾値によるなシステム定義と、霊長類研究によるコミュニケーション可能範囲が一致したなんて仮定をネタに、一本SFでも書けたら楽しいですが、コミュニケーション可能だった我が家のバカ犬は「知性,感情,心」を持っていたとどうしても思える(異論があるのは知ってます)。 エッ・・・、魂・霊魂?。気の迷いかも知れないが、自分は幽霊を見たと信じています。気の迷いだったかも知れないが、見ちまったものはしょうがない(^^;)。むかし祖母が死んだ時、化けて出てくるのでは?と、夜も眠られない時期がありましたが、今は亡きバカ犬の幽霊はちょっと見てみたい。 ・・・でも出てこないでね。やっぱりちょっと怖いから(^^;)。
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- kurinal
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こんにちは。 「有利」なんじゃないですか。
お礼
何が有利なのでしょうか? 知能などを有している方が生存にとって有利であり、その結果、多くの動物は知能を有する方向に進化した、 ということですか。 回答、ありがとうございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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お早うございます。 No.3です。 ◇ (No.3お礼欄) 「こころ」の定義は難しいようですが、 ☆ と受け留めてもらったごとく 答えを控えたところの ◇◇ (趣旨説明欄) 3 心(とおぼしきもの)・・・はあるか? ☆ についてですが: たとえば イヌの嗅覚が発達しているとかコウモリが高感度のセンサーを持っているとか これらの感覚も大きくは 《こころ》に入ると思われます。 その感覚器官は 言ってみれば《身》ですが そこで知覚した内容はすでに《感じ》として心をかたちづくります。 感じが認識されれば 《獲物がいた! 探しているものが見つかった!》という概念内容になります。イヌやコウモリ(かはぼり=川守?)が言葉を使っているとは思いませんが 行動のための情報を得ているのでしょう。 盲導犬が 危険を察知して停止することは 大きく心にかかわっていると考えるのですが では犬は そこで《考える》か? 何かを考えるか? その人間に停止信号をつたえて あとは 危険をよけ それ去って行くのを見守っているだけか? コウモリは センサーで獲物を見つけたなら あとはそれへと向かうという行動をするのみか? 考えることは無いか? あるのか? ところがここでわたしが――分からないながら――わざわざ《こころ》論に手を染めたのは わたしは 《動物のこころは 身における感覚器官のはたらきの問題に還元される》と思うその内容を あろうことか 人間にも当てはめて見ようと思っている妄想があるからです。その思いが くすぶっているからです。 イヌが飼い主にかわいがられて 嬉しがったりするときにも それは 身における感覚器官のはたらきでありその延長であるという見方です。それを 人間の心にも当てはめようというコンタンが ちょっぴりあるからです。 ぎゃくに言うと 死はかなしい。心がゆさぶられえぐり取られるようにさえ思う。 ところが 《かなしい》というのは 何ごともしかねる(つまり 出来ない)思いだと言っているのであって つまり: いむ(忌む) > いまいまし(忌みたい気持ちだ) をく(招く) > をかし(情がかよって招き寄せたい気になる) ゆく(行く) > ゆかし(行って寄り添いたい気持ちだ) かぬ(漢字なし) > かなし(何も出来かねる思いだ。哀・悲) というように表現しているのであって これらの《こころ》はほとんどみな じつは《身》とそのウゴキ(行動)にかかわる内容を言っている。身にかかわる中身のことしか言っていない。 《忌み》とは その場やものが神々しかったりあるい逆に屍のごとく汚かったりするとき触れがたいとか触れたくないとかという気持ちを表わしている。触れるか触れないかの身のウゴキの問題なのである。 これらの身の振る舞いを表わすコトが 《こころ》の問題であると考えられる側面がある。おそらくこれはつねにあると思われる。 わらふ(笑う)にしても ゑむ(笑む)にしても 顔の表面における変化を言っている。ゑくぼ(笑窪)とも言うように 顔がほころび頬にくぼみが生じることを言っている。わらふは 顔がくぼむだけではなく 割れるのである。(-ふ はこの場合 反復や継続の相か。あるいは 割り合ふの約で 顔の筋肉相互の相か)。 ○ こころは あるか? ○ 《こころ》とは 何ぞや? ハートやヘルツやカール( coeur < cor )は 偶然 音が一致しているみたい。
お礼
☆ 盲導犬が 危険を察知して停止することは 大きく心にかかわっていると考えるのですが では犬は そこで《考える》か? 何かを考えるか? その人間に停止信号をつたえて あとは 危険をよけ それ去って行くのを見守っているだけか? ◇赤信号なのに、目の不自由な人が渡ろうとすると、 教えられていないのに、 目の不自由な人の衣服の一部を噛み付き引っ張ったりして、渡ろうとするのを妨害しようとする盲導犬もいるようですよ。 その盲導犬は、目的達成の手段、問題解決の方法を自力で発見している。 であるから、 盲導犬は考えたし、知能を有している、と考えるべきなのでしょうね。 ☆ コウモリは センサーで獲物を見つけたなら あとはそれへと向かうという行動をするのみか? 考えることは無いか? あるのか? ◇「考える」とは何か?という問題ですよね。 自身が発した超音波の反射波から、コウモリは、獲物の位置などを正確に特定する。 無意識的に脳で計算をしている。 こうした計算を考えると呼ぶことができるのであれば、 コウモリは考えている。 そして、 その計算結果にしたがって、その獲物を取りに行くべきか、他の獲物を取るべきかなどの判断を下す。 前者の位置の特定についての計算は「考える」と呼ぶことはできないでしょうけれど、 後者の獲物を取るべきか否かの判断は、「考える」と呼んでいいのではないでしょうか。 ☆ イヌが飼い主にかわいがられて 嬉しがったりするときにも それは 身における感覚器官のはたらきでありその延長であるという見方です。それを 人間の心にも当てはめようというコンタンが ちょっぴりあるからです。 ◇人間の心のハタラキを犬などの動物にもあてはめようとしているんじゃないですか。 回答、ありがとうございました。
補足
犬のようなセキセイインコ http://www.youtube.com/watch?v=e9BTWrFvZJI ペットボトルのキャップは自然界に存在しない。 この動画のセキセイインコは、このペットボトルを玩具にして、しかも飼い主と遊んでいる。この時、飼い主は(ペットボトルのキャップを投げる)道具の延長なのかもしれませんが・・・。 少なくとも、ddt^3さんのバカ犬よりは、このセキセイインコの方がお利口さんで、コミュニケーション力も高い(^^ゞ こうなると、知性やもちろん、知能や感情をセキセイインコに認めないわけにはいかないでしょう。 素朴な感情、考えとして、その違いは認めつつも、人間とインコを分けて考える必要はない、 と思いますね。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
おはようございます。 1 知性(とおぼしきもの)はあるか? 同一条件で、同じ動きは「反応」ですから 個体差の割合によって知性かそうでないかに分かれると思います。 つまりは、生まれた後の学習が行動の選択に関与する事象が 見て取れるのであれば、選択の時思考を使うしか無いからです。 2 感情(とおぼしきもの)はあるか? 好ましいか好ましくないかの判断は、反応でも起きるでしょうが 感情の有無に関しては、データを持ってないので 私は、これといって判断材料がありません。 3 心(とおぼしきもの)や魂・霊魂はあるか? 魂や霊魂に関しては、どの生物においても 生きてると言うことのスピリットはあるでしょうが 死後の単独の存在としては、確認ができていないので何とも言えません。 心の存在は、感情との兼ね合いもあるので 人間以外を調べてないので、哺乳類は可能性が高いぐらいしか 個人的には分かりません。 後天的学習が高ければ、判断に感情とか心の作用が存在しているので 学習率で変わると思われますが、種の違いで比較検討してないので 「ここから」ってのは、私は言えません。 脳の構成と行動様式を生物学的に捉えたものがあれば 見つかる可能性は、あるかと思います。
お礼
こんにちは。 ☆つまりは、生まれた後の学習が行動の選択に関与する事象が 見て取れるのであれば、選択の時思考を使うしか無いからです。 ◇アリなどは具象的思考能力は有しているんでしょう。 しかし、たぶん、抽象的思考能力は有していない。 ☆好ましいか好ましくないかの判断は、反応でも起きるでしょうが ◇「好ましいか好ましくない」に、既に人間的なものが入ってしまっている。 そして、 ○○が「好ましいか好ましくない」と思うことができるのであれば、 ○○には感情がある、 と考えるのが自然なんでしょうね。 回答、ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
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脳の構造と精神の働きの関係は、臨床的(事故や手術) によって分析されています。 人間においてさえ、脳(主に皮質)にダメージを受け れば無意識の存在(植物人間)になります。 昆虫の場合、行動の支配は、脳の中枢系より全身に ある神経節での反射運動が中心なので、人間の同様の 反射運動が無意識であるのと同様に、意識と言える程 のものは生じていないと考えられます。 もちろん、犬や猫には大脳皮質の発達が見られるので、 ある程度の意識はあるでしょう。 脳(特に大脳皮質)の発達に応じて徐々に生じるもの であって、どの生物種から突然生じたと言えるもので はありませんが。
お礼
こんにちは。 反射は脊椎動物でしかも意識(と思しきもの)を有している物にのみ使うようで、 昆虫などには使わないみたいですよ。 また、昆虫の神経節は、分散脳のようなもので、考えたりすることができるみたいです。昆虫の胸部神経節には、学習機能、記憶機能などもあるようです。 昆虫の脳(微小脳)は、人間などの脳(巨大脳)と異なった機能と構造を有しているので、単純な比較ができないらしいですね。 ですから、昆虫の脳は大脳皮質が発達していないので精神活動というべきものがない、と結論付けることは、かなり危険なのかもしれません。 回答、ありがとうございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんばんは。 素朴な生活感覚と多少の推論――きわめて思弁的なですが――において考えるところによれば: 1. 動物には 歴史がない。 2. 生き物であるけれど だから時間的存在であるはずだが その一生については・つまりあるいはほかの仲間や異種の生物やのそれぞれ一生について 知らない。 3. いわゆる本能で生きる〔のみ〕。 4. むろん五感等の知覚のはたらきを持つ。おそらくその経験知を記憶することにもなるのだろう。 5. その知覚から記憶へみちびかれる内容は 知覚そのものの認識であって 思考は介在するのだろうか? 6. もし認識について思考をもおこなうとしても 周囲とのかかわりの中で生存を賭けてふるまうというかたちに決まっているように思われる。その振る舞いにかかわる思考形式なのだと思われる。(学習とその成果としてのような)。 7. そうだとしたら 認識も記憶の行為も すべて 本能としておこなわれる。同種のほかの個体とは別の行動を取ったとしても 本能としての自由度なのだと考えられる。 8. 歴史がないことは 自己が自己たる意識がないことだ。あっても部分的・一時的であって 生涯をつうじて おれはこう生きたという回想を持つことはないと思われる。 9. それは 自己のほかの個体との関係が やはり本能としてのカカハリにのみ限られるのだと思われる。本能のゆるす行動の方程式を突き破る自由意志は持っていないと。 10. ◇ 3 ・・・魂・霊魂はあるか? ☆ 《生命》をどう捉えるかによると考えられる。 11. 《いのち》は 非経験の場だとすれば これは 神の霊とよぶべきナゾの場でありチカラなのだと考えられる。 12. アートマン(霊我)が 生物全体におよぶという見方になるかどうか。ブッダターについて 一切衆生 悉有仏性が あらゆる生き物に及ぶのかどうか。
お礼
こんばんは。 先天的に定められた行動の形式(コンピュータのプログラムみたなもの)を後天的に変えられるかどうか、 これを生き物に知能や知性があるかいなかの判断材料にする学者や研究者がいるようですね。 こうした考え方に従うならば、 アメーバやゾウリムシはもちろん、粘菌、アリやハチにも、 知能や知性というものは存在しない、 となる。 一見、複雑な行動をとった(たとえば、人間の社会のようなものを作り、社会的な行動をとっている)としても、 書き換えることができないプログラムにただ従っているだけであり、 アリやハチは、自力で、このプログラムを書き換えたり、修正したりすることはできないので。 こういう考え方もあるようです。 「こころ」の定義は難しいようですが、 感情や霊魂の定義は、回答者の皆さんがそれぞれなさって、その定義に従って、回答を寄せていただいたらよろしいのでは。 そして、ここに紹介した知能や知性の定義は、あくまで定義の一つに過ぎないので、これに従う必要は全くありません。 回答、ありがとうございました。
- yuniko99
- ベストアンサー率15% (31/204)
植物に知性と感情があるとする人もいます 私は知性と感情という言葉は人間と人間の知性と感情に通じる動物に使えるくらいだと思っています。 ですからゾウリムシには知性と思しきものはないと思います。感情と呼べるものでもないと思います。 ただひょっとすれば人間の感情に反応するかもしれませんね。 「知性」「感情」という言葉の定義によるのではないでしょうか。 植物にも知性と感情はないと思っています。
お礼
こんばんは。 ☆私は知性と感情という言葉は人間と人間の知性と感情に通じる動物に使えるくらいだと思っています。 ◇コミュニケーションの観点からですね。 回答、ありがとうございました。
- titelist1
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人間が知らないだけ動物には全て備わっていると思っています。人間の知性や感情もノイロンの脳細胞で制御しているのですから、アメーバーと大差ありません。自分にとって嫌な物からは逃げていると思います。馬鹿では動物は生きてゆけないのです。
お礼
こんばんは。 なるほど、なるほど。 確かに、 「動物はバカでは生きていけない」 ですね。 回答、ありがとうございました。
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お礼
こんにちは。 センサーとその制御系であるCPUを有した機械やロボットも「(人間は)自分で自分を即時的に自己モニターする存在」ですよね。 であるならば、コンピュータを内蔵した機械は心を持っているのかもしれない(^^ゞ ☆たぶん人間はコミュニケーション可能な範囲しか相手にしないだろう。 ◇アンドロイドならば、人間とコミュニケーションをとることも可能(・・? http://www.youtube.com/watch?v=lDIyJYTEjvo ☆コミュニケーション可能だった我が家のバカ犬は「知性,感情,心」を持っていたとどうしても思える(異論があるのは知ってます)。 ◇SONYのペットロボットAIBOの方が賢いかもしれない。 http://www.sony.jp/products/Consumer/aibo/ 対象が知能(知性)や感情、心を持っているかどうかは、 人がその対象にそれを認めるか認めないか、 実はそれだけの問題なのかもしれない。 他の存在にこうしたものを認めようとしないのは、人間は他の存在とは異なる特別な存在であるという傲慢のなせる業(わざ)だったりして。 たぶん、人間の脳と同等の能力を人工知能・AIが獲得しても、ヒトは色々な難癖をつけて、AIに知能の存在を認めないんですよ(^^♪ キリルアン放射 http://kouhakudou.blog.fc2.com/blog-entry-679.html これについては、不思議な現象ですね、としかいえないですね。 回答、ありがとうございました。