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嫌われることについて

仏教のお釈迦様の教えでは、嫌われることは良くないと言われているのでしょうか? また、嫌われないように、周りに不快を与えないように、努力することから逃げていることは、良くない生き方でしょうか? 私は、仕事場で嫌われています。思い当たることは幾つか有ります。 会話に参加しようとしない、声が小さい、人とあまり関わりたくないので、お礼を簡潔に言う、行動時間をずらす等をする、おどおどして見える、心を開けない等です。 雑談をほぼ話しません。 努力し直すようにすれば、変われるかもしれませんが、勇気が無くできておりません。 変われない理由は、嫌いな人が多い、嫌われて傷ついた自分がかわいそうに思う、プライドや相手への怒りなどがあると思います。 心の中では、嫌われても仕方ないと思う反面、自分の陰口を言っているのが耳にはいると、不愉快になります。 ですが、生き方としてお釈迦様が良くないと言われていなければ、このままでいれば勇気を出して傷つかなくてすみます。 以前、変わろうとしてもうまくいかず、会社の人に、おどおどするなと言われたことがあったり、周りへの怒りがあったりと、過去を気にしている部分もあります。 こんな過ごし方に疑問を持ちつつ、悩んでいます。

みんなの回答

回答No.1

 こんばんは。  人から嫌われることは よくないことか?  そういうことは 自分で考えて決めることです。  それを決めるチカラは ふつうには理性ですが 理性で考えても分からないときには ここで飛躍して言えば アートマンと呼ばれる霊我です。  しづかに心を落ち着けて じっとアートマンのささやきに心の耳を澄ます。こたえが聞けるはずです。  言っときますが ゴータマ氏という人間は このアートマンなどは無いと言ったのです。諸法無我。アン‐アートマンが無我のことです。アンインストールというときのアンと ほぼ同じ意味です。  ですからアン‐アートマンという大前提を立てて あとは自分勝手に 何が善で何が悪かを 決めたか。あるいはその考え方を おれのやり方でおこなえと言った。つまり ここでわれわれは ゴータマよ おまえは 阿呆か? と言ってやることが ゴータマのためにも供養となりましょう。  自分で――心の奥なるアートマンにも尋ねつつ――ものごとについて考え判断するようにしましょう。くれぐれもブディズムのオシエにそそのかされることのありませんように!!  むろん 友だちや信頼のおける人に相談してもかまいません。