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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ショパンの気持ち)

ショパンの気持ちは?

このQ&Aのポイント
  • ショパンは亡命を余儀なくされたポーランド人の作曲家です。
  • 彼の心情は、モーツァルトやベートーベンに対してどうだったのか疑問が残ります。
  • ショパンの書簡集は読み切れず、素人にはまとめられません。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

BASKETMMさん、こんばんは。今日は出かけていたので、拝見するのが遅くなりました。 ショパンに関しては、詳しい伝記も手紙も未読です。ショパンの曲はほとんど毎日弾くので、こんなことではいけないのですが、私は作曲と演奏の両方をやってきたので、なかなかそういう勉強をする時間がありませんでした。しかも、音楽以外の方にも好奇心があるものですから、ほかのことばかりやってしまいます。 ショパン協会にまで問い合わされたのですか。手紙などの残された資料から十分知ることができないとなると、ほかの手段で推測しなければなりません。一般的に、芸術家は、政治的な問題と芸術上の問題は切り離して考えるものだと思います。ショパンは神経質な人でしたし、愛国者でしたから、表向きは激しく反応したこともあったかもしれません。しかし、ショパンの怒りは、プロイセン、オーストリー、ロシアだけではなく、ポーランドの援護に動かなかったフランスにも向いていましたし、「神」がロシア軍にポーランドの反乱を鎮圧することを許したことに幻滅した、と伝わっています。特にロシアに対する怒りが大きかったようです。しかし、政治的な動乱の原因はいろいろなものが複合しているわけですから、分割した国々だけではなく、そういう結果を招いたすべてのものに怒って当然だと思います。 ショパンが終生バッハを学んでいたことはよく知られています。モーツァルトからも影響を受けました。ドイツやオーストリーにもたびたび行き、多くの音楽家と会い、交流も持っていますし、パリ亡命後もドイツへ演奏に行っています。ですから、モーツァルトやベートーベンを憎むべき敵国人と思っていたとは考えられません。また、未完成に終わりはしましたが、ベートーベンの主題による作品の計画もあったようです。さらに、ベートーベンの「アデライーデ」という歌曲を、リストがいつものように名人芸的な技巧の曲として編曲したことをよく思わなかったようです。 このたびの御質問は、少し前に音楽カテゴリーに出た、ショパンとシューマンの関係がきっかけになったでしょうか。あの質問に回答なさっていましたね。私は、シューマンに触れた手紙を知らなかったので、回答は控えました。シューマンの件と今回の御質問を関連づけて考えてみると、一つ落とし穴があるかもしれないと思います。それは、音楽上の美学の問題です。一般的に、ショパンはロマン派の作曲家とされていますが、ひとつ注意しなければならないのは、「古典」とか「ロマン」という用語は、便宜的な歴史区分のために使われる場合と、美学上の違いを分類する場合に使われる場合とがあるということです。「ロマン派」というのは、必ずしも「ロマンティックな音楽」という意味ではないんですね。ショパンは、曲の構成に関しては非常に「古典的」です。「ロマン派」の思想自体がドイツ的なものですが、ロマン派では、音楽と文学のつながりが大きくなります。ショパンはどうも、この音楽と文学を一体にするようなロマン的なものに、あまり好感を持っていなかったようです。シューマンに対する反応も、そういうところからきているのでしょう。シューマンは、ETA.ホフマンやジャン・パウルといった作家の作品を愛読し、音楽批評を書くときも、半ば文学作品のような書き方をしています。シューマンは、ショパンの曲を常に高く評価してきたので、感謝するべきなのですが、シューマンの文章のロマン派的、文学的臭みが耐えられなかったのだと思います(ドイツのレクラム文庫から出ている、シューマンの音楽批評集の中のショパンに関する批評を少し見てみました)。シューマンから献呈された曲の楽譜も、長いこと開かずに放ってあったということですが、シューマンのピアノ曲とショパンのピアノ曲を比較すると、それもわかるような気がします。目指している音楽の方向が違うのです。ベートーベンとのかかわりは、先ほどお話ししたこと以外、あまり知らないのですが、あくまでも音楽の問題として考えたとき、ベートーベンの大仰な身振りの音楽が、ショパンの好みと違うところはあったかもしれません。この辺のことは、私ももう少し研究しなければならないようです。 留学中に手に入れた、分厚いショパンの資料集や、ジョルジュ・サンドの書簡集も持っているのですが、段ボール箱に入ったまま未整理です。時間があったら探してみます。今手元にあるもので、御参考になりそうなものは、ピアニストのアルフレッド・コルトーが書いた「ショパン」です。現在中古でしか入手できませんが、アマゾンのリンクを張っておきます。 http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%AA%E3%80%80%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3 あと、少しではありますが、ショパンの手紙が無料で公開されているサイトがありました。どのくらい信用できるサイトか、まだ未見なのでわかりませんが、一応御紹介しておきます。 http://www18.ocn.ne.jp/~tomoro/letterlist1.html 今日は、とりあえず、思いつくことだけ気ままに書いてみました。 御参考になれば幸いです。

BASKETMM
質問者

お礼

Tastenkastenさん 有り難うございます。 本日は、受け取りましたという報告です。 素人は yes か no かという単純な回答をほしがるので反省しております。 コルトーによる評伝は 近所にある大学図書館にあることを確認しましたので、後刻行ってきます。 ご紹介いただいた二つ目のサイトには驚きました。誰が提供しておられるか分からないので、ご存じでしたら教えて下さい。tomoro という方がおられるのでしょうか。 理工学の分野でも、古典的文献のネット公開が増えております。欧米に比べ、日本は遅れているように思います。そんな意味も含めて、教えていただいたサイトには興味があるのです。この様なサイト情報の共有が望まれます。 以上、簡単に感想W述べました。【チャントした】お返事/お礼がいつ書けるか自信がありません。 追伸: 高貴【?】高齢者ですから、コルトーの演奏を日比谷公会堂で聴いた記憶があります。何を聴いたかもう覚えておりません。

BASKETMM
質問者

補足

Tastenkastenさん 図書館から帰ってきました。 ショパン (新潮文庫) コルトオ、 河上 徹太郎 訳は現代風でなく、面白いところと、分かり難いところが混在していました。 旧仮名遣いであることはよいとして、副文章は、日本語でも副文章であるため、誤解しそうなところがあります。 著者コルトーの紹介がどこにも見当たりません。 短時間で、全部を読めませんので、【ショパンの性格】という章だけに目を通しました。 ◍亡命ポーランド人には特別な感情を持っていた。 ◍ユダヤ人の軽蔑していたらしい。 ◍バッハとモーツアルトを尊敬していた。 ◍シューマンとメンデルスゾーンを評価していなかった。 ◍スラブ人であるという意識を捨てなかった。 こんなことが読み取れました。女性関連の事項は無視しました。 短時間で解決できる問題でないことも再確認しました。 今後ともよろしく。

その他の回答 (4)

回答No.5

こんにちは。お礼有難うございました。 私は、このサイトの質問への回答は、半分自分の勉強のためにやっています。本当は知らないことでも、調べて回答するケースがかなり多いです。先日も、日本におけるシューベルトの評価についての質問で、いろいろ調べ直して確認できたこともありましたし、哲学カテゴリーで、5世紀の聖書の解釈のドイツ語訳を日本語訳して、全く未知の世界を知りました。今回も大変勉強になりました。英語はだめなのですが、検索で拾い読みをしていたら、面白い発見がたくさんありました。私からもお礼申し上げます。 ところで、BASKETMMさんの御覧になったGutenberg Projectと、SpiegelのGutenberg Projectは、全く別のプロジェクトです。Spiegelの方は、文学作品がほとんどで、ドイツ語だけです。私も、BASKETMMさんの御覧になった方のプロジェクトを先に知ったのですが、ドイツ語の文献に関しては、Spiegelやほかのサイトの方が充実しているので、最近はあまり見ていませんでした。Spiegelに収録されているのは、次のような作家です。 http://gutenberg.spiegel.de/autor ついでですので、もう一つドイツ語の図書サイトを御紹介しておきます。こちらも、基本的には文学中心ですが、音楽家の伝記や、自然科学も少しあります。ベンツやジーメンスの自伝もあるようです。 http://www.zeno.org/Bibliothek また、No.4の最後にご紹介した英語のサイトでDieselを検索したところ、山のような文献が出てきましたが、こういうものはお役にたちますか。英語が自由に読めたら、私もディーゼル機関車など読んでみたいのですが、全く手が出ません。 http://onlinebooks.library.upenn.edu/webbin/book/search?author=&amode=words&title=diesel&tmode=words&c=x バイエルについては、最近のことはわからないのですが、日本でもあまり使用されなくなっているようです。 http://www.excite.co.jp/News/bit/E1226397238463.html しかし、ドイツのアマゾンを見たところ、もちろん現役の教則本で、買った人の評価もすべて五つ星でした(笑)。ドイツの楽器店にも売っているはずなのですが・・・ http://www.amazon.de/Vorschule-Klavierspiel-op-101-pr%C3%A9liminaire/dp/B00006M2GG/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1411871719&sr=8-1&keywords=Ferdinand+Beyer 本題に戻りますが、ヨーロッパは地続きですので、外国人に対する感情は、日本人とは違うでしょうね。国の間の移動も簡単だったわけですし、文化的な交流が政治的な理由で途絶えることはなかったと思います。 なお、シューマンは常にショパンの才能をほめたたえていましたが、レクラム文庫の評論集を見たところ、欠点についても少し触れていました。要するに、ショパンはかなり保守的で、生涯を通じて作風を変えていませんし、繊細で女性的、ドイツの常に新しい方向を探る音楽の変化には、ついて行かれなかったのかもしれません。シューマンから見ると、その辺が少し不満だったような・・・ 以上、お礼まで。

BASKETMM
質問者

お礼

有り難うございました。 範囲を広げると切りがありませんし、 他の方からの応答もありませんので、 一先ず解決といたします。 今後ともよろしく。

回答No.4

(続きです) ただし、ショパンの演奏は、ベートーベンの曲に限らず、常に繊細で女性的なものだったようで、ベートーベンらしい演奏ではなかったと思われます(1841年頃の記録)。 One day Chopin took Lenz with him to the Baronne Krudner and her friend the Countess Scheremetjew to whom he had promised to play the variations of Beethoven's Sonata in A flat major (Op. 26). And how did he play them? Beautifully [says Lenz], but not so beautifully as his own things, not enthrallingly [packend], not en relief, not as a romance increasing in interest from variation to variation. He whispered it mezza voce, but it was incomparable in the cantilena, infinitely perfect in the phrasing of the structure, ideally beautiful, but FEMININE! Beethoven is a man and never ceases to be one! こうしてみると、ショパンはベートーベンにはそれなりに敬意を払っていたようで、弟子の一人がショパンのピアノ協奏曲をうまく弾いたとき、その弟子と楽譜店に行き、ベートーベンの「フィデリオ」の楽譜をプレゼントして、一生読みなさい、といったというエピソードがあります。しかし一方、ショパンがベートーベンを高く評価していた、という話は、レンツという人物がベルリン音楽新聞に書いた記事から推察されていたもののようで、実際は、好きではない部分もあったようです。 That Chopin had a high opinion of Beethoven may be gathered from a story which Lenz relates in an article written for the "Berliner Musikzeitung". 面白いことに、作曲家のリストがショパンの伝記を書いているのですが、リストは、ショパンのベートーベンに対する評価をこのように伝えています。 However great his admiration for the works of Beethoven might be, certain parts of them seemed to him too rudely fashioned. Their structure was too athletic to please him; their wraths seemed to him too violent. He held that in them passion too closely approaches cataclysm; the lion's marrow which is found in every member of his phrases was in his opinion a too substantial matter, and the seraphic accents, the Raphaelesque profiles, which appear in the midst of the powerful creations of this genius, became at times almost painful to him in so violent a contrast. Frederick Niecksの「Frederick Chopin as a Man and Musician」に戻ると、このような記述がありました。 Chopin said that Beethoven raised him one moment up to the heavens and the next moment precipitated him to the earth, nay, into the very mire. Such a fall Chopin experienced always at the commencement of the last movement of the C minor Symphony. Gutmann, who informed me of this, added that pieces such as the first movement of the Moonlight Sonata were most highly appreciated by his master. そして、パリでは、ベートーベンの主要な作品しか聞く機会がなかったらしいことがわかります。 Lenz says of Chopin:-- He did not take a very serious interest in Beethoven; he knew only his principal compositions, the last works not at all. This was in the Paris air! People knew the symphonies, the quartets of the middle period but little, the last ones not at all. そういうことで、ショパンにとってモーツァルトは神様のようなもの、ベートーベンは、それなりに高く評価する一方、好みではない面もあり、それはあくまでも音楽上の理由で、政治とは関係がないこと、さらに、ベートーベンの曲をすべて知る機会がなかったらしいことがわかりました。 参考資料のURLを張っておきます。 1 Frederick Chopin as a Man and Musician, by Frederick Niecks http://www.gutenberg.org/files/4973/4973.txt 2 Chopin: The Man and His Music, by James Huneker http://www.gutenberg.org/files/4939/4939.txt 3 Life of Chopin, by Franz Liszt http://www.gutenberg.org/files/4386/4386.txt 4 Chopin's letters https://archive.org/details/chopinsletters00chop 5 Friedrich Chopin; sein Leben und seine Briefe https://archive.org/details/friedrichchopins00kara 1~3は、御存知かもしれませんが、The Online Books Pageというサイトに出ているものです。 http://onlinebooks.library.upenn.edu/webbin/book/browse?type=lccn&index=22666&key=ML%2000000410%20%2eB4%20%2eA182&c=c 1~3の資料では、Ctrl+Fで検索を出し、「Beethoven」「Schumann」などの語で検索すると、これらの作曲家について触れている個所を探しだせます。4と5も、Read Onlineで表示すると、右側に検索機能が付いています。

BASKETMM
質問者

お礼

Tastenkastenさん こんなに書いて下さっては、素人として感想の書きようもありません。 ただ感謝です。全く別のことを書いて、どのくらい嬉しいか表現いたします。 1.私の音楽指向は偏っていて、古いクラシックのピアノ、オーケストラばかりです。 音の重なり合いが好きなのです。次の音楽会は、「清水和音 ピアノ主義」第2回 〇演 目:ショパン:即興曲 第2番 嬰へ長調 作品36、/ 即興曲 第3番 変ト長調 作品51      ショパン:マズルカ 第26番 嬰ハ短調 作品41-1、 マズルカ 第37番 変イ長調 作品59-2、 マズルカ 第35番 ハ短調 作品56-3 ショパン:幻想曲 ヘ短調 作品49 2.資料を集めるのがどんなに大変か知っております。Gutenberg Project をご存じの方にぶつかるのはとても稀です。80歳のリケロ(理系老人)である私はジェームス ワット、サディー カルノー、ニコラウス オットー、ルドルフ ディーゼルなどの資料集めました。このプロジェクトは有能でした。 3.サイトの紹介のみでなく、サイトに行ってからどこをクリックするかなど、使用法(Gebrauchsanweisung) も書いて下さるのは有り難いことです。サイト内で迷子になるのはしばしばですから。 4.本題についての感想です。18世紀、19世紀の頃は国に対する感じ方が今と違っていたのかも知れないと思い始めております。王様同士は親戚ですし、戦争の死者は少ないし、上部団体(神聖ローマ帝国)の影響は残っているし。敵国を一般市民はどのくらい嫌っていたのでしょう。ゲーテもモーツァルトも自由に外国旅行していますね。 5.全く違うことを思い出しました。ドイツウィースバーデンの楽器店の楽譜係はバイエルという教科書を全く知りませんでした。日本でも教え方が変化しつつあるのは知っていましたかが、名前も知らないのにはビックリしました。 お礼にもならない雑談ですが。

回答No.3

こんばんは。 まず、昨日御紹介した、ショパンの手紙のサイトですが、無料のサイトがあった、と思って中身の確認をせずに御紹介しました。今日あらためて確認したのですが、筆者はもともとクラシックに関係のない人で、手紙の翻訳をどのようにやったか不明です。贋作に関する研究も、独自研究である可能性がありますので、「ほんのちょっと参考」程度に御覧ください。やはり、専門家の研究を参考にした方が確実です。古典文献のネット公開については、おっしゃる通りだと思いますが、日本の場合、欧米の文献に関しては翻訳の著作権が残っていますので、まだ充実させるのは無理かと思います。日本に関する古い文献は、それなりに出始めているようです。 コルトーの演奏をお聞きになったのですか。うらやましいですね。私が実際に聞いたもっとも古いピアニストは、ジョルジュ・シフラです。 さて、今日は、ショパンの伝記や手紙を少し調べました。私が持っている本は、今回の御質問にはあまり役に立ちそうにありませんでしたので、ネットに公開されている伝記を見てみました。まず、James Hunekerの「Chopin: The Man and His Music」という書物にこうありました。語学カテゴリーなので、原文を引用します。 He spoke French though with a Polish accent, and also German, but did not care much for German music except Bach and Mozart. Beethoven--save in the C sharp minor and several other sonatas--was not sympathetic. Schubert he found rough, Weber, in his piano music, too operatic and Schumann he dismissed without a word. He told Heller that the "Carneval" was really not music at all. This remark is one of the curiosities of musical anecdotage. ショパンが本当に敬愛したのは、音楽のあり方が古典的なバッハとモーツァルトだけで、その他のドイツやオーストリーの作曲家は、(政治的な理由からではなく)音楽的な理由で好きにはなりきれなかったようです。ただ、ショパンは、ベートーベンの作品を必ずしもたくさんは知らなかったようです。有名な交響曲や中期の弦楽四重奏曲は知っていたようですが、後期の作品は知りませんでした。シューマンに関しては、どうやらかなりの無視ぶりだったようです。「謝肉祭」は音楽ではない、というのは、かなり極端ですね。ただシューマンは、こともあろうに、この「謝肉祭」の中に「ショパン」と題する楽章を書いているので、特に気に障ったかもしれません。そして、やはりシューマンの批評文は耐えられなかったようです。シューマンには何回か会っているようですし、その前で自作のピアノ曲を弾いたりはしているのですが、表面的な付き合いに終わったようです。 Frederick Niecksの「Frederick Chopin as a Man and Musician」からも少しご紹介します。 After a fortnight's stay in the Prussian capital Professor Jarocki and Chopin turned homeward on September 28, 1828. (中略)A great part of the time he was at Posen he spent at the house of Prince Radziwill, improvising and playing sonatas of Mozart, Beethoven, and Hummel, either alone or with Capellmeister Klingohr. ベートーベンのソナタは弾いていたようです。また、1829年に作曲された葬送行進曲作品72bは、ベートーベンのピアノソナタ作品26の葬送行進曲を思い起こさせるという指摘があります。1830年に、ベートーベンのピアノ・トリオを演奏した時の感想が伝わっているので、引用します。 One of the most important of the items which made up our friend's musical life at this time was the weekly musical meetings at the house of Kessler, the pianist-composer. Of works performed at two of these Friday evening meetings, we find mentioned Spohr's Octet, described by Chopin as "a wonderful work"; Ries's Concerto in C sharp minor, Hummel's Trio in E major, Prince Louis Ferdinand of Prussia's Quartet, and Beethoven's last Trio, which, Chopin says, he could not but admire for its magnificence and grandeur. また、未完に終わったか全く書かれずに終わった、ベートーベンの主題による作品については、手紙が残っています。パガニーニの演奏に感動して、再び作曲を始める気になったらしいのですが、結局実現しなかったようです。 (December 25, 1830) Chopin writes:-- I have just come from the excellent violinist Slavik. With the exception of Paganini, I never heard a violin-player like him. Ninety-six staccato notes in one bow! It is almost incredible! When I heard him I felt inclined to return to my lodgings and sketch variations on an Adagio [which they had previously agreed to take for their theme] of Beethoven's. 1831には、ウィーンでベートーベンのピアノ協奏曲を演奏した記録が、 ,,,about that time he played, for instance, Beethoven's C minor Concerto at one of the Spirituel-Concerte, where since 1830 instrumental solos were occasionally heard… そして、ベートーベンの五重奏曲を演奏したらしい記録があります。 Chopin writes in a letter to Elsner that Baillot was very amiable towards him, and had promised to take part with him in a quintet of Beethoven's at his concert. 1834年ごろのようですが、ベートーベンの田園交響曲を聴いた後の感想もあります。 After hearing Beethoven's Pastoral Symphony, for instance, he said to Hiller, his eyes glistening as if he had himself done a great deed: "E bel comme la nature!" (フランス語ですので、本来は、est belle comme la nature!と書くべきところですが、この証言を書き残した人が、イタリア語風に綴ったようです。) ベートーベンの第7交響曲を、4人のピアニスト用に編曲した版の演奏にも参加しています。 At a concert given by Valentin Alkan on March 3, 1838, Chopin performed with Zimmermann, Gutmann, and the concert-giver, the latter's arrangement of Beethoven's A major Symphony (or rather some movements from it) for two pianos and eight hands. (4000字を超えたので、続きを改めて出します。)

回答No.2

こんばんは。 英語による伝記がありましたので、少し調べました。のちほどもう一度回答させていただきます。

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