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価値の哲学 交換の成立条件

新品の一万円札と、同じく新品の一万円札を交換する事は、特別の意図が無い限り、通常、成立しません。 つまり、交換が成立する為には、同じでは成立しないといった「等価交換」にとっては厄介なことになります。 交換(通常、等価交換)が成立する為には、何かが同じで、何かが違つている事が条件だとすると、此処には矛盾があるような気がします。 此処では、マルクス経済学と無関係な、純粋?に交換についてのご意見・ご回答をお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ticky
  • ベストアンサー率36% (123/337)
回答No.4

うーん、その場合は、 私にとって、相手が提示したものの価値 相手にとって、私が提示したものの価値 の二つが等しくて、他は別に等しくなくてもいいのではないですか。 さらに言うと、 私にとって、相手が提示したものの価値 よりも、 私にとって、"私が"提示したものの価値 の方が劣っていないと、相手の持っているものに対して、自分が持っているものを手放す気にはならないのでは、と愚考。 これについては、他の方がこれとは違う例を挙げているので、修正して、 私にとって、自分のこれを私が持っているより、相手のあれを自分が持っていた方が、価値が高い場合 (若しくは相手に対してこのことが成立する場合) それから、交換そのものに意味がある場合(挨拶ですね) 交換は成立しうる、ということでしょうか。

noname#15238
質問者

お礼

そうそう、勉強になります。 交換という行為には、リスクなり犠牲が伴いますから(例外もありますが)交換によって何らかの利益は得たいですよね。 Aさんa<b、Bさんb<aさらに、Aさんのbに対する評価とBさんのaに対する評価の共訳可能性と量的同等性も必要なんですね。反対も考える必要が、う~複雑。 挨拶は敬語の使い方が難しいですね(また古い)。 参考になります、有難うございました。

noname#15238
質問者

補足

tickyの名回答で、解決してしまったような雰囲気なので、もう少し踏み込んで見ます。 >私にとって、相手が提示したものの価値 >相手にとって、私が提示したものの価値 >の二つが等しくて、他は別に等しくなくてもいいのでは>ないですか。 交換が成立すれば、等価であると考えるのは、常識的・経済学的ドクマに嵌まっていないでしょうか? 選択肢の限定や交換の申し出側、当事者の関係により、多少の不満や人類愛の発露として、不等価の交換が行われる確率は意外に高いのではないでしょうか? さらに、上記二人の価値が等しいことは、交換が行われたこと以外に、等価を証明できないのでは? 「何が同じで、何が違うのか」 もし、お時間がありましたら、ご検討頂ければ幸いです。 「お礼」の後で「補足」など使用して恐縮の限りです。失礼します。

その他の回答 (12)

回答No.13

再度失礼します。 寝ながら学べる構造主義(内田樹, 文春新書)という本を読んでいたら、贈与と返礼の話がありました。  レヴィ・ストロースによれば,人間社会では, 何かを手に入れたいと思ったら, 他人から与えられるしかない。 そのため, まず始めに他人に与えなければいけいない。  そうすることで, 贈り物を受けとった相手は心理的な負債感を持ち, お返しをしないと気が済まなくなる(反対給付)。  これが行き過ぎると, ポトラッチのような, 過剰な贈与競争になるようです。    教えて!GOOも, 良い回答をもらったら気の利いたお礼をしなくては,と思う心理に支えられているように思います。  私もポトラッチのように, お礼に補足まで付けてもらっては, 何か気のきいた話でもしなくてはと思ってしまいます(半分冗談です)。  ネット社会におけるコミュニケーションを分化人類学的に見れば, 贈与と返礼の交換によって, 案外, 成り立っているのかもしれませんね。    レヴィ・ストロースは, 人間性の起源を, 社会的規範の中で生じる隣人愛や自己犠牲といった行動に見出しいているようです。

noname#15238
質問者

お礼

あらあら、半分は本気なんですね(笑。 このご回答に、気の利いた御礼をして、丁度「オアイコ」ということになると、自信が有りませんね。 永井さんの「不確実性」が、最も近いところでした、ただ私の質問は、永井さんの言葉を借りれば「不確実性」について、「等価」を含んだ検討をしたかったのです。 永井さんは、貨幣使用でこの問題を解決できる(実際解決できる)として、「不確実性」を吟味していないというか、別の意図があるようです。 おっとこのお礼は、気が利いてませんね。 ご回答者の皆様に考えていただくだけでなく、私も「寝ながら」考えています、そこそこ整理できたら、再質問させていただきます。 その節には、宜しくお願いします、有難うございました。

回答No.12

No10です。 以前の貴殿のご質問の「続 価値の哲学 蛇足 生産論」の中でも書かせて頂いていたみたいですし、 No.360893 質問:「神はいるのでしょうか?」 の中でも、目的論的進化論という言葉で説明を していました。 「目的論的進化論」で検索してみてください。 それでは、どうも失礼致しました。

noname#15238
質問者

お礼

お手数をおかけしました。 「蛇足」も調べたのですが、○○目的論と思い込んでいると、あるものも見えなくなりますね、「ふしあな」状態でした。

  • dokkoisho
  • ベストアンサー率28% (11/39)
回答No.11

どうも、#5です。 (あっ、うちもメール来るのおかしかったです。) えっと、 >同感です、違いが当然なら、違いを区別して、一部を同 じとうそついてるのでしょうか? うそというか、1つの物がいくつかのグループに属してるって事だと思ってます。 新札1万円だと、お金グループ、紙グループ、特殊印刷グループとか... お金(金額別)グループの中の最小グループですよね。新品だし。 同じ物=最小グループって事ですよね。m(__)m それで、 あれ?後悔しないぞ??なぜ後悔?..と思い色々考えてみました。 同じ物の交換、たしかに無意味といえば無意味。 自分の持ち物はの価値は何も変らないからですね。(だから後悔しないと思ったんですが) 何で無意味なことができちゃうのか?っていうと、 損得勘定ぬきでいたいときだなと。 友達同士、恋人同士など。(その場限りの)他人も有りですね。 平らな関係でいたい、なりたいと言うときでしょう。(杯を交わすとか、挨拶代わりの名刺交換ってとかいかがでしょう..) 無意味な交換だから、意味があるって事でしょうか.. ここで、違いをさがすとすると、お互いの関係ですかね。 他人だったのが、知り合いに、友達だったのが親友、恋人へ、恋人は夫婦へなど。(ちょっと無理矢理ですか(*^^*ゞ) その他の交換(一般的な交換?)は、自分の持ち物に変化が欲しくて、交換する。より良くしたい、整理したい、などなど。 この場合は、同じ物はあり得ないですね。 で、同じ物の時は考えなくて良かった、損得勘定をしなきゃいけないんじゃないかなと。 自分の品物、相手の品物の価値を考える。 損もしない、できれば得したい。 お互いにそう思ってるので、結果、違う物で同じ価値(等価交換でいいのかな?)になってるんじゃないでしょうか。 損得勘定あるなしで変ってくるのかなと思いました。 ではでは、失礼しました。m(__)m

noname#15238
質問者

お礼

ありゃ~美人にそそのかされてしまいましたね。 私の経験では、美人に頼まれると「ろく」なことが無かったのです。 でも挨拶の交換や名刺の交換、面白いですね。 そいえば、お役所には業者挨拶用の名刺入れポストが有りました、交換というよりは?? 「違う物で同じ価値」これがなかなか難しいのです。 つまらないことにお付き合いいただき有難うございます。

回答No.10

再考 どうも私自身が、あたなの言われる「同じこと」と 「違うこと」との真意を取り違えているみたいですね。 どうも失礼致しました・・・ が、今一つ、良く分かりませんので、 悪しからず、もうひとつだけ、持論を 勝手ながら、申し上げます。 授受作用の原理とは、人と人との間でも、当然 不変の原理です。 人と人との場合は、共通目的は、往々にして 「心情」と解されるでしょう。 心情・意志を中心(目的)として、 人同志は授受作用をするのです。 「原因」は、目的・心情であり、授受作用です。 その結果が「価値」なのです。 等価という言葉を最初に持ってこられるので、 ややこしくなるのではないでしょうか?? 「等価」というのは、目的と授受作用の その結果なのです。 目的や、授受作用の仕方によって、等価となったり、 贈与となったり、等価でない交換となったり・・・ するのです。 ところで、以前から、私が申し上げておりますように、 「人間の自己中心的な欲望」を達成する目的の為に 「交換」するのか、 「利他的な欲望の目的達成の為」に「交換」するのか・・・ こういう考え方もあるということだけは知っておいてくださいね。 永井俊哉という人が、戦争も交換だといっているそうですが、 「交換」の定義をしないといけません。 戦争に対する報復が交換だというのなら、 コミュニケーションが出来ないのです。 「報復」とは、明かに、自己中心的な欲望を満たす為 だけの行為なのですから、不法行為なのです。 共通目的がない授受作用を「交換」とは言いません。 それを「交換」といっては、コミュンケーションできないのです。 言葉の定義をしないと、コミュニケーションが 成立しないのですね。 ところで、授受作用の原理は、 授けてから、受ける原理なのです。与えてから、受ける。 つまり、「為に生きる」原理なのです。 心臓は、心臓の為に存在していません。 目は目の為に存在していません。 血液は、血液の為に存在していません。 右手は、右手の為に存在していません。 「私」は「私」の為に存在するようになったのではありません。 ですから、為に存在しないと、存在基台が造成されません。 ですから、自己中心的に生きる人は、存在基台がないので、 常に、心が満たされません。相手との関係において、 常に「不確定性」を内包した心の状態のまま、 生きていかなければならないのですね・・・ それでは、また。

noname#15238
質問者

お礼

いや~ホントに難しいですね。言葉の交換。 「交換を定義」することも、難しいところです。 いわく、経済学的交換・心理学的交換・生命学的交換。 交換を詳細に検討しようとすると、ある一面を分析することは有意義なことですが、それでは方手落ちです。 交換について、私の認識と違う意見が、それこそ「価値」がありますね。 目的論のお話を以前お聞きしましたが、探しても見つかりませんでした、○○目的論のような気がしましたが。 次の機会についでに教えてください、私は、目的を探さねば生きていけない人です。

回答No.9

あまり関係ないかもしれませんが、ポトラッチを思いだしました。 ポトラッチ参照URL http://www.mnet.ne.jp/~emonyama/taro/potlatch.html http://www.tabiken.com/history/doc/G/G029R100.HTM http://www.pandaemonium.net/menu/devil/m_mauss.html 原始的な物々交換からはじまり、ポトラッチのような競争的交換、そして貨幣による交換… http://okphex.exblog.jp/26794/ 交換がコミュニケーションの一種と考えると、必ずしも等価かどうかは問わないのかも。 http://www.jomon.or.jp/kurimoto.html 戦争は、苦痛の交換によるコミュニケーション。 テロのお返しに、大きな贈り物(過剰な報復)をアメリカは、アフガン・イラクに送った (ポトラッチ的な過剰なお返し)。 交換するときにおいて、双方の価値観の差異による不確定性が、等価交換を妨げているってことかしら。 http://www.nagaitosiya.com/lecture/0109.htm マルクス経済学は余り知らないので、文化人類学的なアドバイスと言うことで駄文にて失礼します (文化人類学もよく知らんが)。

参考URL:
http://www.nagaitosiya.com/lecture/0109.htm
noname#15238
質問者

お礼

おお、これは参考になりそうな(まだ見てないのにいい加減)。 ポトラッチとかクラとかは、贈与で交換とは漠然と区別していましたが、意外に難しそうですね。 シュタィナーでしたか、広い意味での経済を「贈与」「決済」「投資」の三つに分けて「交換」を入れていないのが印象に残ったことを思い出します。 URLのタイトル面白そうですね。有難うございました。

noname#15238
質問者

補足

あらためて、お礼でします。 これ参考になります、栗本さんは、ポランニーの「人間の経済」つまり広義の経済学を共訳されています、当時は、名前だけかな?思いましたが、違いましたね。他も面白そうで。 私事ながら、PCを夜間使わない、長時間使わない、と決めていますので週末に詳しく見てみます。残念ながら質問を締め切った後になると思いますが。 関係大あり、ホント有難うございます。

回答No.8

>あれ~おかしいな、同じ物交換しますか。 >#3さんのお礼の指輪のように、本当に交換しているもの >は、別にあるのではありません?多勢に無勢、ピンチ・ピ >ンチ。 補足だけさせていただきますね。 「まったく同じもの」を交換することに意味があるか ないかを、私は、全く回答欄において吟味しておりません。 >>そこに一体何の価値があるのかは、 >>当事者だけが知っていれば良いでしょう。 >>当事者の満足度次第です。 >>交換が生み出す価値はこの際、関係ありません。 >>「成立条件」のみですからね。 と申し上げたまでです。 全く同じ1万円札を交換することにどんな意味が あるのかは、今回は、私は問うていないのです。 当事者にとっては、意味があるのかも知れないけどね。 私は問うていないわけです。 私が言いたかったことは、「共通目的」のことですよ。 ただ、あなたが、1万円札の例えを用いられたので、 それをそのまま、使わせて頂いたまでなんです。 >「同じ物交換しますか?」  私は、それに対しては吟味しておりません。 今回は・・・ あなた様が質問されたのは、「成立条件」でしょう? #3の方が言われたとおりです。 それを私は、「心情」といいましたけどね。 そして、主体と対象が授受作用するのです。 わかりますか? 同じ1万円札を持っている「主体」(たとえば「私」)と 同じ1万円札を持っている「対象」(たとえば「相手」) とは、それぞれ違う存在なのです。 しかし、そこに「共通の目的・願い・心情」があれば、 同じ1万円札でも指輪でも交換が「成立」するのです。 >交換(通常、等価交換)が成立する為には、何かが同じ >で、何かが違つている事が条件だとすると、此処には矛盾 >があるような気がします。 これに対して、お答えしたまでです。 何かが同じ・・・「共通目的」があるということ。 何かが違う・・・主体と対象とは違う存在だということ。 全然矛盾していないのですね。 これでいいですよね。 要は、あなた様は、ずっと、「授受作用の原理」を 探してこられたのです。 ところで、先ほどは、敢えて書きませんでしたが、 当然、人間と万物との間の「交換」もあるんですよ。 しかし、その場合の「共通目的」は、単なる 「共通目的」ではなくて、もっと大きな、 「神様の創造目的」となるので、 ここでは省きました。 それでは、また。

noname#15238
質問者

お礼

だから~同じものでは交換は成立しないって事と、一般的に交換が成立すると等価だと認められる点に疑問があるんですね。 言い換えれば、 >>当事者だけが知っていれば良いでしょう。 >>当事者の満足度次第です。 此処が知りたいのです、交換の因果関係といいますか法則のようなものですね、「授受作用の原理」は人と自然の交換といえるかもしれませんが、今回は人と人なんです。 とわいえ、交換を大きく考えると、同じ物を交換するというか、同感とか共感といった心理作用も交換といえるのかも。解らん判らん、ピンチにご援助有難うございました。 ではでは。←同じものの交換は真似と似ていますね(笑。

回答No.7

「交換」とは、即ち、主体と対象の授受作用のことなのです。 授受作用には、「共通の目的」がまず必要です。 それから、主体と対象が授受できる土台を作る為の 「相対基準」を造成しなければなりません。 人間と犬とでは、言葉(心情)が通じないので、 相対基準を結べません。「交換」という価値行為を 実行することが出来ませんね。 たまたま、交換という行為になることはあっても、 「成立」とおっしゃるからには、そんなくだらない ことを聞いてはいらっしゃらないはずですよね・・・ 「成立」というからには・・・ 言語の通じない外国人でも、心情が通じれば、 相対基準が結べますので、授受作用は可能なのです。 「共通目的」とは、この場合、 新品の1万円札をそれぞれお互い交換し合おうという 共通目的(=意志)です。 そこに一体何の価値があるのかは、 当事者だけが知っていれば良いでしょう。 当事者の満足度次第です。 交換が生み出す価値はこの際、関係ありません。 「成立条件」のみですからね。 交換の「成立条件」のみを問うのなら、 (1)主体と対象の「共通目的」 (2)相対基準の造成 これだけです。これしかありません。 今回は、人間同志の交換のみを言いましたが、 万物と万物の交換作用も当然あります。 動脈と静脈の交換作用、 呼気と吸気の交換作用、光合成の交換作用 等々あげれば切りが有りませんが、 すべて、主体と対象の共通目的があるのは、 言うまでも有りません。 ではでは。

noname#15238
質問者

お礼

あれ~おかしいな、同じ物交換しますか。 #3さんのお礼の指輪のように、本当に交換しているものは、別にあるのではありません?多勢に無勢、ピンチ・ピンチ。 >交換の「成立条件」のみを問うのなら、 >(1)主体と対象の「共通目的」 >(2)相対基準の造成 これは、その通りでしょうが、「相対基準の造成」が如何に可能なのか、それも判らないですね。 今回は人間同士の主として物の交換ということで いつも有難うございます。

  • jakarta
  • ベストアンサー率38% (607/1597)
回答No.6

新品の一万円札と、同じく新品の一万円札を交換する事は、祝い事には新札、香典には古い札ですから、社会的側面において意味のある交換をしていることになります。 モノを機能・情報・社会的側面としてわけて考えれば、わかりやすいと思いますが、質問の内容では誰もが1万円札には1万円の価値があるという機能と象徴だけをみており、背後にある社会的な意味というものが欠落しています。 背後にある意味を交換しているとみれば、新札と新札の交換もありえるのではないでしょうか。

noname#15238
質問者

お礼

またまた、タイムアップ。 貨幣は、背後の意味を最小化といいますか、無くしたことにその意義があると、今は、考えています。 新札と新札の交換は、その時の恣意的な別種の交換が、それこそ背後にあるはずです。 おっと、判ったようなことを言ってはいけませんね、 あるかもしれない、考えてみます。 有難うございました。

  • dokkoisho
  • ベストアンサー率28% (11/39)
回答No.5

私は、世の中には「まったく同じ物」は存在しないって思ってます。 見た目よく似てるとか、条件が同じ、だいたい同じていうだけで、もの事態は、別の物、絶対に違いがあると。 で、交換が成立するのは何が同じか。 自分が持っている物を出す。そして、相手から何かを受け取る、っていう行為です。 交換相手も、何かを出して、何かを受け取っている。 これは、同じ。 だから、私の中では、新品1万円同士の交換も普通に「あり」です。 (屁理屈&回答になってないかな..(*^^*ゞ)

noname#15238
質問者

お礼

う~んタイムアップ おかしな補足のせいか、5/31朝のチェックでご回答のメールが届きませんでした。 >世の中には「まったく同じ物」は存在しないって思ってます。 同感です、違いが当然なら、違いを区別して、一部を同じとうそついてるのでしょうか? >普通に「あり」です。 美人に頼まれたら、おもわず交換してしまいますね、でも、後で後悔しませんか? 有難うございます。

回答No.3

まるっきり同じもの。 でもあなたが持っているものを私が持ちたい、 私が持っているものをあなたに持ってもらいたい、 そんな思いで交換する。 愛し合う者同士・慕い合うもの同士・尊敬し合う者同士なら、こんなことありえますよね。 でもこれはたとえ、その交換する物は同じでも、「あなた」と「わたし」の「違い」が前提になっているか・・・

noname#15238
質問者

お礼

>まるっきり同じもの。 ややや、これは結婚指輪もそうですね。 指輪の交換は「まるっきり同じもの」でも、 象徴する契約や約束は相互に役割が違うようで(古い?) そういえば、結婚は誤解からはじまるといった諺もありましたね。あぁ~夢が無くて済みません。 有難うございました。

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