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言語と植民政策

英語、フランス語、スペイン語は皆植民政策によって世界語になっています。 しかし、日本も植民地を作っていたんですが、日本語はどうして世界語にはならなかったですか?

みんなの回答

回答No.7

>現地人にどう思われますかね。現地人にとっては、決して喜んでいることではないでしょうね。 否定から始めれば、どんな議論も成り立ちませんよ。 少なくとも、徴兵制の施行がなかった台湾や、戦争も終わりに近くなってから施行された朝鮮半島から、戦前から海軍兵学校や陸軍士官学校へ入り、また志願兵として数多くの方々が自主的に天皇陛下のため、日本のためと軍人となり、戦地に赴いています。 台湾の高砂族義勇兵は有名です。 また、特攻隊に志願した朝鮮半島出身者も知られています。 朝鮮戦争で、最も活躍したのは、指揮官から下士官・兵まで、元日本兵だったのです。 質問者様の考えとおりなら、そういう人はいないはずですけれどね。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 いろいろと考えさせていただきました。 但し、自分の読んでいる本(井上清)とかなりの 異なる結論が出来居ますので、自分としてはもう少し勉強しないといけないと思います。 今回良回答をつけずに締め切らせていただきます。(つける力がなくて) 皆さん本当にありがとうございました。

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  • jayoosan
  • ベストアンサー率28% (929/3259)
回答No.6

>>しかし、印刷術に関しては、朝鮮、台湾はしらないんですが、中国は日本より早かったはずです。 中国は太古に木版で仏典を印刷するなどの木版は発明しましたが、印刷という仕組みをみつけただけです。その後15世紀にドイツのグーテンベルグが開発した、金属版と粘着油性インクによる大量印刷が完成するまで、高品質で早く印刷できるシステムがなく、また絵柄もきれいに印刷できませんでした(グーテンベルグはできたので、聖書などに絵が大量に印刷されるようになった)。 日本はこの技術を明治以降輸入したため、全土的に印刷物を配布できるようになりましたが(つまり一度に何万枚も印刷できる)、これらの技術は中国にはなかったのです。 戦後もこの傾向はつづき、長らく4色オフセット印刷フルカラーは、ドイツと日本しかできない、といわれ、多くの美術印刷や美術館のカタログの発注は、1980年代まではわざわざ日本かドイツまで海外から発注が集まっていました(元業界人です)。

45-48
質問者

お礼

専門のことまでいろいろと細かく教えていただきありがとうございます。自分の不勉強は改めて認識しました。

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  • jayoosan
  • ベストアンサー率28% (929/3259)
回答No.5

台湾は50年という統治期間がながかったおかげと、最初現地のお寺などを使った日本の寺子屋みたいな学習拠点を、日本が学校システマチックにつくっていって行き、識字率を上げていったおかげで、全土的に日本語がひろまりました。 戦争が終わって、国民党が逃げてくるまでは、日本語と現地台湾語(中国語ではない)しか話せない人が多かったのが、台湾人の書物や伝記などでわかります。 ただし、この台湾でさえ、終戦時にたとえば家庭の父親はもうバリバリの日本びいきで、子供は日本人のつもりで大きくなったのに、奥さんは日本語が話せず台湾語のみ話した事例も、そういった本でみつかります。 朝鮮は、朝鮮語を禁止しなかったせいか、記憶だと日本語に不自由しない人口は50%を超えておらず、30~40%くらいだったとおもいます。 満州は期間が短かったこともありますが、中国人の子供で日本語学校に通えた人が少なかったのが、卒業名簿の中国人の割合や写真などでわかっています。これは台湾との大きな違いです。 期間というのは、1つの理由になると思います。 あと私が思うのは、他の植民地国の時代にはなかった印刷技術が、日本人にあったからだとおもいます。他の植民地では、どうしてもお金がかせげて物流がおこる支配側の言語を使うようになり、民族の言語を残すメディア(媒体)が途切れると、言葉が消えてしまう可能性が大だとおもいます(南米やアフリカなど)。しかし日本は古来から技術にたけており、仏典などもかなり古来から木版で経典を残し全土的に広める習慣があり、その技術は台湾や朝鮮での教科書や現地新聞などの設立にも、貢献したと思います。 実際戦後でも、アジアの印刷物(雑誌や家電のマニュアル)は品質が乏しかったのが、90年代に日本の印刷会社が中国に進出をはじめると、日本と同じレベルのカラー刷りのファッション雑誌やマニュアル、ポスターなどができあっという間に広まるようになりました。 日本は、現地の言語を完全否定せず、印刷の技術もあったおかげで、結果的に現地語が途絶えることがなかったのだと思います。

45-48
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 期間が短いというのは原因の一つだと納得できました。 しかし、印刷術に関しては、朝鮮、台湾はしらないんですが、中国は日本より早かったはずです。 のちの共産主義中国の印刷術の悪さは50年代以降の後退であって、戦争期は日本には負けていなかったのではないかと思います。

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  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.4

旧植民地における公用語参照 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E7%94%A8%E8%AA%9E#.E6.97.A7.E6.A4.8D.E6.B0.91.E5.9C.B0.E5.9B.BD.E5.AE.B6.E3.81.AE.E5.85.AC.E7.94.A8.E8.AA.9E 植民地とは何か? これを言い出したら話は終わらない。 ロシアにおけるシベリアはどうなのか? アメリカにおけるネイティブアメリカンの使用言語はどうなのか? はたまた、フランスにおけるブルターニュ言語の位置づけはどうなるのか? 等々 「官用語」あるいは「公用語」つまり、統治のための言語として何を使っているかに関しては、実際の統治機構に所属している人間の言語が何によって行われていたのか?ということになります。 典型的には インドにおける英語は、多様な地方言語があり、イギリスが英語によって統治し、現地のインド人官僚も英語による教育を受けていた。ガンジーがイギリスで教育を受けたように。その前のムガル帝国時代はどうかというと、ムガル帝国の支配層は、中央アジアから来たわけですが、官僚としては、ペルシャ人を多用したため、ペルシャ語が官用語だったりします。 アラブ圏は、イギリス・フランスの統治が及んだのは、第一次世界対戦後から第二次世界大戦後までの短期間だった事と、アラビア語による統治の歴史が長かったので、アラビア語が公用語になっている。 シリアがフランスの信託統治になったのが1920年で独立したのが1946年。26年間です。韓国で日帝36年といいますが、似たような期間です。で、シリアはアラビア語が公用語。 アルジェリアがフランス領になっていたのは1871年から1962年で91年間。それでも、公用語はアラビア語です。 ガボンなどは 1885年から1960年間までフランス領で、公用語はフランス語。アルジェリアとガボンの違いは、フランスが統治する前の、政体の違いと、アラビア語が統治言語として何百年も使われてきた歴史の違いだと思われます

45-48
質問者

お礼

いろいろと教えていただき本当にありがとうございました。

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回答No.3

>満州国はどうでしたかね? 少なくとも、形式上は独立国扱いです。 しかも、中華人民共和国の成立以後、その活動を支えた東北地方の重工業地帯は、その基礎は満州国支援策として、日本が整備した社会資本、インフラが元となっています。 >また、朝鮮、台湾の人たちはどう思っていたのでしょう? 台湾では、日本統治当初、激しい抵抗運動が起こっています。 しかし、弾圧されて以降、その抵抗運動は下火になっていきます。 後は、李登輝さんら、日本語世代の人々の発言が証明しています。 朝鮮は、現在、「日本統治以前は天国のような国だった」とか「日本が収奪したので貧しくなった」と教えていますが、現実は、学校や道路を始め、産業用・民生用インフラを整備したのは日本です。 しかも、その費用は、ほとんど日本からの持ち出しです。 戦後も、多くの日本からの支援を受けながら、すべて公表していません。 そこまで捏造された史実を教えられて、まともな判断はできないでしょう。 >敢えて問えば、欧米の植民地政策と日本の合併政策とはどっちがもっと現地人に反抗されるでしょうか? 史実が示していますよ。 植民地政策は、人をして人としての尊厳を認めず、動物扱いすることから始まっています。 「反抗する」という自我さえ、喪わせる政策なのです。 日本では、「今日から諸君は、同じ天皇陛下の赤子である」という認識からはじめます。 一例を挙げれば、朝鮮半島で日本統治下での人口増は、それ以前と比較にならないほどです。 日本統治の最大の特徴は、教育の普及です。 識字率の向上を取ってみても、その成果は明らかです。 無論差別はあったでしょうし、いさかいもあったでしょう。 客観的に見て、反抗の有無で判断するものではないと思います。 「現在の」、それら地域を比較してみれば一目瞭然でしょう。

45-48
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 しかし、 日本では、「今日から諸君は、同じ天皇陛下の赤子である」という認識からはじめます。 <<<<は現地人にどう思われますかね。現地人にとっては、決して喜んでいることではないでしょうね。

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回答No.2

日本は欧米諸国のような植民地を保有したことはありません。 誤解しないでください。 台湾も、朝鮮半島も、併合で、扱いとしては形式上、日本の一部として扱われていました。 欧米諸国は、植民地とした地域の住民を奴隷として扱いました。 ですから、もともとあった文化や習慣を馬鹿にし、自分たちの価値観、文化、習慣を押し付けたのです。 ですから、世界語になったのではなく、言葉を奪われたので、それらの言葉をしゃべるしかなかったのです。 日本では、同じ日本国民として、帝国議会に議員を送ることまでしています。 日本では、同じ国民ですので、日本語を教えることはしても、元の言葉や文化を否定することはしなかったということです。

45-48
質問者

補足

なるほど、ありがとうございます。 しかし、満州国はどうでしたかね? また、朝鮮、台湾の人たちはどう思っていたのでしょう? そして、敢えて問えば、欧米の植民地政策と日本の合併政策とはどっちがもっと現地人に反抗されるでしょうか?

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  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

植民地の期間が短かったから。 韓国や台湾のある年齢の世代は、高等教育を日本語で受けているので、日本語で討論ができます。 韓国では金大中氏などは、マスコミで報道されないときは日本語で対応されます。

45-48
質問者

お礼

ありがとうございます。 当時日本の教育をうけた人々は日本語がわかるのですが、でも、どこでも現地の官用語になっていませんね。これもやはり統治した時期が短かったからですね。

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