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仏教について

無駄な欲や嫉妬や怠けなど、良くない心を、いつも反省しつつも、何も実践できずにいて、人間として、全く進歩していません。何かを崇拝したい気持ちというか、何かを拝みつつ、常に自分を戒め、反省し、感謝の心で過ごしたいのですが、そうなると、やはり宗教団体など、どこかに属しなければならないものでしょうか? たとえ、自分にとって最高の団体があったとしても、そこに属し、大金をつぎ込み、他人を巻き込んだりなど(宗教団体を非難するつもりはありませんが)するのは、本意ではないし、自分ひとりが素直に、内に秘めた気持ちから、何かを崇めたいです。占いなどに懲りたいともおもいません。そこで、小さい頃から慣れ親しんでいるのは、やはり仏さま、お釈迦様、など仏教です。 仏教の教えを素人なりに勉強して、日々を送りたいと思います。 まず、はじめの第一歩として、私はどんな書を用意するとよいのでしょうか。そして、我が家にはお仏壇がありません。手を合わせたくても何もない空間に向かって手を合わせることになりますが、こんな中途半端なやり方で、よいのでしょうか。手を合わせる方角などがあるのでしょうか。毎日実践するべきお経などがあるのでしょうか。気の向いたときだけ、神様仏様~と、拝むような毎日ではなくて、まっさらに、まじめに仏教と向き合いたい。だけど、例えば仏教系の大学や通信講座などお金をかけて、学ぶ余裕はありませんし、単に日々の生活を大切に過ごしたい、その糧となる何かが欲しくて、それを仏教にゆだねてみたい。のですが、どうか、私のはじめの一歩を踏み出せるのは、何か、教えてください。よろしくお願いします。

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  • totoroba
  • ベストアンサー率39% (48/121)
回答No.3

私も十数年まえ辛いことがありまして仏教の本を読みはじめました。 初めに買ったのはNHKの仏教講座のテキストでした。 瀬戸内寂聴さんや五木寛之さんの仏教エッセーや ANo.2さんも書いていらっしゃるひろさちやさんの仏教入門書は はじめの一歩としてぴったりだと思います。 仏教の基本基礎はまず仏陀研究の第一人者中村元さん 現代と仏教のかかわりを考えるなら玄侑宗久さん チベット仏教のダライラマ法王、上座部仏教のスマナサーラ師 禅の澤木興道師、など 彼らの本を読むと特定の宗教団体へ属して仏像を拝み御経を唱えるよりも 自分の心をみつめ、よりよく生きていくことが大切ではないかと思えました。 私は今でもいろんな宗派のお坊さんの本を読むのが楽しくどこかに入信するつもりはありません。 宗教というよりは人生の道しるべとしています。 今はきれいな写真がたくさん入った仏陀入門みたいな本もたくさん出ています。 図書館や大きな本屋で自分の目でいろいろ探してみてはいかがでしょう。 自分の今の気持ちにぴったりな本から読んでいかれるのが一番かと思います。

prip71187
質問者

お礼

NHKに仏教講座というのがあるのですね。まじめに、でも、庶民的な感覚で、まなべそうですね。 >私は今でもいろんな宗派のお坊さんの本を読むのが楽しくどこかに入信するつもりはありません。宗教というよりは人生の道しるべとしています。 とても、私に近い感覚です。どこにも属さず、人生の道しるべとして、 仏教を身近に捉えていらっしゃるんですね。とても素敵ですね。 私もぜひそうしたいと思います。ただ、どこにも属さないことが、怠けにつながってしまいそうな気がして…。これは本当に自分の気持ち次第ですが…。頑張ってみます。ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • kappa1zoku
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回答No.2

あまりに素直な書き方にあなた自身がよく表れていると思います。 僕はシニア世代ですが、数年前に母親が亡くなってから、仏教関係の本を読み出しました。 仏教はインドを発祥の地としていますが、日本へと伝わった仏教は、中国、朝鮮半島と渡ってきていますので、元の姿をとどめているのか少々疑問のところがあります。 また、日本に渡ってきた仏教は、日本の歴史の中でこれまた変質をしているといえます。 しかし、それでも僕は親鸞上人の教えがよいと考えています。 在家信者と言えば聞こえはまともですが、どこの檀家でもありません。 お墓には、幼児期に亡くなった兄さんと母親の名前を刻んでいます。 法名ではありません。俗名です。 何故、俗名なのかと言うと、戒名(法名)は出家信者(お坊さん)が付けるもので在家のものがつける必要がないからです。 死後戒名は、日本仏教の金儲けの道具です。 あなたは、御自宅に仏壇がないと書いていましたが、仏壇はお寺のミニチュアであることをご存知でしたか? 先祖を祀る場所のように思う人がいますが、お寺の御本尊(キリストで言えば、十字架像)を家で奉るのです。 先祖崇拝は、自然な心ですが仏教とは関係がありません。 善い行いをしているとよい結果がでるだろうと考えるのは、仏教の考えではありません。 自分でなにかが出来ると思う考えこそが、仏教と一番遠い考え方でしょう。 あなたが、何かにすがりたいと考えることが、実は仏教に近づいてることのように感じます。 僕は、浄土真宗の東・西を問わずにお経の現代語訳を取り寄せて読んでいます。 <歎異抄>は親鸞が書いたものではありませんが、何度も読めます。 或いは、親鸞が書いた手紙もいいでしょうね。 「ひろさちよ」(宗教学者)と言う人の本も面白いでしょう。

prip71187
質問者

お礼

私にも、とてもわかりやすく説明していただきました。 ありがとうございます。幼稚園時代(仏教園)に、親鸞聖人をお参りして過ごしてきたので、今になって仏教を学びたい。と思い始めたのも、親鸞さまの教えを、子供ながらにぼんやり覚えていたからなのかと思います。まずやはり、そこから振り返るつもりで、勉強してみようと思います。 >僕は、浄土真宗の東・西を問わずに~ >「ひろさちよ」(宗教学者)という人の本も面白いでしょう。 一つの宗派にこだわらず、仏教全般を知るのはとても興味深いです。 参考にさせていただきます。

回答No.1

宗教は元々人の心の支えのはずでしたそれを大きくしたり宗教活動は無税のことをいいことにいろいろな宗教が金目的に走ってしまったことも事実ですそこで必ずしも宗教に所属する必要はありません寝る時に一日を振り返って自分は今日一日有意義な生活をしたかを反省すれば良いことです心の支えとして宗教活動するなら構いませんが人に押し付けたりお金を取ったりする宗教はやめた方が良いですよここではやめた方がよい宗教の名前と理由は書けませんが実際に有名な宗教の中にも有るのが現実です

prip71187
質問者

お礼

回答ありがとうございます。できれば、宗教団体に入る以外の方法で、仏教について学びたいと思い、どんな方法があるか、質問させていただいた次第です。宗教について詳しくはありませんが、私もjf2kguさんと同感です。 >寝る時に一日を振り返って自分は今日一日有意義な生活をしたかを 反省すればよいことです おっしゃるとおりですね。これを実践できれば、少しは成長するのでしょうけれど、今の自分は、これさえできずに一日を終えています。 今後、少しづつでもやっていこうと思います。

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